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眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

金持ち喧嘩せよ

2022-06-17 21:03:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 あなたは桂損についてどう考えるだろうか。まあたいしたことない。別にどうってことはないと考えるだろうか。実際、ちょっとした代償でもあれば、桂損でもバランスが取れているという局面は多い。だが、場合によっては、それが致命的な桂損になることもある。桂香というのは隅っこに配置されていて、すべての将棋において活躍することが望めるわけではない。居飛車対振り飛車の対抗形などでは、打ち込まれた大駒によって回収されてしまうことも少なくない。

 損した桂によって銀桂交換を強いられる。今度はその銀によって角銀交換。まあ、「交換だよね」と甘く考えているといつの間にやら角損になっている。そんな経験はないだろうか。(駒損は拡大する場合がある)たかが桂損のはずが、気づいた時には大損になっている場合がある。駒の損得はプロでも最も重視される要素であるが、いくら駒得でも多くの駒が遊んでいては話にならないということもある。「終盤は駒の損得より速度」という格言もあって、難しいところである。

 あなたは大きな駒得をして優勢を自覚した時、どのように考えるだろうか。例えば金1枚を得したとしよう。楽観的にみてもう半分勝ったような気分になる。さて、そこからどうやって勝ちに持って行くか。せっかくいい将棋なのだから、大事にしたいと思う。できるだけ安全に勝ちたいと願うのも自然なことだ。
 得した金を自陣に埋めて堅さを主張する。あるいは、中盤の要所に置いて盤上を制圧する。そうした指し方が有効である場合もあるだろう。言わばそれは長期戦志向だ。(金持ち喧嘩せず。長くなれば徐々に戦力差が物を言う)

 しかし、その判断が裏目に出ることもある。余裕を与えている間に戦力の補充・回復を許す。(長くなることでミスを重ね、差を詰められる)例えば、自分だけ歩切れでと金攻めをみせられている時など、とてもゆっくりできるとは思えない。

 そこで「金持ち喧嘩せよ」の登場である。
 これは全く逆を行く短期決戦志向と言える。
 徐々に優勢を拡大していくとか、そういう生温い発想ではなく、突然勝ちに行くのだ。先に得をしているとするなら、1枚捨てても大きな損にならない。そう考えれば思い切った手段も選択肢に入る。普通は荒っぽい筋でも(先に得をしているのなら)十分に成立するかもしれない。

 挽回する余裕を与えず、瞬間的なアドバンテージを生かして寄せに持ち込むのだ。駒得を広げる思想を放棄し、駒得から思い切って速度に転換させることで一気に勝ちを目指すのだ。(この方が切れ負け戦の戦術としても合っていると思う。長々と正解を積み重ねるのも大変)
 駒損を回復しても(逆に駒損になっても)、寄っていればいいのだ。寄り形になっていてちゃんと足りていれば問題ない。

 駒得=安全勝ちというビジョンの他に、
「駒得~捨て駒~寄せ」というパターンも持っておくと、勝ち方のバリエーションも広がっていく。


もう1つのゲーム ~切れ負け特有の事情

2022-06-17 01:58:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「5秒将棋でも必勝」
 将棋としては終わっている。
 普通だったら(投了もやむなし)。しかし、切れ負け将棋は、話が違う。ルール/ゲームが違うのだ。(切れ負け将棋に判定勝ちはない)いくら形勢が大差でも、場合によってはあと一手で頭に金がのって逃げ場がなくなるような局面でも、先に時間が切れた方の負けとなる。

(技がかかっても、銀損しても、終わりじゃない)
(弱くても、必敗でも、チャンスがある)

 大きな駒損をして全く攻め味もないような側が、自陣に飛車を打ちつけて頑張っている。そうした絵柄を、どこででも観ることができる。

「時間内に寄せられますか?」
 自陣飛車は、そう問いかけているようだ。
 それはもう1つのゲームなのだ。
 よい側は焦るだろう。気が緩むこともあるだろう。そうしたメンタルも含めて、切れ負けというゲームだと言える。
 よい将棋をちゃんと将棋で勝ち切るとするならば……。
 試されているのは、勝つ/寄せる手際のよさかもしれない。
 いかに効率的に守備駒を一掃するか。粘る手を許さないか。王手のかかる形を築くか。より厳しい手。より困る手。より賢明な手。より本質を突く手を追究/選択できるか。

 駆け引きの上では、相手に時間を使わせることも重要だろう。(相手の考慮時間も自分の貴重な時間になる)迷わせる手。少し意表を突く手。王手のかかる形にすることで不安にさせることも有効かも知れない。
 勝つということは、ちゃんと勝ち切るということは(いかに形勢が離れていても)、それほど簡単なことじゃない。

 ~玉のみえる形にすること

(穴熊が強いのは頓死の心配なく駒を渡して攻められるところだ)
 攻め方を誤ったとしてもそれを咎めて勝ちまで結びつくには遠い。しかし、玉の周辺で受け間違えば簡単に詰んでしまう。時間に追われている状況では、どんなミスが出るかわからない。玉との距離を詰められるかどうかは、勝率にも結びつくと言えるだろう。


金銀を絡めて寄せよう ~いつまでと金つくってんだ

2022-06-14 01:42:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「と金のおそはや」
 と金攻めはわかっていても受けがない。相手の戦力を上げないので結局は早いのだということはある。
 しかし、いつでも(いつまでも)と金攻めが優れているということはない。垂らして成って寄せてという手順をみてもわかるように、それなりに時間はかかる。と金攻めは、場合によっては明らかに遅いのだ。
「何のためにと金をつくるのか?」
 それは敵玉を薄めるため。戦力を得るため。もしも、既にそれがかなっているのなら、もはやと金をつくる目的もない。

「1枚はがしたらおごっていこう」
 と金攻めのおかわりは確かに魅力的で、何度でもリフレインさせたい気持ちは理解できる。しかし、もしも一間竜の形を作って攻めることができたなら……。どちらがより速いかは明白だろう。

 ~金銀を絡めて寄せよう

 4一銀という矢倉の金に銀をかける寄せの手筋は有名だが、他にも金駒で金駒に絡んでいく方法は、多様な形がある。上から銀、下から金、腹から銀、連続して金銀……。
(囲いの金駒が桂香に変わったら絡みのチャンスだ)
 ほとんどのケースでは、囲いの金銀が桂や香に変わるというのは、辛い展開を余儀なくされているのであり、囲い自体は相当に弱体化していると思って間違いない。囲いというものは、金銀の整った連携によって守備を成立させているのであり、そこが性能の劣る小駒に変化しているのなら、その弱点を突いた寄せが発生しやすくなっている。攻撃側は、金銀を絡んでスペースに入りやすいのに対し、守備側は囲いの一部である桂香のために埋めるスペースがなくなっているのだ。(金ではない駒を打たせてその裏を突いていくことは寄せの醍醐味である)

