小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

国立博物館

2009-12-19 23:12:09 | インド
12月19日(土)
 昨日初めは国立博物館に行く積りだった。地下鉄デリー駅からイエローラインで、セントラルに行こうとした。鉄道の越線橋を渡って駅に降りてゆくと、長蛇の列だった。デリーの地下鉄は、タイと同じチケットは磁気コイン方式である。この売り場が長蛇の列なのです。自動販売機も有るのだが、壊れていて使えない。切符を買ってから、改札に行くまでに、ボディチェックが一人一人空港並みにある。そこが又長蛇の列。これが済んでも荷物をX線に通さなくてはならない。そしてやっと改札に辿り着くのです。
 こんな状態なので、どんなに待たされるか分からず、諦めました。今日泊まっているメインバザールの道を西に歩いていると、ブルーラインの地下鉄の駅が在りました。こちらなら空いていると思い、入ってみると案の定空いていました。此方からコンノートプレスで乗り換えセントラルに行く事にしました。どちらのホームか分からず、近くのガードマンに聞きました。このブルーラインは郊外からやって来て、次の駅から地下に潜ります。やって来た電車は何故か東京の国電並みの超満員でした。インドでラッシュアワーに出会うなんて!乗り換えて終点セントラルへ。地下鉄で困るのは出口を出た所が何所か分からなく成って仕舞う事です。
 博物館の近い方の出口を教えて貰って地上に出ました。それでも博物館はどっちの方向かサッパリです。とにかく南へ歩いてゆくと、警官や兵士が出ていて交通規制をしてる物々しさです。サイレンを鳴らしながら先導車が来て、政府要人等のVIPが通って行きました。その警官に道を尋ねドンドン歩いて行きました。ロータリーの所まで歩き、左折して東に向かいました。官庁の様な建物の脇を延々10分近く歩きました。十字路で又左折すると右手のどっしりとした建物が目指す博物館でした。

             国立博物館
 建物を入ると1階に1から14までの展示室がありました。先史時代から近代までの様々な展示があり、じっくり見ていると時間が経つのを忘れます。ヒンドゥーの神々の展示室には、絵学生がスケッチをしていました。彼らには安く入れる特典があるのでしょう。二時間近くじっくり見てまわりました。
 帰りも地下鉄でニュウーデリーまで戻り、夕方一杯飲みに行きました。夜9時に安宿を出て、インドラガンディー空港に向かいました。日付が変わって、20日午前1時半空港を飛び立ち、朝の7時バンコクに到着しました。
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州物産館とジャンタルマンタルに行く

2009-12-18 23:46:26 | インド
12月18日(金)
 今日はコンノートとまで歩き、幾つかの州政府が出している物産館を見に行った。各州の伝統工芸品や民芸品などがあり、結構面白かった。そんなに遠く無い所にイスラム式の天文台ジャンタルマンタルが在るので、そちらに足を伸ばした。コーンノートの円周道路に戻るのが、分かり易い。けれど地図を見ると、裏路地の道がありそちらが近道の様だった。ヒンドゥーのハヌマン寺院の脇を抜ければ良いのだが、道が見つからない。寺院の前をウロウロしていると、いろんな人々が屯している。参拝者、行者、物売り、乞食、路上に寝てる人達。道の入り口が分からなかったのは、道に露天のテントが並び道の態を成して無かった。サラリーマンらしき人達の後を着いて、ゴミ捨て場や路上トイレの様な道を抜ける。表通りのビルの裏側に出て、回り込んでやっと表通りに出た。目の前がジャンタルマンタルだった。
 この天文台は近代の望遠鏡を使った物ではなく、目視で天体を観測をする為に建てられた構造物です。巨大な日時計や、夏至や冬至を計る建物。月や太陽や星の運行を観測する建物。当時としては観測用に緻密に計算設計された建物です。
 今は市民の憩いの場となり、奇妙な野外芸術品と言った趣です。

