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眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

【将棋ウォーズ自戦記】地下鉄飛車対中段玉

2022-03-31 01:13:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 三間飛車に振る。駒組みの中、相手は角を中段に上がってきた。この場合、考えられる居飛車の作戦は玉を低く構えるミレニアムか地下鉄飛車だ。僕は左銀を押し上げて右辺に繰り出していった。四間飛車と違って、三間飛車は、銀のポジションを後で決められるところが面白い。腰掛けてもいいし繰り出してもいい。場合によっては引いて囲いにくっつけるという指し方もあるだろう。

 相手はどうやら地下鉄飛車の構えだ。流行っているのだろうか。それとも同じ相手に当たっているのだろうか。やたらと地下鉄飛車に遭遇することが多い。僕は金を左に開き中飛車に振り直すと繰り出した銀を使って中央を攻めた。地下鉄飛車で一方的に玉を攻められるような展開は不満だ。

 とりあえず中央を制圧したところはポイントだろうか。相手はそれには構わず引き飛車から地下鉄飛車に転回してきた。僕は美濃こびんの歩を開けて、飛車の下に角を引いて端に利かした。これでとりあえず端攻めは怖くない。と思っていると相手は端歩を突いてきた。同じく歩に対して玉のこびんに歩を垂らしてきた。この歩は僕が中央を制圧したことによって生じたもので、世の中いいことばかりではないようだ。とは言えそれほどの攻めにはなるまい。備えているはずのところを攻められ、少し動揺しながら香で歩を払った。すると相手は端に角を飛び込んできた。

強襲だ! 

 こうした角切りの攻めは相振り飛車などでないことはないが、玉飛接近の地下鉄飛車では反動もきつそうだ。しかし、思わぬ強襲に僕はすっかり取り乱していた。わけもわからず角を桂で取ってしまった。ここは玉で取って香が走れば引いておく手だった。端だけ破られてもそれほど厳しい攻めにはならないのだ。玉は戻ることができるが跳ねた桂は戻れない。そこが大きな違いだ。

 相手は桂の頭に香を打って攻めてきた。厳しいのかどうかもわからない。受けの形がわからず焦る。わからないまま香の横に角を打った。すると相手は桂を取って角の頭に桂を打ってきた。

王手だ! 

 下に逃げて十分だったが、僕は何を思ったかふらふらと玉を上がってしまった。地下鉄飛車の脅威に自ら近づいていく大悪手だ。相手は歩を突いて桂を支えた。もう行き場がない! 詰んではいないが、半分詰んだような形になってしまった。上には地下鉄飛車、桂の利きで下には行けない。横には自分の打った角がいて逃げ道を封じている。

「いったいどうすればいいんだ?」
(中段玉受けにくし)

 攻め合いか? この状況でそんな手が? 受けも攻めもまるでわからない。時間だけがどんどんなくなっていく。とにかく何か指さなければ……。わからなくても何か指すこと。それが切れ負け将棋で逆転するコツだ。少しでも時間を残しておくことが相手にもプレッシャーとなり、何かが起こることがある。

 僕は居飛車の玉頭に歩を突っかけた。よくなったとしても、決め手がみえなければ逆に焦るものである。それから相手は攻めを誤り、僕も受けを間違えながら混戦になった。居飛車の玉頭に香で狙いをつけ、中央の拠点から香を打ち込んだ。おまじないのような香だった。相手は金を渡して詰めろをかけてきた。金が入ればもしかして……。僕はその時、頓死の筋があることに気がついた。大慌てになりながら玉頭に金を打ち込んだ。10手ほどかかかるが、紛れはほとんどない。残り一手。1秒残っているので少し余裕があった。(0秒だと詰む場合もあるし切れてしまうこともある)どんな形でも詰まして終わるのは気分がよい。
 3分切れ負けの将棋では、強襲を受けることも恐ろしい。とは言え受けの勉強にもなるので、どんどん攻めてくる相手はありがたいものだと思う。






●道をみつける ~はやみえとは

 3分切れ負けや10秒将棋など短時間の将棋は、手のみえるみえないで勝敗が決まるのだろうか。あるいは反射神経のよい者が勝つのだろうか。勿論、直感力や閃く力というのは必要だ。それは冴えであり強さでもある。また、読みにない手が飛んできた時に正確に返すためには反射神経も必要であるが、「読みにない」ことで動揺してしまっては力が出ない。その意味では、メンタルだとも言える。

「ああそんな手があったか」
(時間に追われてたから、みえんかったから)仕方がない。
 おしまい。さあ、次行こうか。

 以前は僕もそのようなことしか考えられなかった。一手がみえなかったから負けた。確かにそういうことも多いのだが、ただ一手一手のせいだけにして終わらせてもよいものだろうか。

 AIは一手一手の最善手を示す。最善手を積み重ねることが、勝利に近づくことだと信じられている。しかし、人間は一手一手、その場その場、個々の点で戦っているわけではない。一つ一つの駒をバラバラに動かしているわけではない。延々と次の一手問題を解いているような実戦はあり得ないだろう。そうした態度は効率的ではないし、まともな将棋にもならないはずだ。

 人間にとって重要なのは線であり、自分の道なのだ。予定通りの道を進んでいる時、人間は特に時間を必要としない。ノータイムでビシビシと飛ばすことも可能だ。
 一番困るのは、指し手が沈黙することだ。現在地を見失って迷子になってしまった時だ。(形勢が不利でどう指してもわるいという状態の話ではない)

「いったい何を指したらいいのだ?」
(どこへ向いて進んだらいいのだ)

 自分の実戦でも、そういう状態の時ほど時間を使ってしまう。10秒なら悪手を指すだろうし、切れ負けでは極端に時間を消費してしまう。(切れ負けの勝負は一手一手のコンマ何秒の差よりも、止まる時間をいかに短くするかだと思う)

「何かいい手はないかな?」

 まさに次の一手問題に当たっているようなもので、そこには既に自分の道(ストーリー)がない。いい手を探そうにも、何もないところに着目していてはみつかる理屈がない。
 その時、本当にみつけるべきなのは、道(方針・構想)の方なのだ。どうにかして早く自分の問題を発見することだ。(短い時間であれやこれやというのは難しい。最も大事なことだけ決まればいい)
 求められるのは次の一手ではなく、自分の道だ。

「いかに自分の道をみつけられるか」
 それも含めて(はやみえ)ということになるだろう。
 道をみつければ手はあとをついてくる。


地下鉄飛車を信じられなかった

2022-03-25 02:55:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 角道を止めて三間飛車に振った。世の中には角道を止めない棋士もいる。棋士の数だけ角の道は存在している。ずっと開き合ったままの者、すぐに換えてしまう者、引いて使おうとする者、3手も4手もかけて転回させる者、すぐに切りたがる者、すぐに手放す者、筋違いに打ちたがる者、ずっと隠して取っておく者、何が何でもこじ開けようとする者、頭めがけて銀を繰り出す者、位の下に据えようとする者。

 相手は急戦を匂わせながら持久戦模様の駒組みをしてきた。駒組みを進める間にも貴重な時間が奪われていく。囲いの進展も短い将棋では高速で行う必要がある。僕は独特な銀冠を作り上げた。相手は美濃でも穴熊でもなく、弱げな形を作り上げた。僕は銀冠の桂を跳ねて端の香を上がった。(いつでも地下鉄飛車を狙える構えが完成した)

 駒組みが一段落して相手は仕掛けを狙ってきた。僕は角を引いて石田流の構えを用意した。相手は角道をこじ開けて角を成り込んできた。馬ができた。香損した。代わりに僕は石田の飛車先から歩を成り込んだ。すると相手は同じく桂とした。僕は桂頭に歩を打った。すると相手は桂の下に歩を謝ってきた。駒損の回復が急務とばかりに、僕は手拍子のリズムで桂を取った。同じく歩に対して、石田のさばきとばかりに左桂を活用した。それぞれの主張はそれなりに正しかったが、合わさった時には最悪の選択になっていた。

 桂を取るなら、その後には飛車を下段に撤退させる形で桂を守り、次には地下鉄飛車の構想を実現させるべきだった。駒組みの段階では着々と地下鉄飛車の陣形を完成させながら、いざ戦いになると地下鉄のことなど忘れ、通い慣れた石田の道に戻ってしまっていたのだ。自分の中に地下鉄飛車に対する信頼が欠けていたことも原因だろう。

(石田流のポジションに執着しすぎてはならない)
 仮にあくまで石田流として飛車を使うつもりなら、飛車先の拠点をすぐに解消すべきではなかった。(仮に駒損の回復に失敗しても)

 手拍子で清算してしまったことによって、居飛車の歩が前に伸び石田の飛車が不安定になってしまったと、居飛車の飛車の横利きが受けに復活したことが大きかった。

 窮屈さを感じながらも僕は石田の飛車を中段に浮き、飛車をぶつけてさばくような形を狙ったが、居飛車は持ち駒に歩も香もあるのでさばくことはできない。逆に馬との上下挟撃によって石田の飛車は助からない。僕は十字飛車の筋で玉頭戦に持ち込むことで、難局の打開を図った。ある程度それは成功したようでもあったが、時間のある将棋では完封されていたに違いない。終盤では時間に追われて寄せの勝負手を逃し、最後は無念の時間切れ負けとなった。
 さばきのバリエーションを広げるためにも、地下鉄飛車の経験値は積んでおくべきだと思う。



●全力はそう出ない
~瞬時にみえなかったものは結局みえなかったりする

 3分切れ負けで時間切れ負けが続いたら、10分切れ負けでも指してみたくなる。当然、その方が内容がよくなっていなければ困る。3分と比べれば、圧倒的に長く感じられるので、序中盤であまりにも適当な手を選ぶとうことは少なくなる。(考えて結論が出なかったことを後で振り返るととても勉強になる)一度考えていた時間があるので、後でよい手を見つけた時の感動がより大きい。それは10秒や3分切れ負けとの違いかなと思う。

 普段1秒2秒で飛ばしているものが、時間があると考えることができる。あるいは極端に考えすぎてしまう面もあるかもしれない。時間があるだけに、いい手を指したい。納得のいく手を指したい。そう考えるのは人情ではないか。けれども、10分というのは普通に考えれば長くはなく、すぐになくなってしまうような時間だ。考えたからといって、正解にたどり着ける範囲は知れている。

「最善手をみつけたい」

 決断が鈍る。そして、だんだんわからなくなる。迷路の中で徐々に追い込まれていくプレッシャー。時間が「なくなっていく」というのは怖い。(最初からないという方がよほど気楽だ)