 と金攻めが割と考えなくできるのに対し、金駒を使った絡みつく寄せは、考えられることが多い。そうした寄せが上達すれば、香車一本強くなることも可能だろう。
 金銀を巧みに組み替えながら「金なし将棋に受け手なし」(銀なし将棋に受け手なし)に追い込む。(守備に穴を作る)送りの手筋。絡みながら竜馬の位置をずらす。絡みながらと金をつくる……。

 寄せには詰将棋の力が役に立つが、それとは別に「必至」に至る手筋というのも存在する。「千日手っぽいパズルから逃げないこと」は大事で、その姿勢を保つことによって技術は向上する。
 と金攻めで戦力アップ(駒得)に成功した後は、金銀を活用した寄せによって鮮やかに勝ってみたいものだ。


さばきを夢見ながら

2022-06-10 02:22:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 居飛車の人が飛車先をぐんぐん伸ばしてくる。角道を止めもせずに、そればかりかこちらの角道をこじ開けにきている。居飛車の人はやけに好戦的に映る。仕掛けられた歩は素直に取る他はなくて、居飛車の人は角で角を取って成る。

いや不成だ。

 どうせ取るのだから、成っても成らなくてもそれは同じことだ。スマートで合理的な居飛車の人。盤上から角が消える。角のいなくなった8筋はもう支え切れなくなった。居飛車の人は飛車を走る。一方的に桂を拾おうとしていた。早くも竜ができそうだ。そればかりか居飛車の人は角を打ち込んできた。角がいなくなったスペースに角を打ち込んで香を拾おうとしている。あるいは、もう一枚の飛車までも自分の物にして二枚飛車で攻めるつもりかもしれない。

 居飛車の人の攻めっ気に押しつぶされてしまいそう。だけど、そんな弱気でどうするよ。居飛車の人がちゃんと攻めてくれるから、さばきのチャンスも訪れるのではないか。振り飛車の人は、自分だけの力ではどうすることもできないのだから。

 頼みの綱は美濃囲い。居飛車の人のエルモよりも一路だけ深い。6筋からの反撃はあるか。8筋は明け渡したけれど、6筋は8筋よりも玉に近い。攻められた時こそ、反撃を開始するチャンスなのだ。きっと今がそう。振り飛車の上手い人ならば、きっと上手くさばくはず。

「ねえ、棋神さま。上手いさばきがあるんでしょう?」

「今は忙しい! それくらい自分で考えよ!」

 棋神さまの言う通りだ。将棋は自分で考えてこそ強くなるのだ。
 考える内に自分の時間が削られていく。形勢不利。けれども、振り飛車は逆転のゲームでもある。先に攻められることばかり。いくらか不利にもなるだろう。苦しい時間にどうにかして反撃の糸口をみつけることこそが振り飛車のロマンなのだ。攻めている時はいいけど、攻められると弱い人がどれだけ多いことか。何かあるはず。弱い自分にはみえていない何かが、きっとあるはずだ。





●飛車と角の物語 ~さばきの心

 飛車取りに迫られた瞬間、振り飛車のセンスは問われている。最もよくある状況は、飛車取りに角を打たれる場面ではないか。居飛車党というものは、だいたい角を打って飛車を攻めてくるものだ。そこは将棋の中でも割と重要な局面で、しっかりと足を止めて考えるべきところだ。

(無条件で逃げることはあり得ない)

 飛車は王様の次、人によっては王様よりも大事だと考える人もいるかもしれない。しかし、一番痛いのは飛車を取られることではなくて、飛車を逃げ回っている間にどんどん自分の手が指せなくなってしまうことの方なのだ。
 ありがちなのが、直前に自分が立てた予定が飛車取りにされたことを重くみるばかりに全部キャンセルになってしまうような指し回しだ。

「飛車取りですか? 飛車取りですね。
 へへー参りました。お通りください」

 突然偉い人が目の前に現れて、今までの計画も厳格なルールも全部台無しになって例外的に都会の街を通り抜けていくような感じ。

(あんたそんなに偉いのかよ……)

 飛車取りって、そんなに偉いものか。
 確かに飛車は偉大ではあるけれど、そこは立ち止まって冷静に考えるべき局面だ。
 打たれた角には別の狙いもあるはずだから、ただ逃げることは通常は利かされになる。逃げるとどうなるか。飛車に紐はついているか。取られた形は乱れるのか。飛車にはどれだけ強いのか。自分も飛車を取り合う順はないか。そうしたことを色々と比較した末に最強の手を導くことが望ましい。手段はだいたい三択、手抜くか、強く当て返すか、おとなしく逃げるか。

 振り飛車は、相手に二枚飛車を渡して戦うような指し方もできなければならない。自陣に打ち込まれる飛車は、怖いばかりの存在ではない。角を手持ちにして、逆に目標にしていくことも可能だ。成り込んでいくばかりが、振り飛車のさばきではない。取らせておいて奪い返す。そのようなさばき方もあるのだと思う。


目から火が出る一手

2022-06-07 05:53:00 | 将棋ウォーズ自戦記
●飛車をめぐる不思議な攻防 

 将棋は飛車を取るゲームである。
 そう思えるくらいに飛車はやっぱり偉大だ。ゲームの鍵を握っている。実際にはすぐに取れたりしないものだが、取らないにしても「取り」が発生することによって、局勢が大きく動くということが多い。

 強いから(偉大だから)、簡単に無視することができない。「取り」に対しては、だいたいが逃げるのだ。すると「取り」は先手で入ることになる。将棋は一手一手交互に指すゲームで、手番は平等に一手一手巡ってくるものだ。素人目にはそのように映ることも不思議ではないが、棋士というのはやたらと「手番」を重視したがる。(形勢判断の要素に含まれることもあるくらいだ)

 一手ずつ指しているはずなのに、相手の駒ばかりが活躍している(前進している/増幅している)ような思いをすることはないだろうか。それは自分の手番を有効に生かせていない時だ。将棋は相手との対話だから、いつでも自分の好きな手(価値の高い手)を指せるわけではない。実質的な手番は、一手ずつ平等ではないのだ。