           ジャンタルマンタル

           天体の運行を観測

          太陽、月の運行を観測

             日時計
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デリー観光

2009-12-17 23:45:50 | インド
アルバム/ニューデリー

12月17日(木)
 宿に落ち着いて、午後からイスラムの本寺院ジャマー・マスジットに出かけてみる。駅前からバスを待ったが中々来ない。地下鉄の駅まで歩く。ガイドブックの地図を頼りに、地下鉄のニューデリー駅を探す。しかし鉄道の駅から連絡通路が有った。地下鉄で一駅チョウリ・バザール駅で降りる。外に出るとジャマー・マスジットの方向が分からない。こちらと目星をつけた方向のに歩くが、中々行き着かない。これは違ったと思い、駅まで引き返す。警官に道を尋ねるて、再びジャマー・マスジットに向かって歩く。15分も歩いた時にようやく寺院のドームが見えてきた。私が来た方向はジャマー・マスジットの西側で、裏側だった。入り口を探し寺院に沿って歩く。それらしきゲートがあったので、入場料が要るか?と聞くと、入るだけならフリーだた。

    西側の市街地からのジャマーマスジェット
 ゲートから階段がムスクの門に続く。その階段には大勢腰を下ろして休んで居た。この階段を上がり、靴を脱いで入る所で、200Rpの入場料が必要だった。

        階段に大勢休んでいる人

       ジャマーマスジェットモスク

広場を一巡して左側の尖塔(ミナレット)に上がろうとした。ここは別様金でさらに100Rp必要だった。入り口がわからず何処?と聞くと入って来たゲートだと言う。そんな入り口在ったけ?と思いながら行くと、狭い階段の入り口が有った。そこからゲートの屋上に出て、寺院の方に歩きようやくミナレットの入り口に辿り着く。
 螺旋状の階段を数十段(?)登ると、見晴らし台に着く。ここからの眺めは絶景で、デリーの市街がジオラマの様に見られる。東のほうには寺院前の通りが通称ドロボーバザールと呼ばれる露店の賑わいが続く。その先の緑の向こうには、ラージ・キラーのレンガ色の城壁が見える。

     ミナレットよりラールキラー方面を見る

           北側の市街地

 ジャマー・マスジットを出て、ドロボウバザールを通ってその先を左折してラージ・キラーのラホール門に向かった。この道も歩道側は露天商が立ち並び、活気を呈している。

       ラージキラー(レッドフォート)
 チケット売り場には大勢並んで居たが、外人用窓口はガラガラだった。インド国民は20Rp程度だが、外人料金は250Rpもする。ボディチェックを受けてラホール門から入る。門を抜けるとちょっとしたアケード街が続く。中学生のような団体が溢れていた。修学旅行生だろうか?

          ラフォール門

         修学旅行の学生?

 このラージ・キラーとアグラ城は同時に作ったので、作りもほぼ同じだった。一般謁見の間や、貴賓の謁見の間、王が自分で過ごす居間など、既に見たのと同じだた。


           謁見の間


            居室

 帰りはチョドニー・バザールを通って地下鉄を探しニュウデリー駅まで帰る。
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カジュラホからデリーへ

2009-12-16 23:15:50 | インド
アルバム/カジラホ

12月16・17日(水・木)
朝からホテル前の通りは朝市で賑わっていた。今日は水曜日なので広場での市の立つ日と思っていたら、この通りの市がメインで1日中縁日の様な賑だった。




          縁日の様な朝市の賑わい
午前中はこの日用雑貨や、農産物の露天を見たり荷作りをし正午にチェックアウト。オーナーのアビシュナさんと話していたら、彼も今日同じ夕方の列車でデリーに行くと言う。歯の治療に行くらしい。駅までは彼に便乗させてもらう事にした。夕方オートリキシャでカジュラホ駅に行った。オーナーは流石に一等寝台だった。私は3等寝台のなのでここで彼と別れた。自分のベッドに居ると、席を替わって欲しいと言われた。下の段の人達が同じ家族で、一人だけ席が離れた所だったらしい。心良く承諾して、検察があるのでチケットを交換しようと言ったら、名前が書いてあるので検察後にしたらと言われた。

       デリー行き夜行列車
 列車は始発なので、定刻に出発(珍しい)。しかし途中で本線に入り、他所から来る列車に結合するので、ここで遅れる。結局デリーのニザムーディーン駅に着いたのは、定刻の2時間遅れの朝の7時だった。定刻に着くと早過ぎる。
 デリーには周囲に幾つかの駅が在る。各方面に寄って発着駅が異なる。ニューデリー駅の安宿街に行きたがったが、はて?ここからどうしようと思案。校内放送でニューデリー方面の列車の案内が聞こえた。急遽そちらのホームに移動してニューデリー駅に向かう。この電車は差し詰め、通勤電車で仕事に向かう人達が殆どだった。

