いくら味がよくても高すぎては駄目だ。それでは日常的に通うことはできない。商売とは、良心的でなければならないと思う。私は常にそのような店を探している。なかなかないね。この街を知るにはもう少し時間がかかりそうだ。
「お待たせしました。きつねうどんです」
運ばれてきた丼からは白い湯気が立ち上がっている。
おお! なんと心地のよい湯気だろう。いっそこのままおじいさんになったとしても構わない。器までもしっかりと温まっている。
麺は手打ちを思わせる。腰があり少し透明で所により美しくしなっている。ちょうどいい長さだ。
葱はよい香りがする。鮮度に全く問題がない。名のある葱を使っているに違いない。
油揚げの旨みは特別なものでそれ自身が味わい深いことは勿論、出汁を吸収して絶品のものとなる。
出汁は少し濃いめでどこか懐かしい味がする。一口飲めば後を引き、さらにもう一口欲しくなる。そして、それは最後まで飽きることなく続く。雷が鳴っても急用ができたとしても、決して残すことはできないだろう。
ふぁーあーー♪
打ちのめされた至上のため息……。
これが50円で? 50円から?
ありありありあり!
「900円になります」
(えーーーーっ)
「あっ、50円と申しますのは、
※以下をご覧いただくと改めてわかりますように、
条件が3つほどございます。
まず3つ目ですが、
12月生まれの方とさせていただいております。
身分証はお持ちですか。恐れ入ります。
はい。確かに、今月生まれということで。
続いて2つ目ですが、
ご来店10回以上の方とさせていただいております。
レシートをご持参になってますでしょうか。
はい、お持ちで。お預かりいたします。
確かに。いつもありがとうございます。
最初の条件ですが、
これがですね、恐れ入りますが、
5名様、
5名様以上でのご来店とさせていただいております。
はい。そうなんです」
「お前たち食べたか?」
「へい兄貴!」
「私の弟たちです」
「あー、ご一緒でしたか。失礼いたしました」
「いえいえ。美味しかったよ」
「50円になります」
「あいよ」
「それでは100円からお預かりさせていただきます」
「お釣りはいいよ」
「ありがとうございます!」
「ごちそうさん!」
私は満足して店を出た。本当は奴らは弟でも何でもなかった。もしもの時のことを見越して、あいつらのファッションを少しほめておいたのだ。まやかしだらけのこの街で生きていくためには、多少のトリックも必要だ。仕掛けられたら仕掛け返せるようにしておく。仕込みだ。
私にとってのしあわせとは、一刻みの葱なのかもしれないと思う。それは他者には無であり、時には悪になるだろう。しあわせは、ある瞬間の感情に似て気まぐれだ。定義しようとすればえらく抽象的なものになるだろう。例えば、それは一編の詩だ。あらゆるところに詩は存在するが、気づかず通り過ぎることの方が多い。私は今夜、きつねの浮かぶ丼の中に、それを見つけることができたのだ。