 何かが「先手」で入るということは、相手の一手を無力化し、続けて自分の手を指し続けられるという意味合いを持つ。

「将棋は飛車を攻めるゲームかもしれない」

 飛車取り(飛車版王手)の先手を取ることによって、好きな位置に駒を置くことができる。場合によっては2手も3手も、4手も5手も、続けて好きな手を指せる。あるいは駒を打てる。
(将棋は飛車を追いながら盤上の駒を増やしていくゲームかもしれない)
 そうした局面では、相手は飛車しか動かしてなく(見た目は一手しか動いていない)、自分ばかりが好きに指すことができる。
 動いたから(増えたから)すべてが好転するというわけではないが、そういうテクニックが占める割合は小さくないと思う。
 飛車手/王手をかけまくることによって盤上を制圧してしまう。そうした夢のような勝ち方だってできる。それも飛車の偉大さなのだろう。



●王手は大いなる手

「王手は追う手」
 詰みもみえていないのにやたらと王手をかけては、単に玉を安全な場所に逃してしまう。実際そういったことはよくある。特に時間に追われた時など、着手の逃げ場所として手が王手の方へ自然と動いてしまうこともある。

 格言というのはとてもありがたいものだ。
 それを知っているだけで役に立つことがある。迷った時は、とりあえず格言に従っておけば、だいたい上手くいくこともある。格言の多くは棋理にかなっているし、広く応用の利くものでもある。しかし、複雑な実戦の中では、常にそれが正しくフィットするというわけではない。ある局面では、むしろ格言の真逆をいく手が最善手であったりする。

 例えば、大駒は離して打てと言われるが、近づけなければならない時。桂は控えて打てと言われるが、ダイレクトに打ち込むべき時。金底の歩は堅いと言われるが、底に角を打つべき時。馬は自陣に引けと言われるが、竜を引かねばならぬ時。王手にしても同じことが言える。悪い王手ばかりではない。むしろかけるべき時に王手はかけなければならないのだ。

「王手いいじゃないか」

 王手は追う手。玉は下段に落とせ。玉は包むように寄せよなどと言われている。だが、いつもいつも格言にばかり従っていては、いつまで経っても玉を包み込めないという事態も起こり得る。(守る方だって玉を包むようにして守っているのだ)
 実戦の終盤で、一度も王手をかけずに寄り形にまで導かれるというケースは希である。むしろ終盤の強い人ほど王手を有効に使っている。時には下段に落とすどころか中段に引っ張り出して、守備駒に包まれないようにして寄せている。

(時には夢でも追いかけ回すのがいい)

 王手は攻め方の絶対権利。それを有効な利かしとして用いることによって、寄せの速度を上げることもできるのだ。
(どこで何を利かせられるか。勝負の綾はその辺に存在する)
 絶対権利(先手)である王手には、様々な効果が考えられる。
 玉を危険地帯に引きずり出す。(守備駒が整う前に)
 態度を決めさせる。(応手によって攻め方を選択する)
 攻め駒を近づける。
 合駒を使わせる。
 手順にはがす。
 拠点を増やす。
 王手Xをかける。
 逆王手を用意して玉頭戦を制する。

 即詰みがなければ王手はつまらないわけではない。必至へと至る順の中でも、王手は重要だ。どこで王手をかけ、どこでかけないかという選択が寄せの鍵だとも言える。
 王手は大いなる一手なのだ。


金なんかくれてやる! 

2022-06-05 01:06:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「ある時 価値は反転する」
 いい手だなと心が動かされる時がある。それはもの凄く派手な一手というばかりではない。むしろ何でもないような一手。実際に盤上に現れた手そのものに対してではなく、普通にみえるはずの手が「指されなかった」ことへの驚きというものがある。

「えっ、金逃げなくていいんですか?」

 それは序盤ではまず絶対に現れないような一手だ。
「歩で金を取られてはいけない」
 将棋を学ぶ時、一番最初に教えられることではないか。
 それなのに……。
 自分の先入観を打破するような手が現れた瞬間、「いい手だな」と感動しながら驚いてしまうのだ。

 ・金を粗末に扱うこと
 ・手を抜くこと
 ・人の言うことを聞かないこと

 最初にみんな「よくないこと」だと教わったこと。それが「よい手」になる局面もある。
 覚えてきたことを捨てなければ、それより先には進めないことがある。(なんて難しく、面白いのだろう……)
「終盤は駒の損得より速度」
 と言う。だけど、終盤だって金は大事だろう。いつ、その格言は有効になるのか。
「歩で金を取られてはいけない」
 勿論それは序盤の話である。
 金取りを手抜くような手は、終盤ではよくある手だ。
「時は金なり」
 終盤ではその言葉はより重い。金一枚も大きいが、一手利かされることも同じくらいに大きい。



 ~取らせてさばく手を覚えよう!

 中飛車の上に自分の金がいてその頭を歩で叩かれている。飛車の斜めしたには馬がいて飛車に当たっている。振り飛車を指しているとそういう状況はよくあるのではないだろうか。攻められていてとても嫌な感じがする。できるだけ損をしたくない。被害を最小限に抑えたい。そのようなマインドになりやすいのではないだろうか。だけど、自陣ばかりみていてはいけないし、「さばく」という強い心を失ってはならない。相手の理想は、金を乱して飛車を取りたいのだ。(歩で利かして攻めを加速したい)無茶苦茶攻められているようだが、飛車と金を両方同時に取ることはできない。ある意味では攻撃が重複しているという視点を持つことが大事だ。歩を打って金を取るには2手費やすが、飛車取りに馬を動かした手も含めると3手を費やしている計算になる。「時は金なり」という感覚からすると、手抜きは選択肢の1つとなる。0手で利かされるよりも、3手かけて金を取ってもらう方がいいのではないか? そういう発想を持つべきだ。手抜くことによって生まれる一手で、敵陣に自分の有効な手を探す。金を取らせ、同じく飛車と前進する一手が手順に馬の当たりから逃れる。その時、飛車の横利きにもう一枚の敵の馬(77馬)がいるではないか。これはおあつらえむきだ!

「飛車でも金でも好きな方をどうぞ」

 そうした大胆なさばきを身につけられれば、振り飛車はもっともっと楽しくなるのではないだろうか。


小部屋の命拾い ~振り飛車に生きる理由

2022-06-04 23:14:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 銀冠の小部屋17地点にひょいとかわして残っていれば最高だと思う。美濃もいい。18玉と端に寄って涼しい顔して残して勝ちたいと思う。

「そうやって勝ちたいからだ」

 だから僕は振り飛車を指しているのだと思った。だから将棋を指しているのかもしれない。あるいは、だから生きているのかもしれないとふと思ったりもする。(みんなはどうして将棋を指すか考えてみることはあるかな?)
 美濃囲いって堅いのかな?
 時々疑問に思うこともある。
(角と桂で詰まされたような時は特に)
 玉に紐がついていないせいで、ゼットではないのだ。
 39に銀を打たれて早速ピンチ。
 王手がかかって全然助かってなさそうだけど……
「金なし将棋に詰め手なし!」
 18玉!
 取ったら詰むけどかわして際どく助かっている。
 そして、最後は39に打たれた銀を時間差で取って相手玉を詰まして勝つのが理想。
(かわして、取って、詰ます!)