    丁度ニュウデリー行きの通勤電車が有った
 取敢えず、駅前の食堂で食事をしながら、安宿の候補をチェック。食後メインバザールを歩くと、客引きが来て誘う。どんな所か付いて行って見た。二箇所は満室だった。それでも客引きは捕まえたお客は離さない。次々に自分の知り合いのところに案内する。最後のところGold Innは新しく設備もよかったが、500Rp近かった。予算的には300Rp以下なので、ここはパス。その近くのShivaDXへチェックインした。シングルの独房に近い部屋で、温水無しで300Pp。まあこんなものか・・・・。

         裏路地の安宿

        一泊300Rp(600円)の部屋
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インドの選挙

2009-12-15 13:32:03 | インド
 丁度カジュラホに来た頃、この州の選挙期間中だった。インドの選挙は政党のシンボルマークで投票する。それで以前は壁と言わず、あらゆる所にこのシンボルマークが氾濫していたそうな。しかし現在では許可されたビラら掲示板のみに成ったのですっきりしたと、宿のオーナーが話してくれた。
 しかし宣伝カーは毎日、音楽をガンガン鳴らしながら、街中と言わず村々を走り回っている。最初は映画の宣伝かーかと思っていたが、そうではなく選挙の車だった。選挙日が近づくにつれ、熱烈な支持政党の旗を持った人々が集まりだし、警察も出て不穏な空気も感じられた。そう言えは西群脇にある現在でも信仰されている、マダンゲーシュクラ寺院に政党幹部の様な人々が、サドゥーに必勝祈願をお願いしているのに出会った。
 街角で人々が群れて居るので何事かと見ると、ジブシーの人達が音楽とダンスで人寄せをしている。その脇に選挙の車が在ったので、あー人寄せの為にジプシーを雇ったのでした。しかもこの喧騒さも投票日前々日までした。それでこの選挙活動の最後の夜は9時過ぎから大音響のシンセサイザーやドラムの音が深夜まで鳴り響いていました。

     ジプシーを雇って人集め左は選挙カー
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アユルベーダマッサージ

2009-12-14 23:17:43 | インド
12月14日(月)
 今日は昨日の長距離自転車でくたびれて、10時までゆっくり寝ていた。起きたら風邪をぶり返し体調もイマイチだったので、一日ゆっくり休養する事にした。足がかなり疲れたので、マッサージの看板の出ている店にいった。インドの伝統的医療に基ずくアユルベータのマッサージだった。1時間幾ら?と聞くと、800Rpだと言う。500位かと思っていたので、ちょっと思案した。午後に来ると言ったら、予約金と予約金が欲しいと言う。取敢えず500Rp予約金を入れ、4時に来る事にした。この店の人は南部のケララ州から来たのだと言う。以前受けた事が有るか?と聞くので、スリランカで有ると答えたら、アーさもありなん。と言う身振りをしていた。
 正午から2時間ほど、一回見たカジュラホ西群寺院に再度入る。日向に居ると日射病になりそうなので、日陰を選んで寺院外側の彫刻を眺めた。木陰のベンチで1時間近く座って、見物人を眺めていた。それから宿に戻って1時間程昼寝をする。
 4時前にマッサージ店に行った。個室に通されパンツ一丁になってマッサージを受ける。ボディマッサージだがオイルマッサージだった。マッサージ師は20過ぎのイケメンのお兄ちゃんだった。タイマッサージは足から始まるが、こちらは頭から始まった。タイのボディマッサージは、押すのが中心だが、こちらは擦るのが基本だった。風邪気味なので、長時間上半身裸でいるのは悪くなるのではと思ったがそれ程でもなかった。
 マッサージを終わってレストランで食事後、早々に宿に帰り早々と眠ってしまった。

        アユルベーダー・マッサージ店
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ママチャリで70キロ

2009-12-13 23:51:35 | インド
12月13日(日)
 宿から貰った周辺地図には、周辺に国立公園や滝が在る。そこまで、35キロ程でオートリキシャや宿のスッタフに聞くと300Rp位で行くという。しかし国立公園は入場料が2000Rp以上だと言う。20-30キロなら貸し自転車で行けるのでは?と思った。一日貸し自転車(ママチャリ)30Rpを払って2時間を限度に行くことにした。
 カジュラホから南に一本道の舗装道路を南下。国内線飛行場脇を通り、昨年出来たカジュラホ駅の線路を渡りバミータと言う町まで30分。ここを左折してパンナと言う町の方へ幹線道路を、延々ひた走る。1時間走って道路脇で休憩。道路はトラック、バス、乗用車、バイク、自転車、水牛と牛、ヤギ、人が通っている。流石に町と町の間の間隔が長いので、オートリキシャは走って居ない。途中二箇所程町らしき所を通過。