~オフライン大会にエントリーするなら

 もしも、あなたがオフラインの大会に出てみようと考えるなら、将棋ウォーズは絶好の修練場となってくれることだろう。

 10秒将棋、3分切れ負け、10分切れ負け、将棋ウォーズには現在のところ3つのルールから選んで挑むことができるが、大会に勝つための力を養うためには、その3つすべてに取り組むことが必要だ。
 まずは多くの失敗を繰り返し経験値を得ることが大切で、なるべく盤数をこなすことで広く形に触れるべきだ。そのためには6分内で消化できる3分切れ負けは、非常によい設定だ。

 大会となると最後はだいたい秒読みになるはずだ。切れ負けと秒読みでは決断の仕方やプレッシャーのかかり方が異なる。3分切れ負けが上手だから、秒読みも上手くいくというわけにはならない。秒読みを想定すれば当然秒読みの練習もしておかなければならない。そのために10秒将棋はとてもよい設定だ。10秒で落ち着いて指すことができるようになれば、1分や30秒将棋は乗り切れるはずだ。

 大会では通常30分、40分といった持ち時間が与えられる。その中で考えたり手を読んだりすることにも慣れておく必要がある。また、失われていく時間の中で最善手を求め決断していくという作業は非常にプレッシャーのかかるもので、そのシミュレーションとしては10分切れ負けの設定が相応しいものとなるだろう。

 トーナメントでは一度負けたらそれっきり。もしも、もう少し時間があったなら、歩がもう1枚あったなら、自分だけ初手から歩を成ることができたなら、好きな時に一間竜を実現できたなら、もしももしもと「タラレバ」を口にしていても後の祭りだ。
 実戦はプレッシャーとの戦いだ。自分の(持っている)力をどれだけ出せるかはわからない。一番よい自分が現れることもあれば、反対に最悪の自分が顔を出すことだってある。
「全力を出す」というのは言うほど簡単なことではなく、どこまで強い自分を出せるかということも実力の内なのだと思う。


【将棋ウォーズ自戦記】エースに任せて

2022-03-24 02:31:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「お前が先手だ」

 角道を止めて三間に飛車を振った。相手は天守閣美濃に組んできた。僕は石田流の構えに飛車を浮き桂を跳ねた。すると相手は銀を腰掛けてきた。僕は角を中央に運び間接的に居飛車の飛車を狙った。すると相手は飛車を端によろけた。そこで僕は石田の横の歩を突いていなくなった居飛車の隙を突こうとした。

 相手は腰掛け銀の斜めから歩を突っかけて暴れてきた。僕は負担になった石田の桂を金を寄って受けたが、強く角をぶつければよかったと思う。攻められていると思うと意識が受けに偏って、広い視野や強くさばく心が失われてしまう。振り飛車というものは最初攻められることが多いのだから、強い心を失ったらさばけないものだ。(もっと心を強く持たねばならない)

 相手は端に桂を跳ねてきた。対抗形の将棋では左辺の桂香は相手に回収される運命にあることも多い。だから、端に活用する筋はどちら側を持っても有力になることがある。以下ごちゃごちゃとした後、僕は敵陣に作った馬で居飛車の飛車を押さえ込むことに成功した。すると相手はじり貧はごめんだとばかりに飛車を飛び出してきた。それによって飛車桂交換という大きな駒得を果たすことに成功した。普段はただ取られてしまうだけの桂が、飛車と交換になったのはとてつもなく大きかった。相手は何とか食いつこうと馬を作り、桂を打って飛車を狙ってきた。

 僕は馬による飛車取りを無視して(金の紐がついている)敵陣に飛車を打ち下ろし、中段に浮いた銀に当てた。すると相手は自陣に歩を打って飛車の利きを遮った。そこで僕はすかさず当たりになっていた自陣の飛車を寄って、浮き駒の銀に当てた。自陣に歩を打ったため、飛車を先手で止める筋がない。将棋はこうした歩を巡る攻防が、勝負を分ける重要な要素になりやすい。

 相手はやむなく銀を斜め前に逃げた。僕は馬を引きつけて出たばかりの銀に当てた。すると相手は馬を前進させて、銀を守りつつ僕の飛車に当てた。そこで僕は飛車を寄って強く馬に当て返した。元々駒得していると強い応対が成立するところが面白い。相手は同じく馬と応じ、それに対して僕も同じく馬と指した。相手は飛車を動かした。僕はさっきいたところに馬を動かし、もう一度銀取りにした。すると相手は銀を成ってきた。僕は馬を寄って飛車と成銀に同時に当てた。
(接近戦では馬は飛車に大きな顔をすることができる)

 相手は遊び銀を取りながら飛車を逃げた。僕は馬で成銀を取った。美濃に馬、これほど心強い構えがあるだろうか。相手は端歩を突いて端に手段を求めてきた。そこで僕は馬をグイッと押し上げて飛車に当てた。同時に天守閣美濃の底を通って端の香にも当たっている。相手は飛車を逃げた。僕は馬で端の香を取った。唯一の攻撃手段も失って、ここで相手は投了となった。

 相手の馬を取り返すところから、僕は馬以外の駒を動かしていなかった。(6手連続だった)将棋の終盤はごちゃごちゃとして難しいものだが、時にはそう難しいことをしない方がいい場面もある。主役にだけ任せておけば上手くいくこともあるのだと学んだ。




●切れ者でござる ~将棋は歩で決まる

 将棋は取った駒を自分の戦力として使うことができる。盤上から消された駒は、相手の駒台の上に移動することになる。戦国で言うならば寝返りのようなものだ。二重に大きい。駒の損得を軽視できない理由はここにもあるだろう。
 駒台にある持ち駒は、いつでも自分の好きなところに使うことができる。但し、歩だけは禁じ手のルールによって「自由」の幅が大きく制限されている。

「好きな時に好きなところへ」

 普通の駒はそれができるが、唯一歩だけは「二歩」という禁じ手のルールのおかげで、それができない。
「もしもどこにでも歩が打てたら……」
 二歩というルールがなければ、将棋は全然つまらないものになっていることだろう。(歩は多すぎる。と金となれば強すぎる)
 一つしか利かないことが将棋というゲームにおいて、重要な要素になっていることは間違いない。
(相手に渡ったとしても歩)

 たたきの歩、継ぎ歩、垂れ歩、と金攻め、歩は攻撃の主役とも言える。金底の歩は受けの代名詞だ。歩は攻めとしても受けとしても非常に効率がよい。歩で済むことによって、自分の戦力のみを温存することができる。 歩は囲いにとっては守備駒の一部でもあり、位、拠点、様々な顔を持つ。中盤以降ではその筋の歩が「切れているかどうか」ということも、重要な点となる。 
 最終的には、そこに歩が利くかどうかが「詰むかどうか」、つまりは勝敗に直結することも少なくない。

「ここに歩が利くのか!」

 そういう見落とし(未発見)によって負けてしまった。勝つことができなかったという経験は誰にでもあることだろう。
 利くかどうかが棋理の上では勝敗を分かつが、人間同士の勝負の上では、それは「みつけられるかどうか」でもある。
 強い人ほど、決め手になるような厳しい歩を見逃すことは少ない。

「将棋は歩で決まる」

 そういうこともあるだろう。
 見逃さないコツは前もってみつけておくことだ。常に歩の利き筋について敏感に意識するように心がければ、香車一枚くらい強くなっても不思議ではない。


【将棋ウォーズ自戦記】飛車を攻める ~時間も逆転する

2022-03-23 03:12:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 角道を止めずにいると相手はいきなり角を換えてきた。その内に止めるというプランもあったがそうは問屋が卸さない。

 角交換振り飛車だ!
 相手が飛車先を少し遠慮していたのでこちらからも1つ突いた。囲いを作り、することがなくなったので飛車先から突っかけた。相手が歩を謝ったので一歩持つことができた。自陣角を打ったり歩を垂らしたり何かできることを探る。自分から手を作っていくことはなかなか大変だ。

 相手の受け間違えによって敵陣にと金を作ることに成功した。僕はそのと金を動かして格調高く敵玉に迫った。つもりがどうだったか。単純に飛車を攻め、角を切ってでも自分の飛車を活用した方がよかった。結局、将棋は飛車を中心に考えた方がわかりやすいのだ。飛車さえ取ってしまえば、寄せがわかりやすくなる。僕は手筋を駆使してと金を引いた。相手は飛車先を伸ばしてきたが、一段飛車になっているのでまだ何も脅威ではない。僕は喜んでと金で銀を取った。これで銀桂得だ。と金を取り返せば角による飛車金両取りがかかる。「投了もやむなし」ではないか。ところが、相手はと金を取らずに金を上にかわして頑張ったのだ。

 これには驚いた!

 なぜなら銀桂損しながらと金の生存まで甘受して後手を引いたのだから。将棋にはこういう手もあるのか。言わばこれは終盤のしぶとい手。金を玉の付近に残しておいた方が、耐久力があるという判断なのだ。それに対して僕は大いに楽観した。相手の囲いはほぼ金1枚。僕は角銀桂の持ち駒を持ち、盤上にはと金ができている。(ここでも飛車を攻撃すること、活用することにシフトするべきだった)僕は桂を打って上部脱出を封じた。詰めろだ。すると相手は玉を下段に落ちた。僕はと金を入り玉に近づけた。すると相手は歩を突いて桂を取りにきた。この時、僕の残り時間は1分足らずで相手よりも10秒以上は多かった。将棋も時間も勝っている。だけど、決定打がみえていない。こういう状況は最も危険だ。(勝ちを探すことに夢中になると時間を使ってしまう)桂取りに歩を突かれてみると、急に忙しくなった気がする。思った以上に攻めが細く思える。(駒があっても細くみえるのは、歩の利かない攻めだから)僕は大いに取り乱しながら、角を打ちと金を寄せた。すると相手は歩を突いてできた空間に金をかわした。僕はすっかりパニックになった。

「寄らないじゃないか!」

 パニックの中で僕は15秒の大長考をしてしまう。これによって時間は完全に逆転した。(止まってしまえば10秒や20秒はあっという間。30秒の差などすぐに追いつかれる)僕は銀で王手をかけた。正しくは腹から銀を打つ手で、着実に寄せの網は絞れていた。(困った時はだいたい格言に従った方がいい)端玉に対してと金を近づけ馬を作った。相手はよくわからない場所に桂を埋めた。僕は端玉には端歩と格言通りに端歩を突いた。相手はそれを素直に歩で取り返した。馬の働きが不十分なためまるで寄りがない。ついに僕の残り時間は10秒を切った。取り乱しているため、僕の寄せはまるでデタラメとなった。逃がすために攻めているようなものだ。残り5秒。もはや寄せ切ることは不可能。時間で逆転を目指す余力もなく、無念の投了となった。