「王手!」

 ひらり♪

「金がなければ詰むまい」

「ならば自陣に手を戻そう。金を渡さず寄せれまい。金が入れば美濃を詰ますぞ」

「確かにその通りだ。金は渡すことになるだろう。しかし、手順を尽くせばどうかな」

「何を? いったいどうすると言うのだ!」

「最後に詰めろを解きつつ詰めろをかけてやるぞ!」

「何? そんな手が?」
 
ビシッ♪
 
 そして、僕は39金と指すのだ。
 詰ましにきた一手が質駒となっている。
 取れずにかわした一手が早逃げになっている。
 だから、その瞬間18玉はゼット(絶対詰まない形)になっているところが、あまりに素晴らしいではないか!
 すぐに詰んでしまいそうな美濃囲いが、相手の攻撃をかわしながら最後にゼットになるなんて!
 ああ、振り飛車ってなんて素晴らしいんだろう!


強い手は向こう見ずな手じゃない

2022-06-04 22:50:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「駒台にあふれて負けるのはもったいない」

 絶対いいんだけどな……
 だけど、決め手がみえない
 時間がなくなっていく
 速い寄せがみつからない
 指さなくちゃ
 自陣少し薄いな(間違ったら寄る形だ)
 わからないけど攻めるか……
 そして、
 駒を渡す 
 中途半端な寄せに出て
 反撃を食らって
 簡単に寄せられる

 そんな逆転負けを何度経験したことだろう。
 体力差は圧倒的なのに、上手く勝ちに結びつける順を見出せず、焦りから成算のない攻めを実行して、相手に望外な戦力を与えこれしかないという単純な筋によって負け筋に陥る。
 逆転に至る道筋(構造)は、だいたいいつも同じである。だったら、これを学習して改めれば、勝率はもっと上がるはずだ。

「寄せよう寄せよう」
 と気持ちが前に出過ぎないことも大事ではないか。
(全体的に体力差はあっても玉周りは事情が異なる場合がある。妙に寄りにくい玉、寄りやすい玉がある。詰み筋のない玉は持ち駒の発言力が弱まる)
 形勢はいいはず……
 この将棋は絶対負けられない
 強い手を指さなくちゃ
 だけど、強い手は顧みない手とは違う。
 勇気とはただ突き進むことではない。

「寄せに行く」=最速とは限らないのだ。
 むしろ、手厚さこそが早さであることもある。

「手厚さ」=「明快さ」=「早さ」
 盤上を制圧してしまえば、時間なんていらないのだ。
 と金を作って寄せるだけなら30秒もあれば足りるだろう。
 ギリギリの寄せというのは、将棋の面白い部分ではあるが、(特に短い時間の)勝負の上では、「寄せ」だけにとらわれないという意識も重要だ。

「寄せて勝とうとすることは大変だ」
 それは問題を解くのと同じだから。
 詰みを読んでいると知らず知らずに時間を消費してしまう。必至か詰みかというのは常に難しいテーマだが、許されるなら詰みは相手の手番で読むことが望ましい。
 実戦においては駆け引きも大事で、相手の力も利用した方がよい。
 楽して勝てではないが、自分だけが問題を抱えて苦しむ必要はないと思う。


端攻めミスディレクション

2022-05-15 22:36:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「王手がかかるのは嫌じゃないか」

 地下鉄飛車ってそもそも嫌だなと思った。
 また、形勢に自信がある終盤戦で逆転負けする時には、よく端が絡んでることに最近気がついた。逆に、形勢がわるい時、居飛穴相手に端攻めすると意外と勝てたりすることもある。特に、時間の短い将棋では端攻めは有効だ。穴熊や美濃囲いの弱点が端であることは間違いない。

(端を攻めただけだ何とかなっちゃう)
(どうかしてしまう)

 中央辺りをみている時に、突然端を攻められたらびっくりするのではないか。視野が狭くなる。(大事なものがみえなくなる。ハンカチが落ちていても見落としてしまう)迷う。(時間を使う)嫌になる。弱気になる。怖くなる。
 恐怖や迷い。これはミスが出る要因になる。

「端攻めって何かよくわからないじゃないか!」

 色々利いている。玉が近い。色んな攻め。色んな受け。謝る手。手抜く手。逃げ出す手。上に逃げる手。下に逃げる手。攻め駒を攻める手。頑張る手。17の歩って何で取るの? どの場合は受かるの? どうならつぶれるの?
 よくわからないから、逆転も起きやすいのは当然だ。

(問題があったら端を攻める)
 というのは正しい。元手がかからないことも大きい。
 端というのは、一番端っこだけど一番複雑かもしれない。端攻めに対する理解を深められたら、確実に香車一本くらい強くなるのではないかな。


~自信がないと(意志が曲がり)返事ばかりになる

「意図、線が通っていることが大事」

 攻めは連動性、一貫性が大事だ。
 さっきはと金を作り、次は桂頭を攻め、今度は飛車を追う。その場その場で適当にみえる手を指していたら上手くいかない。部分部分は正しくても筋が通っていなければデタラメになるのだ。
 行き当たりばったりと臨機応変は違う。
 自信がなくなると自分の手を指せなくなる。常に迷子の中にいるような状態で、前に指した手のことも忘れ、相手の手に返事ばかりするようになってしまう。よい手を指すためには、自分をしっかり持っていることが大事なのだ。


僕も龍になりたかった

2022-05-06 16:12:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 相振り飛車を思い描いて指していると、相手はいつの間にか「こいなぎ流」の右玉陣形になっていた。飛車先が保留されているため、向かい飛車から逆襲することもできなかった。僕は囲いを木村美濃にした。ゆっくりしていて玉頭から攻められる展開は嫌で、左から雀刺しの陣を作って端から攻め込むことを狙った。すると相手は、歩を突き捨て桂をポンと跳ねてきた。単純で軽い攻めなのに、二枚銀の弱点を突かれたようで嫌な感じがした。仕方なく僕は美濃の金をよろけて中央を受けた。(不本意な金寄りだ)気がつくと飛車交換になっていた。軽い成り捨ての手筋をあびて飛車を打ち込まれる。やむなく僕は自陣飛車を打って駒損を逃れる。