   様々の物が通るパンナへの幹線道路(?)
 荷物を満載した長距離トラックの為の、修理場所と休憩所が数箇所在った。片側にトラックの群れが縦列に駐車して道を狭めていた。人が大勢群れているので、何事かと見ると、路肩から転落した満載のトラックが横倒しになっていた。

      路肩から横転したトラック
 2時間近く走り大きな川に出た。かなりの大河で満々とした水が流れていた。この川を渡り小さな壷作りの村を通る。ここにKENN Tourist Lodgeと言う看板があった。こんな所にもツーリスト用の宿が在るのかと思った。程なく右側にタイガーサファリの看板があった。パンダフの滝はここから6キロと出ている。この先にジャングル・キャンプの看板がありツーリストが宿泊出来るような立派な所が在った。

         大きなKENN河の橋

         タイヤ舟で漁をする人

         土器を造る村

         タイガーサファリ場

         ジャングルキャンプ
 ここまでで2時間過ぎていたが、後30分滝まで行けるかどうか不明だが行って見た。所がこの先は森林地帯に成っていて、トラの保護区になっていた。しかも道は登りで、疲れも出て相当きつかった。それでも道が下りに成る所まで行って、この先どの辺が滝か皆目見当がつかない。この先下りをドンドン行って、帰りのシンドさを考えるとパンナまで13キロの表示の所で引き返す事にした。

     これよりタイガー保護区動物事故注意の看板

        保護区内のワニサファリ場

        長い登りの後下りが始まりここで断念
 飲み水とバナナを携帯したが、川を渡った所まで戻り、ちょっとした茶屋で食事をした。結構車のインドの人達が休憩していた。茶屋のおやじはネパール人か?と聞く。こんな所を自転車で来る人はインド人だって居ない。「日本人さ」と言うと、休んでいたインド人も吃驚!珍しがられて、握手を求めてくる。

          途中の茶店で昼食
 帰りは来た道を延々戻った。尻は痛くなるは、足は疲れるはカジュラホに着いたのは4時過ぎだった。炎天下のサイクリングで喉はカラカラ、レストランに飛び込んでビールを流し込みやっと一息ついた。

   戻ってRaja Cafeで寺院を眺めながらやっと一息
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インドの田舎を自転車で歩く

2009-12-12 23:34:31 | インド
12月12日(土)
 一昨日歩いて郊外の寺院群を観て周った。南群の川の辺に在るドゥラデフ寺院が芝生に囲まれた遺跡公園の様になっている。訪れる人も少なくノンビリ過ごすには良いと思い自転車で出かけた。歩いた時とは逆周りになるが、記憶を辿りながら自転車を走らせた。途中オールドカジュラホの村の中に入ると、流石に迷路状になり、何度か行き止まりになった。ここは地元の高校生に案内して貰っていたので、人に着いて行くと記憶もアヤフヤになる。それでも見覚えのある所を辿って、何とか抜けることが出来た。村の中を抜けていると大勢人だかりがしていた。何事かと見ると、ジプシーの人が太鼓を打ち鳴らし、女性が踊っていた。その周りを、老若男女大勢見物していた。

       村人が見物のジプシーダンス
 村を抜け田園風景のなかを行くと、目的地のドラデク寺院に到着。自転車を門の中に入れ、日陰を探して芝生を歩いていった。丁度格好な大木があり、座るのに良い、石も横たわって居たのでここで長時間休憩。目の前の芝生では雑草取の人達が数人炎天下の中働いていた。木陰で時たま訪れる観光客を眺めたり、久しぶりで笛を吹きながら2時間ほどボーと過ごした。