~最後まで頑張ろう
 
 一番いい手を指せなかった時、次善の策でも予定変更でもいいから気持ちを切り替えて局面についていけるようにしたい。(時間の勝負だってあるだろう)いい時はいいが、一度間違えたとなった時に、すべてが空中分解してしまうような傾向がある。それではいけない。全部上手くいくなんてことはないし、必ず間違えることもあるのだから、むしろ間違えた後が大事だと言える。人間は間違えるもの。だけど、相手が人間であるということも覚えておくべきだ。自分だけ人間を背負って苦しむことはない。


金の力で逃げ切りをはかる

2022-03-17 02:14:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 三間飛車にすると相手は飛車先も突かずに右四間飛車に構えてきた。四間飛車ばかり指していた頃、何度も撃沈されたことを思い出す。ゴキゲン中飛車をしていた時には忘れていたが、三間飛車にするとたまに見かけるようになった。僕は美濃に組み三間飛車の飛車先を伸ばした。三間には三間の対策があるのだ。相手はあまり玉を深く囲わずいきなり歩をぶつけて仕掛けてきた。それには同じく歩と応じる。すると相手は同じく銀と銀を進出してきた。僕は角を交換して飛車の頭に歩を打った。狙いの一手だ。一段金のため生じている。対して飛車を横に動けば攻撃力がなくなり、出た銀を目標にしてさばいていくつもりだ。

 相手は飛車で歩を食べて攻め味を残すことを選んだ。僕は飛車の守備が消えた敵陣に角を打ち込んだ。相手は銀をグイッと前進させたが、さほど脅威ではない。僕は香を食べて馬を作る。すると相手は金を寄せて桂を守ってきた。僕は飛車筋の歩を突き出し、同じく歩に対して香を打って飛車を捕獲した。よろけた飛車を馬で食べ香を成り込む。相手は桂を跳ねてきた。中央に銀桂が集中してちょっとした不安材料だ。僕は金取りに飛車を走り、金が逃げた手に更にもう1枚の飛車を打ち込んだ。

 王手だ!
 一見調子がいいようにみえて甘い順だった。ここは何もせず、すべてを含みにじっと成香を寄って玉に近づけておく手で、脅威に感じた成香を歩で追ってくればそこで飛車を走る。金を逃げれば成香を捨てて王手桂取りに飛車を打ち込む手が成立する。それなら相手の玉を危険地帯に出すことができる上に、せっかく跳ねた桂を抜かれては唯一の反撃手段を失い相手も気持ちが折れるというものだ。

「すぐ飛車を打ち込むな」

 飛車を手にするとすぐ敵陣に打ちたくなる人は多いのではないだろうか。駒を回収できたり攻撃の起点になったりして、それが有効手になることは実際に多い。だが、底歩で止められたり金ではじかれ逃げ場がなかったり、注意すべき時もある。また、持ち駒というのはできるだけ長く持っていた方が、使う場所やタイミングを選べるという利点もある。より玉に近い場所、あるいは逆サイドに打つことも可能になる。持ち駒は駒台で温め、先に盤上の駒を活用する手を視野に入れることも重要だ。

 相手は飛車の王手に対して歩を打って受けた。それは成香で払うことができた。そこで金を玉の方に近づける。一歩を犠牲にして攻撃を渋滞させ時間を稼ぐ手筋なのだった。僕はその価値を軽くみたままじわりじわりと成香を活用して二枚竜を作った。(最短で玉に接近する順を逃し成香が遠回りになってしまったことがこの将棋の最初の問題点だった)

 相手は攻防に角を打ってきた。攻めては銀桂の利きに数を足し、受けては成香の進出を阻んでいた。僕は不動のまま眠っていた左銀を上がって中央の補強に当てた。緩手だ。足してもまだ数が足りていない上に、銀頭に歩を打たれてその応接にまた悩まなければならない。(好んで局面を複雑にしている)余計な手順の間に相手の持ち駒に金を渡したことが大きなマイナスだった。

「時には単純明快に」

 形勢がよい時には勝ち方が何通りか存在することがある。よい時には、話をなるべく単純化した方がよい。(最善最短であるかは別に問題ではない)ごちゃごちゃした形・展開であるほど人間は間違いやすいものだ。
 銀上がりは遊び駒の活用として格調の高さは認められるものの、局面を複雑化して相手に手段を与えてしまった罪の方が大きい。
 攻防の角に対しては歩を打って単純に角の守備力のみを遮断する手が勝った。そうすれば相手は中央から殺到する他に手段がなく、あとは成香を活用していくだけでいい。美濃囲いにはなかなか詰めろがかからず、成香で金を1枚はがしてしまえば二枚竜に対する受けはなくなる。

 明快な順を逃がして自陣でごちゃごちゃと相手をした。桂頭に歩を打って角の攻撃力を遮った。すると相手は自陣にいた成香を角で食べた。
 大きな駒損だ!
 同じく竜に対して今度は自陣に金を打ちつけた。あっという間に金三枚の要塞ができた。二枚竜と言えども容易でない。
 あまりの堅さに恐れをなして僕は竜を中段にまで引き上げた。
 撤退……。
 戦力を自陣に使い果たし、相手の攻めは切れている。形勢は大優勢から必勝に近いと言ったところ。しかし、そんなことは関係ない。

(寄らなければ……)

 僕の方が時間が切れるに決まっている。
 成香を食べた手はただの駒損ではなかった。攻撃の種駒を抜き拠点を減らし、逆に自陣の駒を多くして寄せを遅らせるという終盤の手筋だったのだ。終盤の入り口での歩の犠打が将棋の手筋なら、この馬の犠牲も終盤の手筋に違いない。但し、こちらの方は(遅らせる=時間を引き延ばす)という切れ負け将棋ならではの価値に重きが置かれていたと言える。

 残り7秒……。(相手はまだ1分以上もある)
 金が密に並んだ敵陣をみつめながら、僕は投了をタップする。

「負けました」



~1秒でも勝てないことはない

 3分切れ負けのような特別に短い将棋では、勝ち味の早さを身につけることも重要だ。
「将棋はよかったけどな……」
 必勝の形勢を作りながらも時間に泣いている人も多いだろう。
 1秒の間に3手も4手も指してしまう達人も存在するようだが、なかなか真似のできない芸当と言える。スピードで勝てないからと言って、全く勝ち目がないわけではない。将棋の手数はだいたい決まっている。普通に行けば100手ほどで終わるのだ。無駄な回り道をしないことによって、指し手のスピードに対抗することは可能だ。1手1秒を超えるペースで指しても、大きく止まらなければ勝てない理屈はない。
 手数もテーマにしながら指してみることにしよう。(なるべく長手数にならないように)
 最短ルートにこだわること。受けすぎないこと。迷ったら前に進むこと。決め手を逃さないこと。大事にいきすぎないこと。無駄に複雑にしないこと。飛車を取ること。受けるなら根こそぎにすること。寄せ合いを目指すこと。一手勝ちを見切ること。必至をかけること。

 切れ負けには、戦力不足に陥っても自陣に駒を埋めて寄せを遅延させたり、無駄な王手をかけることに寄って相手の秒を削るなど、特有のテクニックが存在する。ある意味それは裏技のようなもので、10秒将棋となるとまるで無意味だ。
 速さに特化してゲーム上の勝利を追求するという方法も考えられるが、勝ち味を早める(切れ味を高める)という方が、他の条件でも応用が利き、将棋が強くなるためには有効なのではと思う。


念力と大局観

2022-03-15 12:27:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 他人の将棋を観戦しているとAIの示す評価値によって、現在の形勢を割と正確に把握することができる。評価値が突然ひっくり返ればそこで一方が悪手を指したのだとわかる。+9999となれば即詰みがあるとか、+5000ならはっきりと勝ち筋がありそうだとか、+2000なら相当に優勢で勝ちにつながる順があることがわかる。指し手そのものを教えてもらわなくても、現在の形勢が明確に数値として示されるということは、指し手を判断する上で大きな力になると言えるだろう。詰将棋で言うなら、詰むことが最初にわかっているということだ。(詰将棋ならまず間違えないというレベルの詰み筋を実戦ではしばしば逃がしてしまうものだ)

 数字でなくてもいい。「いいのかわるいのか互角なのか」だけでもわかるなら、将棋の指し手は変わってくるだろう。
 観ている者はともかく、実際の対局者はAIの評価値を知ることはできない。(チャンスボールがきていることに気づけず見送って押し切られてしまうことも多々あるだろう)
 ほとんどの対局者は大局観を働かせることによって、常に形勢の把握に努めているのではないだろうか。(中には難しいことは何も考えずただその場その場で思いつく手を指すだけという人もいるかもしれないが)
 現局面の形勢や相手の指し手を評価することなく、正確な指し手を続けることは難しいのではないだろうか。(一手が死角になって評価そのものを誤ることもあるが)

 将棋は本当にわるい局面ではいい手というのは一つもなく、よい局面では必ずいい手が一つ(場合によってはいくつも)あるものだ。よいとわかれば全力で勝ち筋を探すべきで、わるいとなれば後は勝負の綾を求めなければならない。ところが、実際にはわるさに気づけずずるずると負け筋に入ったり、よさに気づけずに勝ちに行ける順を見逃してしまう。
 将棋はわるくなる前に考えなければ駄目だが、大局観がわるければわるくなるということに気づくこともできない。

 次の一手・詰将棋の問題はそこに正解が存在することがわかっていて、(それは間接的に形勢がよいことを示していることと同じで)、実戦ではむしろそこに至るアプローチの方がより重要だと言える。(勿論、手がみえることそのものは大切だ)好手・手筋をいくら知っていたとしても、大局を見通すことができなければ、それを発揮する場所を作ることも難しいだろう。

「一度に何手くらい読むのですか?」
 強さはとかく読みの量で語られやすい。
「まあ普通に100手くらいですか」
 ある棋士は答える。

「そうっすね。1秒で10億手くらいでしょう」
 あるAIはやや控えめに返事をする。
 それは本当に重要だろうか。

「読みがすべてだ」
 とある者は言うかもしれない。
 しかし、すべてを読み切れる人間などいないのだ。

 読まなくてもいいものは読まなくてもいい。
 例えば、一つの局面を一目みただけで、これはこちらがいいねとだいたいわかる。まるで一つの絵画をみて何かを感じるように、数字を持ち出さずとも多くを悟ることができる。(AIの100億手の読みを省略する)そうした能力も、人間の持つ特性ではないだろうか。
 個々の指し手のよしあしにも増して「将棋を理解していること」が大局観を築く上で重要であると思われる。