「まだまだこれからよ」

 そういう風にみることもできる。駒損をせずに、決め手を与えないようにじっくりと指せれば、チャンスは残せるだろう。しかし、こちらの方が時間がない。予定ではない展開になったことで、勝ちにくい将棋になっていた。

「そういう陣ではないんだよ」

 雀刺しの陣が、世界の隅っこにもの悲しく残っていた。自分から攻め込んでいくつもりだったのに、一方的に受けている展開は辛いものだ。

「僕も早く竜になりたい」

 そうして相手の竜に自陣飛車をぶつけてさばきを狙った手が、敗着になってしまう。(先に相手の角道を遮っておくべきだった)
 決め手の角切りをあびて、自陣は完全に崩壊した。
 辛抱が足りない。しかし、敗着の他に敗因はある。

「相手の角桂が大いばりする展開になったこと」

 雀刺しの陣が不発に終わったことに対して、相手の陣のよいところを最大化させてしまったこと。やはり、それに尽きるのではないかな。




●鍛えるところを意識する ~生き様をイメージする

 筋肉を鍛える時、鍛える箇所を意識して行うと効果が増すという話がある。将棋の上達も同じようなものだ。漠然と勝利を目指してやっていても、なかなか強くなることは難しい。もう少し、日々具体的なテーマを持って戦う方がいいだろう。テーマは、何でもいい。

 よーし右四間飛車を撃破するぞ。よーし、居飛穴を退治するぞ。よーし、相振り飛車で作戦勝ちするぞ。よーし、端攻めを玉で受けて受けきるぞ。よーし、時間で勝つぞ。よーし、自陣角を打つぞ。よーし、手厚く指すぞ。よーし、盤上を制圧してやるぞ……。
 とにかく前に「よーし」とつけて気合いを入れることが大事だ。

「よーし、3回指して3連勝するぞ!」

 そんなテーマだっていい。
 鍛えたいところ、理想や生き様をイメージして指すと、ただ漠然と指すよりもモチベーションが上がり、学習密度もアップするはずだ。
 そうそう勝てるわけじゃない。

(勝ち負けなんて大した問題ではない)

 それよりも、いい手を一手指せるという方が重要だ。


【将棋ウォーズ自戦記】相振り飛車とわっしょい問題

2022-05-04 03:47:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 角道を止めると相手は三間飛車に振ってきた。振り飛車党にとって、いきなり問題の局面だ。自分が振り飛車を指したかったのに、角道を止めたすぐ後に振られると、先を越された感がある。先手には、居飛車でいく道と自分も飛車を振る道が残されている。僕はここでしばし指を止めて考えてしまう。(そんなこと最初に考えておけ)それはそうなのだ。僕が気になっているのは角道を止めた一手だ。居飛車にしろ振り飛車にしろ、いずれにしろ、それは作戦の幅を狭めている意味もある。迷った末に、結局僕は四間飛車に振ることにした。

 相振り飛車だ。こちらが駒組みを進める間に、相手は軽快に飛車先の歩を交換してきた。三間から向かい飛車に転じて気がつくと先に2歩持たれていた。(後手番なのにな)相振り飛車というのは、何となく進めていると作戦負けになっていたり、一方的に攻められることがある。主導権を握って戦うことはそう簡単ではない。僕は四間飛車から向かい飛車に振り直した。(これは手損ではないか)でも、振り飛車にはよくあることだ。

 向かい飛車にして飛車先の歩を交換した。すると相手は美濃囲いの頭に歩を打って受けた。飛車の引き場所は4カ所あり、場合によってどれも有力である。ここも相振り飛車で問題になる陣の構想だ。1つ引いて中段飛車は、右辺の攻めを牽制する狙いがあり、また端歩をぶつけて攻めることもある。2つ引いた浮き飛車は、角頭(桂が跳ねた場合の桂頭)をケアし、また角頭の歩を突くことで飛車の横利きを通すこともできる。3つ引くと飛車の横利きは極端に少なくなるが、相手の角筋を避ける意味や桂を跳ねた時に紐をつけるというメリットがある。4つ引くと元の位置に戻り、自陣全体に飛車の横利きが通ってバランスもよく無難である。もしも桂が跳ねている場合には、これに一段飛車という5つ目の選択肢が加わることになる。こういうちょっとしているようで多分大きなところは、慣れてくると感覚的に選べるようになるのだろうか。3分切れ負けのような短い将棋では、考えるよりも感じなければならないことがほとんどだ。

 僕は飛車を元の位置に戻して角道を通した。すると相手は止めたので少し安心した。角がにらみ合っていると何をされるかわからないし、こちらが何をしていいかもわからないのだ。僕は角を66のポジションに運んで、桂を跳ねた。すると相手は右の端歩を突いてきた。僕は左の端歩を突いて端攻めをした。この瞬間、こちらの角のみが働いているので作戦勝ちを超えて優勢になった。美濃囲いに対して1歩持って飛車角桂香の攻めが実現すると単純に数で受からないのだ。

 端はつぶれた。相手はやむなく角道を通して戦線を拡大してきた。僕は角を交換して再度66ポジションに据えた。すると相手は飛車をよろけて石田の構えで桂取りを受けた。その時、僕の持ち駒には桂があり、受けるにしても薄い受けだ。しかし、こういうのはミスディレクションにもなり得る。たくさん隙があっても突けるのは、1つだけだ。

 少し迷った末に、僕は端を置いて飛車取りに桂を打った。B面攻撃だが、既に端を乱しているので右辺を攻めることで迎撃の陣を取る狙いがあった。飛車取りに角を成り込むと相手は世界の端っこから角を打ってきた。99の地点は端攻めによって生じた穴で、飛車が動くと馬をす抜かれる。この筋があることによって、局面はやや複雑だ。(もしも、飛車の引き場所がもう1つ上だったら……)これを結果論とするのは間違っている。端を攻めることも、角交換になることも、その陣からは既に明白な未来予想図として描けるものなのだから。

 僕は馬で飛車を取り、相手は飛車を取って馬を作った。飛車交換となり敵陣に飛車を打ち合う展開となったが、端を壊している分、こちらが優勢だった。以下、馬を引いての抗戦にベタベタと成桂で迫り、数の攻めによって相手の美濃は崩壊に近づいていた。すると相手は桂を取りながら中段に竜を作ってきた。

(寄っているはずだが……)

 残りは互いに30秒ほど。右辺から金銀をはがす。囲いを失った玉は端から逃走を図る。残り20秒。竜が邪魔だ。僕は金を打ちつけて、竜を消しにかかる。同じく竜。同じく歩。そして玉が端から抜けて上がってきた。10、9、8……。駄目だ。詰みがない。