         ドゥラデフ寺院

       寺院脇の川でノンビリ水浴びをする水牛
 この前出会った門前のお土産屋(と言っても台の上並べただけ)のおじさんが寄って来た。インドの観光地では何所でも五月蝿い程に寄って来ては、しつこく話しかけて来て、様々な勧誘をして煩わしさが付きまとう。ここはそんな事が無く静かな時を過ごせる場所だった。このおじさんも最後にお金をくれと言わないよと言っていたので、あまり煩わしさは無かったので、お付き合いした。
 すると川を渡って左の道を行くと、山の方に行けると教えてくれた。田園地帯を行くのも良いかと、行ってみた。舗装道路から外れ、田舎の一本道を走る。回りは疎らな木が生えていて、水牛がノンビリ草を食んでいた。それを追っている子供たちの姿なども見かけた。人家が数軒在る様な所を数箇所過ぎる。出会った人は「この先に寺院は無いよー」と怒鳴っている。「知ってるよ!こちらはサイクリングしたいだけなんだよー」と呟きながら、無視して先へ先へと行った。
 遥かに山並みが見えて来たがまだかなり距離はありそう。道は山に向かってゆるい下りに成っている。多分山の麓に川が在るのだろう。自転車で行くと前方に学校帰りの子供達が歩いていた。私が来るのに気がつくと例の「ハロー・ペン」は勿論だが、叫び声を上げて群がって来た。自転車や背中に飛びつく子供も居て、後を群がり着いて来る。まるで集団追剥状態。これには閉口。自転車をダッシュして振り切った。
 暫く行くと、道が泥ンコに成っていた。麦畑に水をやったのが、道にも溢れ乗って通れなかった。ここまでかと思ったが、引き返して先程の餓鬼どもに会うのも嫌だったので、とにかく先に行って見た。この先は人家が無い様で、畦道に成ってしまった。そんな中を前へ前へと自転車を漕いでいった。

         菜の花畑の中の田舎道
 やがてしっかり踏まれた道にぶつかった。右に行けば山の方らしいが、まだまだ下りで先が長そう。帰りの登りを思うとここまでにした。左折の方向がカジュラホの方なので、丁度来合わせた村人に尋ねると、そうだと言う。それでこの道を辿り、途中川(寺院脇の下流)を渡り、出た所は東群の寺院だった。

      ようやく遥かに西群寺院が見えて来た
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外側からカジュラホを見る

2009-12-11 23:23:24 | インド
12月11日
 午前中宿のオーナーのアビシュナさんがインド呼吸法を教えてくれると言うので、実習した。吉田さんは昼の便でバラナースに飛ぶ為ここで別れた。カジュラホ西群寺院の外側に現在でも礼拝に使われている、マタンゲーシュクラ寺院がありここから向かいの寺院をつぶさに見ることが出来る。しかもここは無料で入る事が出来、高い位置から寺院を見ることが出来る。ここで一時間ほどぼんやり、向かいの寺院の彫刻を眺めて過ごした。この寺院は巨大なリンガが祭ってあり、今選挙期間中なのでその人たちが必勝祈願のお祈りに来ていた。

        寺院入り口にあるハヌマン像

世界遺産指定外にあるマダンゲーシュクラ寺院

         基壇に在るガネッシュ像

        選挙必勝祈願に来ていた幹部
 ここを出て宿の前の池を廻って北のほうに廃墟の様な、遺跡が見えたのでここに歩いていった。チャウンサート・ヨーギニー寺院で訪れる人も無く石積みの外壁だけが残っているだけだった。

           宿の前の池

    訪れる人も無いチャウンサート・ヨーギニー寺院 
 それからカジュラホの外側を歩ってみた。水牛がノンビリと草を食み、人の歩く所が道となっている。

         遺跡の外に広がる風景

      世界遺産カジュラホを西側から眺める
村に近づくと子供たちが「ハロー・ペン」とねだりの声を掛けてくる。早々に退散。カジュラホでは村の中何所でも出会う子供が、「ハロー・ペン」の挨拶なのでウンザリです。
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インコの出退勤

2009-12-11 23:00:05 | インド
12月11日
 宿の脇に博物館やT字路に成っている所に、菩提樹や大木の茂る一画が在る。ここが緑色の尾羽の長いインコの宿営地に成っている。その数数万羽。朝5時頃より一斉に目覚め、自分の餌場に飛び立って行く。この間2時間くらいその喧騒さは物凄い。6時半頃が一番群れが飛び立つので、良い目覚まし代わりになっている。
 夕方5時頃より三々五々幾つかの群れになって、ねぐらに戻ってくる。鵜や鷺やムクドリなどは集団営巣をすることは知っていたが、インコがこれ程の集団になるのは初めて目の辺りにした。

          インコの宿

      毎日繰り返されるインコの出勤
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