 強い棋士ほどよい局面で考える。その上で早指しにも強いのは手がみえるということは当然として、大局観がよほど優れていて局面のバランスを保つことができるからだ。

 人間は現在地が正しくわかってこそ強く立っていることができるだろう。夏なのか夜なのか何もわからない迷子となっては不安で仕方がない。大局観が優れていれば、常に自分の居場所がわかるのだ。
 正確な大局観を働かせるためには、コンディション、メンタルが整っていなければならない。
 大局観を曇らせるもの、それは恐怖、畏怖、尊敬、楽観などであり、最もわかりやすく言えば、意表の一手だ。
 道を通ってやってくる者は穏やかに迎えることができるが、突然天井からふっと降りてくるようなものには動じやすい。

「えっ? そんな手が……」

 その時、もしも相手をリスペクトしすぎていたとしたら。みえないところから指し手が飛んできたことを、自分のせいにしてしまう。意表の一手が輝きを持って認められ、低頭になるあまり全体がみえなくなって、大局観はすっかり曇ってしまう。尊敬や恐怖で浮き足立った状態では、冷静に局面をつかむことが難しいのだ。時間の短い将棋ではその傾向は顕著に現れ、気持ちを立て直すことが難しい。
(気合いとか念力とか……)
 早指しの将棋であれば、そういうものが結構まかり通るのだ。
 ずっと正確であり続けられる人はそうはいない。
 気持ちを揺らせられれば悪手も好手に転じるのだ。悪手は後に指すほど罪が重くなる。いい手ではないが相手の気持ちを揺さぶることによって悪手を指させることができる。そういうのを人間の勝負手と呼ぶのかもしれない。

「お前が後手だ!」

 角道を止めると相手は角を1つ上がって向かい飛車にしてきた。そこで僕は右の銀を上がり居飛車と見せかけ矢倉の準備を整えた後に向かい飛車に振った。相振り飛車だ。相手は向かい飛車だったはずがいつの間にか四間飛車に構え直し腰掛け銀から攻めてきた。僕は飛車先の歩を交換し、中段に引き上げた。すると相手は55の地点に銀を進出させ棒銀のように攻めてきた。僕は素直に銀交換を許した。飛車を追い返すと歩を食いながら飛車を右辺に大転回させた。歩を謝りたくないとみたか相手はなんと向かい飛車にして飛車をぶつけてきた。強気だ! 僕は少し動じながらも飛車の頭に銀を打ち込んだ。すると相手は飛車を四間に戻った。僕は角の頭に銀を成り返った。角取りと飛車成りの先手だ。すると相手は一転して角の下に金を上がって受けてきた。角を助けては崩壊するとみて辛抱したのか。これはよくなったぞ。僕は浮かれながら角を取った。手拍子の悪手だ!

 黙って飛車を成れば相変わらず角が負担になりより相手が困っていたのだ。言わば後の先だ。角を取ってしまったために取れたはずの桂に跳ねられ飛車に当たってしまった。今度飛車を成っても空成りだ。その上後手を引くため銀で蓋をされて飛車が捕獲される心配もある。僕は恐ろしくて飛車を成れず、向かい飛車の位置に戻した。優勢だとしても自玉も傷んでおり簡単ではない。徐々によさを広げていくような指し方は、3分切れ負けではなかなか上手くいかない。気合いの面からも飛車は成り込む一手だったのだ。(たとえ捕獲されることになってもそれには銀を空き地に投資しなければならず相手にとってもリスクはある)迷いの内に弱気になると、徐々に駒が下がり指し手ががどんどんおかしくなっていくことがある。気のコントロールが上手くいかないと指し手の方も乱れてしまうのだ。(将棋は技術だけでは語れない)

 相手は桂を跳んできた。僕は角道を通した。相手は桂を起点に歩を打ち込んできた。僕は金をよろけた。桂を取り切ってしまおうという手だが危険な一手だ。だいたい拠点の歩を残して壁金になるような手は危ない。長く受けに回るような展開も3分切れ負けでは勝ち味が薄くなる。(相手玉を詰みまで持って行きにくい)

 相手は歩を起点に銀を打ち込んできた。
「玉の腹から銀を打て」
 それは格言にもある言葉だった。
 いい手なのか……。
 こんな手があったのか……。
 金が助からないのではないか。
 読みになかった銀を眺め、僕は大いに動揺してしまった。すっかり迷子になりながら受けを放棄して角を成り込んだ。丁寧に面倒をみるつもりで金をかわしたのに早速受けをあきらめるなんて、明らかに矛盾している。実際には受けはあった(起点の歩を桂で払うことで逆に打った銀が助からなかった)のだが、想定外の事態に取り乱しているのでみつけるができなかったのだ。

「しまったと思ったらつぶれている」
(自信がある時は受かっている)

 銀を打ち込まれて金を取られた。僕は55の地点に馬を引きつけた。すると相手は中央に桂を成り込んできた。
 何だこの手は?
 完全に取り乱している僕は現在地を見失っていた。だから、相手の指し手はすべてみえないところから飛んでくる。素直に応じては攻めがつながると思い、僕は飛車取りに香を打った。もしも僕が冷静で、自分の引いた馬の価値を正しく理解できていれば、成桂を取り切って美濃崩しの桂で寄せることを含みに攻防を組み立てることができただろう。
 相手は飛車取りを手抜いて成桂の横に銀を成ってきた。

 何だこの手は?
 詰めろじゃないか……。
 突然、自玉に詰めろがかかった。
 僕は玉を左辺に逃げ出したくて成銀を払った。(同じく成桂とそっぽにいけば逆に玉をかわしていくという読みだ)相手は金を取り返すこともなく、玉のこびんから金を打ってきた。
 王手だ!
 あっ、詰んだ。3手詰みだ。(上手く助けようとすると詰んでしまった)投了もやむなし。

「くやしいじゃろう」
 ああ、棋神さま!
 くやしいも何も、簡単に負けすぎだろう。
 こんなことになるならもっとどんどん逃げ出すんだったよ。
 52手目に成れなかった飛車は、最後まで中段に浮いたままだった。


【将棋ウォーズ自戦記】中飛車の心(一筋の光)

2022-03-12 01:39:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 5筋を突くと3筋を突いてきたので5筋を突き越した。7筋の歩を突いて6筋に銀を上がる。相手は4筋から3筋へと玉の囲いを急いだ。僕は銀を5筋から繰り出した。相手はようやく8筋の歩をぐんぐんと伸ばしてきた。僕は7筋に角を上がって受ける。1筋9筋の端歩を突き合って、相手は3筋から4筋へと銀を繰り出してきた。

 僕は恐ろしくなって4筋の歩を伸ばして銀を押し返そうとした。すると相手は銀を3筋の上の方に繰り出した。僕は恐ろしくて早くその銀を追い払いたかったので4筋に銀を上げていくことにした。相手は今度は7筋から6筋へともう1つの銀を繰り出してきた。

 僕は3筋の歩を突いて銀を追った。すると相手は銀を2筋に後退させた。僕は玉を2筋に寄せた。すると相手は左桂を跳ねてきた。銀だけでも角頭が破れていそうなのに更に桂まで参戦させてくるとは。僕は恐ろしくて6筋の歩を突いて桂跳ねを封じた。相手は玉の側に金2枚を並べた。僕は金を締めて木村美濃に組んだ。銀冠と違って玉頭は薄く銀冠の小部屋も存在しないが、5筋と4筋のバランスはよさげだ。

 一安心していると相手は3筋から歩を突いて銀を繰り出してきた。僕は恐ろしくて素直に歩で銀を追い返した。銀が下がったのをみて2筋の歩を1つ突いた。2筋の銀が端を攻めてくるかもしれず、少し恐ろしげだったのでこの歩は突いておいた方がいいと思った。相手は8筋に飛車を浮き桂頭をカバーした。

 僕は金を5筋に寄せて木村美濃の薄さをフォローした。すると相手は7筋から歩を突いて攻めてきた。僕は7筋に歩を垂らした。これはしょうもない歩だった。相手は8筋から棒銀のように突破してきた。

 僕は7筋にと金を作った。すると相手は7筋に歩を成り捨て桂頭に歩を打った。相手のと金攻めの方が数段恐ろしげだ。僕は手筋とばかり8筋に歩を打った。飛車取りだ。しかし、あっさり横にかわされて無駄打ちに終わった。僕は6筋に桂を跳ねた。すると相手は7筋に歩を成ってきた。7筋が崩壊した。とは言え振り飛車の左辺はもはや空き地なのでダメージはないと思うこともできる。攻め合いにできるかどうかだろう。

 僕は角を4筋にかわした。攻防の要所を占める好位置だ。相手はあっさりとと金を捨て桂を取り返すと今度は銀を成り込んできた。銀は活用できたがと金が成銀になった分だけ攻めの脅威は少なくなった。僕は銀取りを手抜いて手筋とばかりに7筋に歩を打った。飛車取りだ。すると相手は7筋にあったと金を食いながら飛車を引いた。僕は銀を逃げた。相手は歩を食いながら飛車を出た。

 そこで僕は3筋に桂を打った。角金取りだ。ふんどしの桂が打てて急に僕は元気になった。(こうなってみると序盤の3筋の交換が相手には裏目に出た。傷の方が大きすぎたようだ)角を逃げたので手順に金をはがして5筋の歩を突き出した。すると相手は素直に同じく歩とした。7筋の飛車と成銀が重く、有効な攻めがないのだろう。

 僕は香を取りながら9筋に角を成った。相手は飛車を8筋に寄った。4筋に歩を突き出し取った手に対してもう一度4筋に歩を打った。継ぎ歩だ。同じく歩に同じく銀となり急所の4筋に銀を繰り出すことに成功した。相手は歩を謝った。

 そこで僕は5筋の空間に歩を打ち込んだ。手順に銀を進出させると5筋の真ん中に馬を引きつけた。馬が輝いてみえる。5筋に振り飛車の銀と馬と飛車と金が連なっていた。この時、僕はようやくこの将棋が1本の線としてつながったように思えた。

 すべてはここへたどり着くための道だった。眠っていた中飛車が遠く敵陣の金をみている。振ってから今までずっと動かずにいたことが、ついに報われる時が訪れたのだ。

 相手は馬の利きを遮ろうと4筋に桂を打った。僕は4筋に香を打った。相手は成銀を寄せて飛車に当てた。僕は5筋にいた銀を歩を食いながら4筋に成り捨て、同じく金に対して5筋にいた馬を桂を食いながら相手の金の頭に出て、同じく金に対して、当たりになっていた飛車を5筋に王手で成り込んだ。一間竜だ。この形になれば寄りは近い。もしも相手の持ち駒に金があったら竜に当てて先手を取られてしまうが、金がないことを見越しての手順だった。歩の合駒に対して、僕は香を走り4筋に浮いていた金を取った。受けのない相手は玉を2筋に早逃げした。