「時間切れ負け」

 竜へのアタックが遅すぎた。
 寄っているようで、時間的に届いていない。もしも、対抗形の戦いで、玉が端から上部脱出を図ってきたとしたら……。美濃の頭の歩を起点にして、すぐに頭金にたどり着けるだろう。

(囲いは寄せの最後の武器になる)

 ところが、相振り飛車の場合、飛車がさばけて敵陣に入っていると玉頭の勢力が手薄になってしまう。本局のように端を攻めたりしたら、攻めた後だからむしろみんないなくなっている。そうした陣では、上部脱出の可能性、脱出阻止の難易度もぐっと増すのだ。それが相振り飛車の終盤を戦う上で、重要なわっしょい問題である。

「寄っているだろう……」

 上部に美濃や銀冠が待っている対抗形の将棋と同じような感覚で寄せを乗り切ろうとすると、するすると上に抜け出されてあれっあれっという結末になってしまうことだろう。「寄せ」には盤面全体の陣が関わってくるものだと思う。







~反省は冷めない内に

 一局の将棋が終わるとすぐに感想戦が始まる。今までは駒を通してしか語れなかったものが、そこでは実際の声を通して語ることができる。後悔、疑問、反省、互いに素直な気持ちをぶつけ合いながら、有力な変化について形勢を議論する。実戦に現れたものよりも魅力的に感じられる展開もあって、許されるならそう進んだ世界もみてみたいと周囲に思わせる。

 感想戦は戦いが終わってからすぐにでも始めなければならない。一度解散してから始まることはないからだ。棋譜としては残ってもその時の心のあり様までは記録されていない。それはその場にいる大局者のみに理解できることであり、心と一体化した指し手の検証こそが重要であるに違いない。

 感想戦には終わりがない。玉が詰んだとしても何度でもやり直すことができるからだ。激しい斬り合いの直後でも、一局終われば互いに棋理を探究する仲間でもあるのだろう。

 将棋ウォーズに感想戦はない。負けて熱くなれば次に進むのが人情だろう。しかし、負けて熱い内にこそみておくべきことはあるのではないだろうか。


【将棋ウォーズ自戦記】弾丸的戦術 ~筋違い角の強襲

2022-04-18 01:08:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 立ち上がり早々に筋違い角を打たれた。とりあえず角を成られないように。角の退路をみて銀でも押し上げて。こちら側に用意されているビジョンと言えばせいぜいその程度のレベルだ。一口に筋違い角と言っても、角を打った後の引き方、飛車の使い方、玉を囲う方向など、様々なバリエーションがあり、その辺りを見極めて対応を練るのが本筋だが、時間がない中ではいきなり迷子である。それに対して相手の指し手の速いことと言ったら!

  1秒でも遅くはないが、0.3秒だと圧倒的に「速い」と感じられる。そのスピード感に慣れていないとまさにそれだけで「圧倒」されてしまいそうになる。そのスピードの源は「経験」だ。ちょっとマニアックな戦法の使い手は、だいたいその道のエキスパートで、圧倒的な経験を武器にした「超早指し」であることが多い。

 僕はふらふらと二枚銀を中央に繰り出して筋違い角の頭に狙いをつけた。しかし、そこは銀が守っているし角の下は四間飛車となっていて憂いは少ない。こちらが中途半端な矢倉に囲う間に相手はしっかりと美濃に組んでいる。

 これというビジョンもないままに、右辺から激しい戦いになって、さばけているのはどうみても筋違い角の陣だった。圧倒的な「スピード」の前に振り切られて、瞬く間に投了もやむなしとなった。足りなかったのはそれなりの対策と陣、超早指しについていくメンタルではないだろうか。



 ~弾丸的戦術

 本格的な持久戦となると中盤の駒組みで時間を奪われる。例えば角がにらみ合って手出しが難しいような状況。(相振り飛車など)千日手模様になったり、仕掛けのタイミングをはかって駆け引きするような状況は厳しいものがある。下手をすると中盤辺りで時間が切れそうになり、それはまずいとみて少し無理でも仕掛けていくという将棋になることも多い。

「だったら最初から仕掛けていこうよ!」

 ということもあってか、3分切れ負けではわかりやすい攻撃的な戦法(時に奇襲)に割と人気が集まっているように思える。棒銀、右四間飛車、右玉、原始中飛車、筋違い角……。
 多くの棋士にとって、将棋は攻めた方が楽しいものだ。
 相手より経験値が高くて攻めていれば、時間だって飛ばせる。短い時間だからこそ、自分のペースで戦えることは何より重要なことかもしれない。








~10分で言い訳はできない

 忙しい現代人にとって僅か6分で一局が消化できる「3分切れ負け将棋」はとてもありがたい形だ。6分以内と言っても実際にはもっと早く終わってしまう場合も少なくない。相手のスピードによっても大きく変わってくる。終局するとは言え、必ず詰みまでいくというわけではなく、あまり考えすぎてしまうと中盤に入るところで時間切れになったりもする。

 必勝の形を築きながら、王手ラッシュをあびて無念の時間切れという経験は誰にでもあるだろう。(僕の場合はだいたい半分以上は時間切れで負けているかもしれない)詰む詰まないまで進むということは、それだけでもわるくないことだ。

 ちゃんと将棋で終わらないというところは、不満に感じる人も多く、不完全燃焼では許せなければ、他のルール(10秒将棋や10分切れ負け)の方を選ぶべきだろう。3分切れ負けのサクサク進むリズム(駆け抜ける感じ)はくせになるところがあり、時間に余裕があるという状況でさえも気がつくとこちらを選んでしまうことがある。一局にかかる時間が短いということは、ある意味では気持ちも軽い。負けてもそんなに疲れがないのだ。

 たまにはもっと内容のある将棋を指したい。
 3分切れ負けばかり指しているとその反動からか、そういうことを考える日がある。たまにはちゃんと腰を据えて、お茶でも飲みながら「読み」を伴う将棋も指した方がよいのではないか。
 10分の将棋は3分に比べると急に重くなった気がする。20分互いにフルに使い切って終わる戦いばかりではないが、だんだんと削られていく時間をみているとハラハラする。そうした状況の中で苦しみながら「考える」という経験こそが、将棋の上達には大切なことではないだろうか。

 しっかりと「悩んだ時間」があるからこそ、終わってからの反省や納得するものもぐっと深まるものがあり、将棋の理解として身につくのではないか。少しは考えて指した手(結論)が冴えないものなら、それは実力として受け止めねばならない。
 3分で広く経験値を上げ、10分で力を深めていく。そうした使い分けはいかがだろうか。


ちょんまげの失敗 ~玉頭のデュエル

2022-04-13 04:00:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 人間は社会的な生き物であると言われる。心の健康を保つためには人とのつながり、コミュニケーションも大切であるらしい。鴉が夜明けを告げる頃にも、将棋ウォーズの世界では活発な対話が繰り返されていた。

「よろしくお願いします」
「僕は振り飛車でいくぞ」
「だったら私は居飛車でいこう」

 僕は三間飛車で、相手は居飛車できた。

「ふふ三間飛車か」
「恐れるがよい」

「ふん、誰が恐れるものか」

 相手は角道を止めた。僕は美濃囲いを急いだ。

「石田にしたければするがよい」

「別に石田に執着はしないよ」

 相手は飛車先を一つ突いたきり保留している。そうした時、僕はいつも迷いの中に置かれることになる。石田流は魅力的だ。しかし、相手はそれを少しも嫌がっていない様子だ。むしろ歓迎しているようでもある。もしかしたら優秀な対策を用意して待ちかまえているのではないか。それならそれでそれを体験することもわるくはない。もしも、次も突いてこなければ、石田流に組むことにするか。そうしたことを毎回、考えながら三間飛車を指している。居飛車党の相手も、すぐに飛車先を伸ばしてきたり、ずっと突いてこなかったりと様々だ。

「私は位を取ってやろう」
「だったら石田に組んでやるぞ」
「ふん、石田が何だと言うのか」

「恐れるがいい」
「石田の飛車より、私の角の方を恐れるがいい」

 相手は一度止めた角道を通しながら取った位の下に角を据えた。

(44角)

 角というのは、できるだけ真ん中にいた方が「利き」が増えてよく働くものだ。石田流の76飛車よりも脅威になるという話にも一理あった。その睨みが、端や玉頭に利いて僕は恐ろしかった。完成させた石田流のことは置いといて、美濃のこびんを開けた。

「矢倉に組み替えるぞ」
「ふん、隙あり!」

 相手は僕が突いた歩に対していきなり歩をぶつけて仕掛けてきた。同じく歩。ここはおとなしく収める他はなさそうだ。

「いいでしょう。どうぞ一歩交換してください」
「これはありがたい」

 角を追い返し銀を立つ。すると相手は玉頭の歩を伸ばしてきた。一歩渡したことを考えると、端攻めが恐ろしくなった。矢倉ではなく、金冠というのはどうだろうか。僕は矢倉から更に囲いを発展させるため玉頭の歩を突いた。

「手厚くしてやる」
「隙あり!」

 相手は間髪入れず玉頭の歩を突いて仕掛けてきた。既にその時には角銀桂という攻撃の陣が玉頭に整っていたのだ。取れない……。(玉頭に突かれた歩を取れない時はだいたいまずい。これは玉頭戦における基本だろう)やむなく僕は、ちょんまげの下に金を運んだ。傷はできるが戦いはこれから。

「金冠をつくらせてもらおう」
「許さぬ!」

 相手は玉頭にぶつかった歩をそのままにして、その隣に歩を合わせてきた。(高段者の証だ)玉頭に拠点を築かれることを甘受して乗り切ろうとした読みは、完全に崩壊した。

(合わせ歩の手筋)

 その歩を取ると銀が進出して、玉頭ちょんまげ地点に角銀歩が集中して寄ってしまう。やむなく僕は最初にぶつかった方の歩を取った。

「許してください」
「そうはいくか!」

 相手は歩を取り込んだ。同じく銀は銀が詰んでしまう。(銀をかわすのが勝った)僕は同じく金と応じた。まだどこかで落ち着くことを願っていたが、現実はもっとシビアだった。

「少しゆっくりしませんか」

 相手は聞いていないようだった。激しくなるほどに、左辺の石田流が置き去りになってしまう。

「ここは私の戦場だ」
 相手は金頭に歩を打った。

「そうか……」

 拠点をつくられながら攻められるんだな。読みを超えて繰り出されるパンチに疲れながら、金をよろけた。

「これでどうだ!」
 相手はよろけた金の頭に桂を跳ねてきた。

(銀が詰んだ!)

 玉の側にまだ運べずにいた金が銀の退路を封じていた。
 強固に発展させようとした銀がはがされてしまうことは痛すぎる。拠点が残った上に、駒損して囲いが乱れ金駒を渡してしまった。勢力で優位に立てば、玉頭戦は押していくだけでいいのだ。

「とても勝てる気がしない」

「思い知ったか!」

 以下の相手の指し手も鋭く明快で、どんどん前進してくる駒に何もすることができなかった。左辺では石田流の飛車がしょんぼりと残ったままだった。(さばきの機会は永遠に訪れない)囲いの陣が崩壊してしまえば、石田の陣も同時に崩壊してしまう。堅さ、囲いの安心という大義がなければ、強いさばきは成立しないのだ。

「負けました」

 圧倒的な大差で夜明けのウォーズは終わった。
 対話の終わりには、口惜しさが残っている。
 僕はもっと陣を学ぶ必要があった。
 美濃がどうやって崩れるか、どうやって修復するか、三間飛車がどうやって攻略されるか、石田がどうやってさばけるか、エルモがどうやって崩れるか……。すべては陣を知ることから始まるのだ。そこには序盤も終盤もない。なぜなら、陣はどこまでもつながっているのだから。

「ねえ、棋神さま。そうでしょ?
 美濃も石田もエルモもミレニアムも……、
 陣はつながってますよね!」

「今は忙しい!」
 また今度にしろと棋神は答えた。







●陣を知ること ~築いた時から始まっている

 序盤なんて知らない。早く終盤になればいいのに。定跡なんて関係ない。詰めチャレばかり解いて強くなってやるんだ。そう考えている棋士もいるのではないか。だけど、名人も言うようにどんな将棋も必ず序盤から始まるもので、終盤までいく前に終わってしまう(大差になってしまう)ことも少なくはない。

 僕は酷い負かされ方をした局面は、必ず振り返って反省するようにしている。(一方的に負かされるのは自分の方に明らかな悪手があるので反省も容易だ)間違えたところを写真に撮って、また次の日に見返すこともよいだろう。指し慣れた展開に比べて、経験の浅い局面では悪手が出やすくなってしまう。

「陣を知ること」

 それが大事ではないか。初見の形を少なくしていくことが、序盤の進歩につながると考えた。陣はつながっている。みんなどこか似ているし、つながっているところがある。多くの陣に触れることによって、応用力がつくはずだ。
 こういう形はここが急所、こうして崩れ、こうして詰むのか……。序盤の研究をしているはずが、気がつくと「終盤」になっていることがある。そして、序盤のセンスと題したアルバムに終盤の寄せの写真ばかりを保存している自分に驚かされたこともあった。