 僕は3筋に桂を打った。相手は1筋に玉を逃げた。僕は端玉に端歩とばかりに1筋の歩を突いた。ところが、そこは序盤で3筋から撤退して2筋にいた銀が端の守りに利いていて、少し甘い攻めになっていた。端を攻めるならガツンと歩の頭に金を打つのだった。もっと明快なのは玉の斜め後ろから金を打つ手だった。(格言にない手が有効になることもある。寄せは深い)次に端の香を取る手が詰めろになるが、上が詰まっているため受け方がないのだ。相手は端歩を取らなかった。取られていたら、寄せ間違えながら時間切れになったかもしれない。8筋に飛車を成り込んできたのは、どうしても竜を作りたかったのだろうか。最後は1筋の歩を取り込んで簡単な即詰みとなった。

 中飛車は7、8筋を破られても構わないのではないか。受け止めるのではなく受け流す。そして、5筋から反撃する夢を描くのだ。恐れから解かれ、強く戦える中飛車を指してみたいものだ。


強さとは何だ

2022-02-28 01:45:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「お前が先手だ」

 僕は中央の歩を伸ばして中飛車を選択した。すると相手は四間飛車に振ってきた。純粋な四間飛車党だろうか。僕は美濃囲いに組んでから向かい飛車に振り直した。相振りでは玉頭からの攻めが有効だ。対して相手は金無双囲いに組んできた。端攻めに対しては美濃よりも強いが、逆サイドからの攻めを食らうと一撃で崩壊してしまうことがある。なかなか大変な囲いである。

 互いに攻撃側の端歩を突き越した。相手が角道を止めた間に、僕は角を中段に構えた。端に狙いをつけた手だが、歩越しのため狙われるリスクもある。相手は銀を四間飛車の飛車先に繰り出してきた。棒銀調ではあるが、美濃囲いに対してはそれほどの脅威は感じられない。僕は飛車先を切ってから1つ引いた。中段飛車だ。駒組みが一通り終わったところで、僕の手番になった。

 相振り飛車は仕掛けの形、タイミングが難しい。自ら動きすぎると無理筋となり、ずっと動かなければ手詰まりになる。いつでも千日手と隣り合わせといった側面があるように思う。3分切れ負けのような短い将棋ではそこまで慎重になるケースは少ない。ほとんどの棋士は隙をみて仕掛ける。また、隙がない場合でも気合いと勢いを持って仕掛けていけば、だいたいいい勝負くらいにはなるものだ。

 その時、僕には1つの仕掛けが閃いていた。それは自らの囲いから歩を突っかけていくという少し危険な筋だった。こちらの主張としては、相手の攻撃の歩が無駄に浮いていること、囲いの強さに差があること、自分から動くとすれば他に浮かばないことだった。10秒、20秒……。ためらっている間に、どんどん時間は減っていく。3分という持ち時間の中で、30秒とはどれほどに大きい時間だろうか。

 そうだ。僕には決断力が欠けている。水羊羹だって、プリンだって、ワインだって、多彩な顔ぶれを目の前にすれば、足が竦み、その場から逃げ出したくなる時がある。人はどうして、それを選ぶことができるのだろう。

「お前はぽんぽん指してぽんぽん負けよ!」

 その時、棋神様の声が聞こえたような気がした。
 ここで見送れば、相手から攻めてくるだろう。そうなったらもうこの仕掛けの善悪はわからなくなる。(局面が)動かなければ得るものもないではないか。失敗してもいいのだ。「いけるかも」と閃いたのなら、やってみることだ。失敗して得るものは、目先の勝利よりもきっと大きい。

 僕は玉頭から突っかけて、歩を食いながら飛車を転回した。すると相手は歩を謝ってきた。僕は再び元の位置に飛車を転回した。相手はグイッと銀を立ってきた。瞬間少し危険な形のようにも思えた。僕は更に技をかけにいった。飛車と角の利きに歩を垂らした。

 焦点の歩だ。これが中段飛車の横利きで銀取りになっている。相手は歩を角で払い大決戦に応じる他ない。大駒が入り乱れ、素抜きの筋があるので見落としがあると終わってしまう。短時間の将棋で大技をかけにいくのはなかなかのスリルがある。本来なら慎重な読みの裏付けが必要で、最低でも5分10分ほしいところではないか。そこを十秒そこらで決行するには、直感、経験値、読みの簡略化/集中といったものが必要になる。それにしても確信は得られないだろうから、最後は気合い、勇気、決断力なのだ。自分の直感が間違っていなければ、大きな自信になるだろう。

 僕は飛車で銀を取った。一瞬銀得だ。相手は角で角を取る。僕は飛車を飛車で取って成り込む。相手は角で銀を取る。王手だ。僕は金で馬を取る。相手は金で竜を取る。飛車角銀が互いの持ち駒になる。駒の損得はないが手番がきた。

 僕は敵陣深くに銀の割り打ちをかける。これでいけそうだという判断だったが、こちらも自陣に歩が垂れて金が乱されているので形勢は微妙か。相手は受けずに金取りに角を打ち込んできた。一瞬厳しくもみえるが、手順に金を引き、桂を取りながらの馬は玉から遠ざかるのでほっとした面もあった。

 僕はゆっくりと玉から遠い方の金を取り駒損を回復した。すると相手は遙か昔、僕が開戦した時の傷跡から銀を打ち込んできた。しかし、この瞬間何でもなくむしろ質駒として利用できそうだ。僕は弱体化した金無双の最後の金に対し金を張り付けて寄せにいった。すると相手は壁銀を引いて受けてきた。金無双の凌ぎとしてはよくある筋である。

 ここで僕は決め手を逃してしまう。実はこの銀引きは受けになっておらず、普通に金を取って角を捨てていけば簡単な並べ詰みだ。手数こそ13手かかるが並べ詰みなので紛れも何もない。こういう筋を逃す度に、終盤の強さとは何だろうと考えさせられる。詰将棋にもならない即詰みを見逃しているようでは、もっと厳しい状況では勝てないのではないか……。(例えば詰ます以外に勝ちがない局面だったらどうなったのだ)

 時間に制約のある状態での終盤の強さとは、ただの技術ではなく、意識や体力をコントロールする力ではないだろうか。冷静であること、準備ができていること、集中していること。(局面を広くみれること、常に寄せのルートが描けること、最も大事な点を理解すること)ぎりぎりの局面で、僕の気持ちは緩み、震え、慌て、大いに取り乱してしまうのだ。勝てる将棋を普通に勝てなくて勝てない将棋をひっくり返すことができるだろうか。

「実力を出せなかったのでは?」と問われたある棋士はこう答えた。「それも含めて実力である」と。「強いなー!」という言葉は、思わず出るもので、美味しいとか楽しいに似た素直な感情表現にすぎないのではないか。「強さ」について、どれほどの人がその本質について見抜いているだろうか。「強くなりたい」誰もが漠然とそう願うものではあるけれど。

 即詰みを逃がした僕は下段に飛車を打ち下ろした。詰んでいたのだから力を溜めた手は詰めろくらいになっているはず。ところがそれが怪しい。将棋は一手緩むと三手も緩むという場合がある。急所を見極めるか外すかで手数はまるで変わってしまうのだ。それに対して相手は玉頭の歩を突いて逃げ道を作ってきた。そこで急所がみえていれば質駒の銀を補充し、銀を竜で食いちぎっていけば詰み筋だった。竜から捨てることによって駒が全部さばけて綺麗に寄る。詰将棋的なのは初手くらいのことで、それさえ浮かべば難しくない。冷静であること、常に準備しておくこと、集中力を高めることによって、急所の一手を逃さないようにしたい。

 いっぱいいっぱいで取り乱していた僕は、そこで玉のこびんに歩を打った。何かよくわからない一手だ。一度リズムが崩れ始めると最も厳しい一手も、普通の手も指せなくなってしまう。対して相手は下段から攻防風の飛車を打ってきた。僕は前手の意図を継承しながら王手をかけ、玉を中段に逃がす形で寄せにいった。そして、ついに質駒の銀を補充した。すると相手は玉頭にと金を作りながら銀を取り返した。当然詰めろだ。

「頼む。詰んでくれ!」

 僕は祈りながら詰み筋を読んだ。馬を捨てて……。銀からいくと上に逃げられてつかまらない。
(あっ!)
 その瞬間、ようやく僕に確信に近い閃きが訪れた。
 歩を食いながら馬を切る。(詰将棋的に鋭い一手)
 取る一手に頭から金を押さえあとは銀を滑り込ませていけばよい。詰まし切って勝つことはなんて素晴らしいことだ!
 だが、これはたまたまの結果にすぎない。そう思えるほどの「危なっかしい」勝ち方だ。成長を望むなら、勝ったとしても探究すべき課題は多い。




~もつれることの価値

 もっと上手ければ完封できてしまう。だけど、下手くそだからもつれてしまう。あれだけよかったものが、こんなことに……。そうして繰り返しカオスの中の終盤戦に入っていく。
 詰まさなければ負けてしまう。(時が切れてしまう)
 そうした状況は、終盤力を鍛えるチャンスとも言える。
 下手くそだからこそ、チャンスに恵まれることができるのだ。


【将棋ウォーズ自戦記】振り飛車のすすめ ~思い出学習

2022-02-26 01:45:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 野球に飽きたら外野に行けばいい。あるいは、駒に手を伸ばせばいいのではないか。視点をちょっと変えてみることで、全く違ってみえることがある。ほんのちょっとしたことで人生は大きく動き出すのかもしれない。行き詰まれば気分転換は必要だ。

 将棋に飽きたら振り飛車をすればいい。振り飛車は面白い。振って囲ってさばけばいいのだ。さばき方は簡単だ。攻められた筋に飛車を振ればいい。だからと言って簡単に勝てるわけではない。だいたい振り飛車は少し苦しめになる。駄目で元々。それくらいに開き直って指すくらいが上手くいく。

 僕は振り飛車に飽きたので色々試して、今はゴキゲン中飛車にはまっている。ゴキゲン中飛車は普通の振り飛車とちょっと違う! 積極的に動くことができるのだ。あるいは、反対に積極的に動かれることがあるが、それはだいたい同じことだ。(動かせているのだとも言える)

 仮に動かれたとしても、複雑で難解な中盤になることが多い。(簡単につぶれるとしたら対処がわるいのだ)がっちり囲って右四間飛車から仕掛けるという単純すぎる展開にはならない。また、振り飛車穴熊とあわせることによって、固めつつも積極性を維持するという戦術にも期待が広がっていく。


「お前が後手だ!」

 僕はゴキゲン中飛車にも少し飽きたので、角道を止めない四間飛車でいくことにした。すると相手はなかなか角道を開けてこない。将棋は相手の出方次第。いつだって自分の意図するようにはいかない。様子をみながら僕は玉を動かす。相手は玉より銀の進出を急いだ。ぐいぐいと銀を出て銀のいた場所に角を引いた。

 これは鳥刺しか? 数の力によって一方的に振り飛車の飛車角を攻めようというのだ。どう受けていいかわからず、僕は穴熊に入ることにした。(角道を止め向かい飛車にして銀で角頭を守りにいけば無難だった)すると相手は囲いもそこそこに銀を進出させて、振り飛車の角頭めがけて歩を突っかけてきた。

 やむなく僕は角を引いた。さばきというよりも避難だ。相手は歩を取って飛車に銀をぶつけてきた。僕は飛車を横にかわして銀の圧力から逃れた。さばきというよりも脱出だった。居飛車の飛車先から突破を許す間に、角の転換ルートを確保した。

 飛車は何度も追われ、結局自陣に押し戻された。居飛車の右桂が中段に跳ね出してきた時、僕は受けを誤った。角を大きく使うべきところを、逃げ癖がついたように同じところに戻ってしまったのだ。それによって中央に成桂を作られてしまう。僕は垂れ歩を使い、必死で反撃の手がかりを作ろうとした。すると相手は成桂を玉とは反対方向に動かして飛車取りに迫ってきた。

 ここが最大のチャンスだった。飛車取りを無視して強くと金を作るのだ。生粋の穴熊党ならばそうするはず。だが、僕にはそうした力強さが欠けている。序盤から飛車角を逃げ回っていた。その逃げ癖を引きずったまま飛車を逃げてしまった。(これによって穴熊に飛車角がくっついた珍形が完成した)飛車を大事にしたのは、穴熊+袖飛車の形が好きという理由もあっただろう。

 数手進み、再び寄ってきた成桂に角を取られてしまう。大きな駒損で形勢は振り飛車不利。しかし、穴熊は手つかずのまま残っており、飛車も健在で切れ筋には至っていない。僕は居飛車の玉頭に向けて歩を伸ばした。元々角道を突いていないため普通よりも遠い。すると相手は左辺で駒得を拡大した。僕は玉頭に歩を突っかけて袖飛車を頼りに継ぎ歩をした。すると相手の角が飛車取りに飛び出してきた。強い受けだが、穴熊相手には強すぎたようだ。

 僕は玉頭の歩を取り込んだ。飛車を角で取る一手に桂で取り返す。これによって飛車が持ち角となった上、自陣の桂が玉頭攻めに参戦する形となっては、展開的に居飛車が勝ちにくい流れとなった。以下は玉頭から戸辺攻めで押していった。玉を中段にまで追い出し、退路を封じながら角取りに金を打つ。角が逃げた手に対して金と桂の間に角を打って王手。そこで相手は突然投了された。

「詰んだの?」

 残りは16秒。正直どうなるかわからなかった。
 端に玉をかわして詰みはない。しかし端歩を突いて以下どう受けても、打ったばかりの金を押し上げていく手があり必至がかかるようだ。
 しかし、ここでなの……。
 投了図を前にしてしばらく動けなかった。
 先に読み切られたのなら、そこは僕の方が負けだ。もしも王手ラッシュができる局面だったとしても、この方はしないのかも。
 世界には様々なタイプの棋士がいる。
 投了のタイミングも色々である。



●思い出学習 ~強さは思い出の中に

「毎回違うから困るんだよ」

 解説の先生がぼやきながら、玉の周辺を調べ上げていた。将棋というゲームは千変万化、同じ初形から始まったとしても、最後の最後まで同じように進むということはまず起こらない。(あるとすれば定跡の延長線上で即詰みまでいったという場合だろうか)
「初めての局面で最善手なんて指せるわけがない」
 僕は突然、そのような不安を抱いてしまう。
 だけど、本当に初めてなのだろうか……
 どう考えても、それは生まれて初めて地球上に降り立った瞬間のようではない。ルールを覚えて最初に駒を動かした時とは違う。
 そう言えば……、と僕は思う。

「この道はいつかもきたような……」

 この人は、どこかで会ったような気がする。街でも、人でも、目の前にある存在が、突然、遠い過去の風景にリンクされる。忘れかけていた出会いがよみがえって、新しい場所での道しるべとなるのだ。初めてであって初めてではない。完全に同じではないとしても、何かは何かに似ているものではないか。街でも、人でも、将棋の局面だってそうなのだ。

 手筋はお決まりものが強力だし、美しい形には普遍性がある。過去の経験をそっくりそのまま当てはめることはかなわないけど、照らし合わせて応用することはできる。

(強さは思い出の中にあるのかもしれない)

 強い人は思い出を宝物のように身につけることができるのだ。
 一局の将棋と感想戦(反省会)を通して思い出を作り、感覚として指先に蓄えることができたら、それが自分にとっての力になるのかもしれない。よい思い出を増やせばそれは自信となり、またよい手を再現することができるだろう。


【将棋ウォーズ自戦記】大きな敗因、小さな敗因

2022-02-25 01:13:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「お前が先手だ」

 僕は中飛車に振った。すると相手も中飛車に振ってきた。相振り飛車だ。僕が銀を上がると相手も銀を上がった。僕が玉を囲うと相手も玉を囲った。まるで鏡を見ているようで落ち着かない。僕は早く向き合うことから逃れたかった。僕は向かい飛車に振り直した。すると相手は角を換えて桂取りに自陣角を打ってきた。僕は歩を突いて受けた。相手は端歩を伸ばし桂をぴょんぴょん跳んできた。そして、いきなり端に成り捨てて攻めてきた。

 強襲だ。
 この時、僕の向かい飛車の飛車先はまだ飛車の頭で止まったままだった。(少し悠長に駒組みしすぎたのだ)相手は端を攻め立て飛車まで回ってきた。僕はしばらく受けにまわることになった。飛車のこびんに角を打ち込む形になって、急に棋勢が好転するのを感じた。僕は打ったばかりの角を切って飛車角両取りに金を打った。手順に飛車が端に戻り金が重たくなるのでそれは本筋ではなかった。角の頭に馬を作り厚くいくのが本筋だった。

 端を攻めてくる手に対して、僕は左桂を中央に跳ね出した。狙いは中央だが、そこは相手の最も厚いところでもあった。端にと金を作られた手に対して、僕は玉を金と銀の間に移した。端を破られた場合の手筋だ。もしもと金を入ってくれば香で飛車が取れる。下段の香がいることで、たとえ取られても相手の攻めを遅らせることができるのだ。

 相手は中段に桂を置いてきた。ぼんやりとして厳しいのかどうかわからなかった。僕は桂を不成で飛び込んだ。(もしも金を横にかわされていたらわからなかったが、とにかく速くなければと焦っていた)相手は素直に銀で桂を取った。僕は銀を金で取り返した。重たかった金が玉と一間のところまで迫ったので希望の持てる寄せ合いとなった。相手はさきほど打った桂の利きから歩を打ってきた。

 王手だ!
「さあ、取るのか、逃げるのか」
 と問いながら玉に迫ってきた。僕は一瞬迷った。逃げると王手飛車だけど、飛車の移動合で受けてどうなるか。だが、あっさり取る手も有力だ。

「わからないけど桂がほしい」
 僕は攻め味を重視して銀で歩を払った。囲いが薄くなる。相手は玉頭の金に対しておかわりの桂を打ってきた。まだ詰めろではない。しかし、何かあれば詰む形になっているので不気味だ。僕は相手玉の両こびんを狙って中段に桂を打った。

「さあ、次は詰ますぞ!」
 きっと相手は怖いはず。もしも持ち駒を使って受けてくれるなら、こちらの玉も今より安全になる。相手は玉頭の金を取った。僕の玉は三段目にまで上がり、側にいるのは銀1枚となった。相手は銀の隣にそっと金を置いた。(まさに置いたというような手だったのだ)王手でも詰めろでもない。だが、駒を渡すと詰むかもしれない。何もないと思っているところに読みにない手がきて、僕は慌ててしまう。もっと強い攻めならそれに合わせて受けることもできるが、ふわりとしている分どう受けていいかわからない。

 しかし、桂が1枚増えたので詰みがあるはず。金を寄り桂を成り捨て桂を打つ。王手。相手は玉をまっすぐ上に逃げる。残り10秒。もしも、向かい飛車の飛車先が1つでも伸びていれば、簡単な詰みだった。僕は玉頭に銀を捨てた。正しくは端から桂を打つ手で、まさにもらった桂によってぴったり詰むのだが、発見できなかった。するすると上に逃げられ、王手が続かなくなったところで時間切れとなった。



~即詰みを逃す

・曲者は難しい
 手数にしては10手ちょっとの簡単な詰将棋だ。しかし持ち駒が角とか桂とかばっかりだと、飛車と金の実戦型よりも大変だ。(桂の利きが人間には難しいのだ)あと下段に落とす方はわかりやすいが、上に追っての詰みとなるとそこも難しい。抜け出されるという怖さがあるし、落とすのと追うのとでは経験に差がある。

・プレッシャーがかかる
 普通の詰将棋なら解けても、プレッシャーのかかった局面ではそれだけで難易度が上がってしまう。詰まさなければ自陣が詰む。あるいは詰まされるかもという不安。時間が切迫するというプレッシャー。そういう状況でも詰んでいるものを詰まし切るには、心も強くなければならない。
 時間が切迫するというだけで、5手詰や7手詰が詰まなくなる。酷い時など、1手詰を見落としてしまうのだ。

・長い詰みより短い必至か?
 長い詰みは時間がかかる。短い詰みよりはそうだろう。短い必至はどうだろう? そこは難しい問題だ。長い詰みなら読み抜けがあるかもしれない。詰みがなかった場合には負けになることが考えられる。だが、実戦で必至をかけることにも問題はある。本当に必至か?(必至にも読み抜けがある)詰めろ逃れの詰めろがあるかもしれない。受けの妙手があるかもしれない。王手で攻め駒を抜かれたり、上部を開拓されるかもしれない。(部分的に必至でも、実戦では王手でそれが解かれることもある)
 あるいは、無駄な受けや王手ラッシュをされて時間切れに追い込まれるかもしれない。そうした面を考えると、多少長かろうが即詰みほど確実なものはないとも言える。(読み切ってしまえば)絶対手順に入ってしまえば、時間を使うこともなく、手番を渡さないので王手ラッシュもない。(王手ラッシュ問題の解決策は穴熊だ。それ以外では、その分だけ時間を余しておくことだ)
 詰みはあるけど必至はないという局面も存在する。だから、このテーマに1つの正解はない。



~向かい飛車が泣いていた(相振り飛車は攻め合え)