「もうすっかり終盤じゃないか」
(囲いは崩壊の始まりだ)

 序盤の囲いは、簡単に詰まないために囲うものだ。つまり、それは終盤を見据えているということだ。どんな囲いも終盤に行き着くことを避けられない。囲いの築き方も、崩し方もつながっている。序盤と終盤を切り離して考えることはできないのではないか。あらゆる陣は序盤から終盤まですべてつながってできている。

「築いた時から始まっている」
 陣を甘くみていると終盤まで競ることも難しくなってしまう。

 


人間将棋 ~一手を責めないで

2022-04-07 02:54:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 あちらこちらに位を取られていた。居飛車の圧をひしひしと感じて石田流の飛車はさばきの道を見失ってしまった。
(まずい。自爆してしまいそう)
 動けば動いた分だけ酷くなりそうだ。僕はさばきの失敗を自認し、少しでもチャンスを残せるような順を探った。何もしない方がいい。そして、僕は居飛車陣の隅にパスのような歩を垂らした。居飛車が手を作ってくる間に、それはと金に化けた。どんなによくてもよさを広げていくことは、それなりに難しいもの。3分切れ負けのような短い将棋では、尚更のことだ。さばけなかった飛車が世に出るチャンスは、やがて訪れることになった。

「飛車を取ってくれた!」

 居飛車の角に取ってもらえたことで、飛車の顔は立った。居飛車の飛車に成り込まれもしたが、僕は自陣に二枚角を打って一枚の飛車を奪うことに成功した。

「飛車が入った!」

 回り回って石田の飛車が敵陣で竜となった。
 残り1分。突然、最終盤となり1チャンスが巡ってきた。一段金で居飛車玉に王手をかけて、桂をさらった。
(詰めろだ!)
 それは次の一間竜をみて多分詰めろになっているはずだった。
 けれども、相手はこちらの玉に詰めろをかけてきた。
 これは逆転がきたか……。
 9手詰め。詰みの構図が頭の中に描かれた。

「王手!」

 一間竜から合駒を請求し、取れない銀を放って拠点を築くと竜を切った。同じく金には頭から銀を打って……。
 その時、相手は取れる竜を取らず玉を真横によろけた。(それは読みに全くない手だった)

「うわぁ~、なんだこりゃー!」
 10、9、8……。
 7秒しかない!
 でもわからないよー!
 読みにない応手に、僕はすっかりパニックに陥ってしまった。詰んでくれ! 祈るように王手をかけるが、相手の玉はするすると抜けていく。駄目だ……。

(時間切れ)

 負けた。やっぱり負けてしまった。負けるべくして負けた。1チャンスだけをとらえて勝つことは簡単じゃない。



 AIの最善手が何だって?
 評価値がひっくり返ったからどうだって?

 棋士は長い一日を通して、あるいは一つの人生をかけてずっと独りで戦っているんじゃないか。最後の最後になって、たかが一手を間違えたからそれがどうしたって言うんだ。戦っているのは人間だろうよ。人間には人間同士の戦いがあるんだよ。思い描いた夢や構想が、育て上げてきた大切な物語があるんだよ。たった3分の将棋ではない。その場その場で次の一手を考えて指すわけじゃない。そりゃ敗着は最後の方にあるだろうさ。だけど、本当はそこじゃないよね。戦った者同士なら、そことは違うってわかるはずさ。

「ねえ、棋神さま。そこじゃないよね」

「今は忙しい!」

 棋神さまは取り合ってはくれなかった。
 僕は残り7秒の局面を改めて振り返ってみた。
 驚いたことに1手詰みだった。玉の左から金を打てばどこにも逃げ場はないのだった。その時、僕は敵陣の金を取って王手をかけたのだ。竜が動いたがために、逃げ道ができてしまった。より厚く詰ましたいという心が、欲張りな指し手を選ばせてしまった。(詰んでいたのに……)1手で詰んでいる玉を、苦心して詰まそうともがいている内に、不詰めになっていた。そんな不思議なこともある。寄せというのは、侮れないものなのだ。理屈では動くはずのない駒も、理屈を超えて動き始める。だから、人間将棋は面白いのだ。




~飛車の生き方(身の振り方)

 振り飛車党というものは、常に飛車の存在を気にかけておかねばならない。飛車がどういう運命をたどるのか。それは一局の将棋の命運にも等しい。飛車はさばけるに越したことはない。敵陣の一線で強力な竜となる。それは理想だろう。竜となって中盤を制するような生き方もあるだろう。あるいは、自陣にまでかえり自陣竜となって長い終盤を戦うような生き方も考えられる。 

 竜にはならず、守備的な飛車として自陣で生きるという形もあるだろう。その際、重要なのは縦よりも飛車の横利きが通っていることだ。
 直接敵陣に成り込まず、相手の駒との交換によってさばけるという生き方もある。例えば、居飛車の角との飛車角交換。角となって生き直すこと。これも振り飛車のさばきとして重要なテーマである。

 最も残念なのは、戦いには加わらず忘れられてしまうことだ。例えば、多少の駒得に心を奪われて大事な飛車の存在を忘れてしまう。そうしたさばきで勝ち切ることは難しい。あるいは、何とも交換にならず、ただで取られてしまうような最期もできれば避けたいものだ。取り残されたり、取られてしまうのも痛いが、攻撃の目標となったり負担になったりするのもまずい。(飛車を逃げ回る手が続くような展開はだいたい攻撃側のペースであることが多い)

「飛車をみておく」
 飛車の生き方を常に描いておくこと。そうしてこそ真の振り飛車使いに近づけるものだと思う。


銀かけられますか ~王手に似た先手

2022-04-02 03:00:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 例えば41銀と囲いの金に銀をかける一手がある。
 要の金を狙うのは寄せの基本。
 金をかわされて銀は助からない。(駒損が避けられない)だから、序盤の感覚では、まず銀はかけられない。序盤でそれをやれば、普通に大悪手になるだろう。ところが終盤においては、銀をかける手はだいたいよい手であり、それに対して金をただ逃げるような手はだいたい悪手になるのだ。
(先手で拠点が入ることが大きすぎ、ほとんどの場合、銀を回収するような時間が訪れないから)

「かわす手は利かない」ありがたい。
 そういう嗅覚が終盤のセンスだろう。

 囲いの金に銀をかける。
 終盤ではだいたいよい手、時に性急、希に無効。
 その辺りの見極めに長けた人を、終盤が強いと言うのだと思う。