 即詰みを逃した。それが直接の敗因だ。しかし、直接の敗因だけをみて反省を終わらせていては、見込めない成長もある。詰む詰まないまで行っていることはよいことだ。では、それ以前はどうだったのか?
 一番の問題は向かい飛車が最後まで遊んでいたことだ。詰むとか詰まない、時間があるとかないとかは、言ってみれば運だ。紙一重のところで決まる部分だ。ところが、飛車が遊んでいるというのはもっと将棋の根幹だ。そういう将棋を指していては、今日たまたま勝てたとしても明日は勝てなくなるだろう。相振り飛車の将棋では、気をつけないとこういうことがよくある。(対抗形では互いに戦場を共有していることが常なので、普通に指していればそこまで飛車が遊ぶということが少ない)相振り飛車では、相手の飛車の領域でのみ戦ってしまうと、自分の飛車が遊んだまま終わりかねない。少なくとも、反撃の構えだけは取っておかなければならない。
 本局の問題点は端攻めの認識だ。
 まず自陣角からの端攻めを過大評価しすぎないこと。そこだけに意識を向けすぎないことだ。端は破られても構わない。基本的に角まで加わってしまうと、美濃囲いの端は守りきれない。だが、端攻めをされた場合、必ず桂とか香とかの持ち駒が入る。それに加えて持ち角もあるので、反撃の駒としては揃っている。端攻めを甘受して反撃に転じることが、相振り飛車の基本となる。主軸として忘れてならないのが飛車で、そのためにも早い段階で飛車先は相手の玉頭に伸ばしておかなければならない。歩と桂を持っての玉頭攻め(こびん攻め)は案外強力で、端攻めよりもダイレクトに響くことが多い。(反撃は相手の玉の位置によって変わる)
 一方的に攻められないこと(過剰に受けにまわらないこと)で、飛車を使うことを心がけたい。


【将棋ウォーズ自戦記】地下鉄飛車の特急券

2022-02-22 03:21:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 びしびしと空打ちを二度、三度入れて、敵陣に飛車を打ち下ろす。

「空打ちってどんな風?」
「そうだな。ゴミ箱に遠くから勢いつけて投げ入れる感じかな」

 それは全く無駄な力かもしれない。体力と時間の無駄かもしれない。普通にすれば間違いがないのに、勢い余って外してしまうかもしれない。だけど、人はそれをやりたがるものだ。それは遊びだ。あるいは様式、美学だ。勢いつけてドボン♪と風呂に飛び込んだり。猫だって同じだ。ボールに食らいつく前に、じりじりと後退りして楽しんでいるのだ。

「特に意味がない奴?」
「まあそうだね」

 意味か無意味かで生き物は動かない。それは心だ。
 心が躍り、駒は飛んで行くのだ。


「お前が先手だ!」

 僕は中央の歩を突いて中飛車と決めた。すると相手は飛車先を突いてきた。居飛車だ。僕は中央の位を取った。相手が銀を繰り出してきたので、それに銀を合わせ対抗した。相手は角道を止めて手厚く指してきた。僕は右の銀も繰り出して中央に二枚銀を並べた。銀という駒は横に並べたり縦に並べたりするのが好形と聞いた。

 駒組みが続き、僕は左の金を囲いにつけて金を縦に並べた。金という駒は縦や横に並べると強いと聞いた。相手は歩の頭に角をのぞき揺さぶりをかけてきた。僕は穴熊に組み替えた。疎ましい角に対して、歩を突いて追い返した。すると相手は端に角を逃げた。元の場所に戻ると思ったので意表を突かれた。勢い僕は端を攻めた。角頭は弱点とは言え、穴熊の端はもっと弱点かもしれない。そこは諸刃の剣だ。だけど、ロマンがある。ロマンはあるけど一貫性がない。一貫性はないけど気合いがある。棋理としては間違っているかもしれないが、筋は通っている。結局のところいいのかわるいのか。「少しわるくても楽しいからいいか」将棋は楽しく指した方がよいという話もある。「えいっ!」という気合いも3分切れ負けでは大切だ。相手が怯んで間違えるかも。

 端に香が走った手に対し、相手は桂を跳ねてきた。ちょうど一段飛車になっていたため、居飛車の飛車が遠く端まで通ってきた。(狙っていたか?)僕はふらふらと角を取った。(角頭を歩で押さえて封じるのが最善だった)同香が王手!となり穴熊玉を逃げ出した。すると相手は地下鉄飛車に転回してきた。

「ちくしょー。いつの間に乗車券を?」

 受けてもロケット香があるし桂が跳んでくるので、端を明け渡し更に玉を逃げ出した。すると相手は香車を成り込み桂を取ると飛車を成り込んできた。角を取るために自陣を破られて竜を作られるようでは、割に合わない。更に不満なのは角を筆頭に振り飛車の左辺が働いていないことだ。元々が左辺での戦いに備えての駒組みなので、突然右辺で大決戦になってしまうと取り残されてしまうのだ。目先の利にとらわれて全体の駒の働きが疎かになってはならないという好例だろうか。

 僕は一段飛車で成香を回収すると金を寄せて竜に当てた。相手も飛車には弱い陣形だ。竜が逃げた手にもう1枚の金を押し上げて圧を加える。そして竜を自陣にまで追い返した。「まさか追い返せるとは」それは夢のような展開に思えた。

 僕は垂れ歩を打って敵陣の竜に圧をかけた。すると相手は香を打ってきた。僕は中段に香を打ち対抗した。すると相手は自陣に桂を打って端の歩を取りにきた。なんともう一度端の突破を狙っているではないか。僕は飛車を寄って勢力を増強した。相手はかまわず桂を跳ねてきた。金取りだ。僕は勢い香で桂を取り返した。(痛恨の一手)冷静に金を寄ってかわしておけば、相手の端攻めは渋滞しておりさばけなかった。飛車取りに香を走られた時、数では受かるはずなのに歩切れのために端の突破を阻止することが困難になっていた。結果、二枚成香によって自陣の金をはがされ、気づくと裸の王様になっていた。逃げて逃げて玉は左の端まで追い立てられた。大脱走の果てに受けを誤り寄り形となり、最後は時間切れ負けとなってしまった。
 将棋は勢いも大事だ。
 しかし、勢い余って自滅することもあるので注意されたい。



~含みにする手

 あなたは「食べたい物から食べる」人だろうか。それについては、僕はいつも迷ってしまう。先に食べるか後で食べると決めていればいいが、決めてないから迷ってしまうのだ。実際、そういう人も多いのではないか。別に決めることもないのだ。今日は食べたい物から食べるけれど、明日は違ってもいい。食べたい物を先に食べると、うっかり食べ損ねるという心配がない。世界が終わってしまうかもしれないから、早く食べるに越したことはないと主張する人もいるが、世界が終わるなら別にどっちでもいいような気もする。食べてしまった物はなくなってしまうが、食べずに置いておけば、楽しみにする時間を長くする気がする。将棋には味消しという言葉や、楽しみにするという用語もあって、何でもかんでもすぐに手を出すのはどうもよくないようなのだ。

「思いついた手はすぐに指してしまう」

 突かれた歩はすぐ取ってしまう。
 近づいた大駒はすぐ追ってしまう。
 追われた駒はすぐ逃げてしまう。
 狙い筋はすぐ決行してしまう。

 ついつい手拍子のように、あるいはボールウォッチャーのように、視点がその場その場の動くものに固定されてしまう。
 将棋にはあえて触れない、置いておく、含みにする、宙ぶらりんにしておく方がよい局面というのが多々あるようだ。
 相手に指させて、タイミングをはかって動く。相手の指し手を逆用したり、無駄な一手を指させるようにするのだ。
(例えば起点/脅威となる大駒を長く置いておく。相手が脅威を除くためにプレスした瞬間に飛び込む。プレスを待って飛び込むことで、追う一手を無駄手にする。代わりに有効な一手を指せる)
 将棋の駒は当たっている瞬間が最も働いているという。その瞬間だけにかかる技もある。 


~逃げないさばき

 振り飛車とは、大駒を巡る戦いではないだろうか。大駒はエースだから、相手も警戒してプレッシャーをかけてくる。それをただ怖いと感じるところから、楽しむところまで進むことが振り飛車党としての成長ではないだろうか。
 追われるまま、攻められるまま、逃げたり隠れたりするばかりでは押さえ込まれてしまうだろう。最も警戒するべきなのは、取られてしまうことではなく、完全に働きを封じられてしまうことの方だ。相手のプレッシャーに対し、かわし、切り返し、さばいてみせる。そこに振り飛車のロマンがある。


【将棋ウォーズ自戦記】遅すぎた反撃

2022-02-08 18:40:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 相手は升田式石田流の出だし。僕は相振り飛車をためらって右の銀を運んだ。何とか流左玉の布石だ。相手はしっかりと美濃囲いに囲った。僕は銀を二枚横に並べてから位を取った。いつまでも角道を止めてこないのでこちらから交換した。僕は向かい飛車に振って玉を上がった。ついに左玉が実現した。相手は飛車の頭に銀を繰り出し桂も跳ねている。今にでも仕掛けてきそうな積極的な陣形だ。僕は一段飛車の構えを作り自陣を整えた。すると相手は石田流から歩を突いて攻めてきた。

 銀損の強襲だ! 少し無理では? しかし、美濃囲いが堅いこと、向かい飛車が眠っていること、受けが下手であることなどを考慮すると、不安の方が大きかった。金か桂かどちらで取るか? この応対に時間を使いすぎたことが後に響くことになる。悩んだ末に成銀を桂で取った。桂頭の歩攻めにグイッと銀を出てガードする。すると相手は桂を取り、銀をくれと桂を打ってきた。そこで僕は飛車の頭に歩を打った。これでまずは一安心か。以下色々あって自陣に成桂を作られる間に、石田の飛車を中段で圧迫する形となり少し手応えを感じた。

 飛車を追いながら向かい飛車の飛車先も伸ばすと中段に桂を据えた。美濃のこびん攻めだ。すると相手は玉を引いて先受けした。僕は構わず歩を突き捨てて攻めた。好調ではあるが決まるには遠い。何とか食らいつこうとするが、相手は玉を逃げ出し自陣に駒を投入して徹底抗戦する。ごちゃごちゃとした攻防の途中で、無念の時間切れ負けとなった。

 強襲への対応に時間を使いすぎたことが響き、よくなっても寄せ切るまでには至らなかった。時間であまりに離されてはチャンスは限りなく少なくなる。3分切れ負けは時間との戦いだ。





●戦術的無理攻め(ゼロ秒指し)について

 立ち上がりから守りもそこそこに、いきなり襲いかかってくるような相手と対戦することがある。多少無理でも、短い時間で正確に受けることは難しい。考えようによっては受けの勉強になる。
 中には無理を承知で攻めていると思われる時もあり、それは「戦術的無理攻め」に違いない。(攻めが失敗しても最終的に時間で勝つ作戦)
 その主な狙いとは、

・一方的に攻めたい
 受けは苦手。一手違いの寄せ合いには自信がない。だけど攻めには自信がある。攻めが好き。一方的に攻め立てるような展開になれば勝てるかもしれない。攻撃は最大の防御。攻めている間は攻められない。玉のない無敵状態となって攻め続けたい。

・自分のペースに持ち込む
 先に攻められるのは嫌だ。とにかく自分から先攻して主導権をつかみたい。相手よりも速く指して圧倒する。攻撃とスピードによって相手を浮き足立たせる。(守りは最小限。またはノーガード)

・受けに神経を使わせる
 間違ったらつぶすというプレッシャーを与えて時間を削る。形勢がわるくなっても、自玉が攻められていなければ時間勝ちを狙える。

・視野を自陣に限定させる
 攻め対受けという単純な構図に持ち込む。それによって本来の目的(玉を詰ますというゲームの本質)を忘れさせる。言わば催眠術だ。受けにいっぱいいっぱいでは、恐怖心も合わさって、自玉周りしかみえなくなることは考えられる。

 いつもいつも上手くはいかないだろうが、受けが嫌だという人には効果的かもしれない。時間でも将棋でも圧倒できれば爽快感もあるだろう。


~ゼロ秒指しのリズムとプレッシャー
 ノータイムで指す効果

 ・自信満々にみせる
 ・考える時間を与えないことによって無理が通る。
(0秒で指してくるということは時間でも圧倒しようとする意思があるので心して臨まねばならない)
 3分切れ負けは相手の時間と合わせて6分なのが、半分になってしまう。将棋は相手も考えてくれるから、ある程度の余裕が得られる意味がある。時間の使い方を手がかりに相手の状態を知ることもできる。自分の時間でのみ戦うというのは、相当大変ではないか。
 本当の早指しを相手にしては、極端な話3分で負かされる恐れがあるのだ。


~受け切らないということ
(攻める心を失わないこと)

 3分切れ負けというルールの中では、受け切って勝つというのはあまり現実的ではない。(そもそもそれは本来の目的でもない)
 形勢がよくなっていても、時間が切れれば相手はしめしめと思うかもしれない。凌いで終わりではなく、できれば最後にまくりたいものだ。

 大切なことは、苦しみながらも遠くをみておくことだ。
 防戦一方に追い込まれている状態でも、敵陣に目を向けておく。相手の攻めが伸びきったところ、ワンチャンスでのターンを狙う。自陣を安泰にして時間で負けることを思えば、リスクは冒さなければならない。
 一瞬の反撃機会をつかむことは、受けの醍醐味でもあるのだ。


「最後は金が物を言う」

2022-02-06 03:09:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 先手は角道を開けてきた。僕も角道を開けた。すると相手はその歩を更に突き進めてきた。升田式石田流か。これに対して僕は迷った。相振り飛車でいきたい。だが、そうなると飛車をどこに振ったらいいのだろう。相振り飛車のベストポジションはどこか。向かい飛車が大変有力であると聞いたことがある。それには角を動かさなければならない。だが、相手は角道を止めていない。ならば自分から止めるか。少し消極的にも思える。相手は先手の利を生かしてどんどん攻めてくるのではないか。果たしてそれでわるくなるだろうか。善悪はともかく守勢にまわることになりはしないか。それならば相振り飛車を試みる必然性はあるのか。

 4手目の迷い。しかし、3分切れ負けではいつまでも迷っている暇はない。1秒で決断しなければならない局面だった。僕は右の銀を斜めに動かした。居飛車模様だ。この時、僕の頭の中には何とか流左玉の構想があった。相手は三間飛車に振って玉を囲った。僕は銀を中段まで上げると一旦止めた角道をすぐに通した。(この位を取るのが狙いだ)すると相手はいきなり角交換から銀の隣に角を打ち込んできた。

「しまった!」
 桂取り歩取りだ。隙があったか。まだしも飛車で取るところだったか。早くも大ピンチだ。乱戦ではいきなり力を試される。ぼやぼやしているとあっという間に敗勢だ。

 僕は飛車を転回させて桂と歩を同時に守った。すると相手は喜んで飛車を取ると勢い飛車先を突いてきた。飛車先を切った手に対し、僕はおとなしく歩を謝ったが、強く敵玉のこびんに向けて歩を突き出す手もあった。僕は居玉に壁銀、対する相手の弱点と言えばそこ以外にないのだ。飛車先を穏便に収めて、一手遅れてこびんを攻めて、なんとか馬はできた。歩が切れたところで相手は桂取りに歩を打ち込んできた。遅いようで確実な攻めだ。僕は馬で飛車を取って、敵陣に飛車を打ち込んだ。金銀両取りだ。すると相手は自陣飛車を打って受けた。両取りが見事に受かっている。打ち込んだ飛車の行き場がない。これで何もなければと金を作られて攻められる。

「まずいぞ」
 何か見つけなれば。僕は大いに焦った。取り乱した中で、僕は敵陣に謎の角を打ち込んだ。銀の腹、飛車利きを陰にすることで銀取りと飛車のこびんへの成り込みを狙った一手だった。飛車が利いていてただなのだが、飛車が横に動くと底の金が浮いてしまう。(それはまあ当然と言えば当然だ。たった今両取りをまさに自陣飛車によって受けたところなのだから。囲いに隙/離れ駒があれば、色々と技もかかりやすい。完璧な連携の陣形では、地道な攻め以外ないだろう)ただ捨て(捨て駒)によって守備の連携を崩し攻撃を成立させる。これは将棋/詰将棋の醍醐味ではないだろうか。

「捨ててこそ浮かぶ駒あり!」

 相手は打たれた角には触れず、自陣角を放った。飛車取り銀取りだ。ここにきて自陣の浮き駒が祟った。浮き駒は常に大駒に狙われる定めにある。一方で大駒はその強さ/大きさ故に、多くの場面で浮いている(離れている)ことが多い。(だからあえて浮き駒と表現されることは少ないかもしれないが、浮いているものは浮いているのだ)単独で敵陣に打ち込まれた大駒は必ず浮いている。(これは大駒に限らないが)持ち駒を放つ時は、その瞬間から浮き駒として狙われる定めを背負うことを常に自覚しなければならない。角が大技を食らう場合、敵は飛車であり、反対に飛車が大技を食らう場合、敵は角である。

 両取りに対して僕は飛車の方を助けた。すると相手は銀を取りながら、玉頭に馬を作ってきた。僕は金を玉に近づけながら馬に当てた。もしも逃げてくれるなら、手順に玉頭を補強できたことになる。しかし、馬を切って寄せる手が成立した場合、むしろ自玉の寄りを早めただけの手になる可能性がある。勝敗を分ける重要なポイントだった。実際馬で金を食いちぎると玉は裸同然だ。そこで金をグイッと中央に出る手が自陣の飛車筋を通して開き王手となる。持ち駒の金銀に加えて眠っていた飛車と金が一気に戦力に加わるので、一目寄りだろう。歩を謝っても合わせられる。こちらも相手の飛車先を叩いて開き王手を狙う筋はあるものの、叩いた歩を王手で払われる展開になれば手番がまわりそうもない。

 実戦では相手が自重する間に金二枚を玉頭につけ、桂を拾って馬を作った。相手は少し後悔していたのではないか。少し元気のない指し手が続いたように感じた。馬と銀に迫られた瞬間、僕は歩で飛車の頭を押さえることに成功した。急に勝ちがみえて僕は浮かれながら取り乱していた。厳しい歩ではあったが、次に飛車を取った手が詰めろなのかどうか、そこが紛らわしい。(持ち駒に金がないことが問題だ)受けのない相手は、飛車取りを手抜いて金頭に歩を叩いてきた。この歩は何だ?

「厳しいのか?」

 持ち駒が歩だけの相手は攻めるとすれば他にないのだ。この歩は金で取ることができる。取ると多少形が乱れる。その意味では利かされと言える。だが、戦力がないためそれ以上の技の出し方がない。取ってよし。もしも、僕の攻めがもう少し遅れていたら、手を戻すことによって何事もなく安全勝ちできていただろう。現実は寄せ合いに出ており、上手くいけば寄せ(勝利)は目前だ。将棋には「一手勝ち」という概念もあって、どれほど自玉が危険になっても受けなしになっても、一手早く敵玉を詰ませばいい。(自玉が詰まなければ敵玉に必至をかければいい)「一手勝ち」を目指す心を立てた時、「安全勝ち」などという曖昧な概念は消えてしまう。詰むか否か、どちらが先に詰みに行き着くか、そうした純粋(明快)なテーマが設定された時、ある意味ではもう余計なことを考えなくて楽である。(安全を願い続ける状態には常に不安がつきまとう。安心安心といくら唱えてみたところで、それが証明される過程で食いつかれてしまうことはよくある話だ)それよりもどこかで思い切って「一手勝ち」を目指す方にシフトすれば、話はずっと単純になる。詰むか詰まないか。それは誰の目も欺くことのできない客観的な事実であるからだ。どれだけ駒損していても、駒が遊んでいても関係ない。詰みさえすれば勝ちなのだ。純粋である分、1つの読み抜けで結論は入れ替わってしまう。そこに人間のやることの危うさがある。短い時間に正確に読み切ることは難しい。一手勝ちを狙い踏み込むにせよ、形勢が許すなら少しの余裕を持って臨みたいものだ。(形勢に差があるのならなるべく危ない橋を渡らずに、一手ではなくニ手離して勝ってもいいのだ)

 安全勝ちか一手勝ち。この将棋は僕の攻めが敵玉に対してちょうど中途半端に迫っていることによって起こり得る逆転劇と言えた。もう一手速ければ明快な一手勝ち。もう一手遅ければ受けに回って安全勝ちを狙っただろう。「行けるかも」寄せ合いに生じた絶妙の間合いが、迷いを生み、時間に追われる中で、無謀な攻撃へと向かわせたのだ。

 冷静にみれば飛車取りに打った僕の歩は受けのない3手すき。受けがないということが重要で、相手の攻めが確実に3手空くのを待って攻めれば明快な勝ち筋。だが、場合によっては2手すきに変化する可能性がある。対して金頭に打たれた歩は(受けは考えないものとして)2手すきで、要の金に直接迫る厳しい一手だ。重要な点は2つあり、1つ目は王手がかかりやすい形になったことで、持ち駒次第で即詰みが生じるということ。2つ目はそれが歩による攻撃であるという点。これは相手にとって一方的に美味しい攻めと言える。(だから歩によって王手で金を攻められるような攻めは、よほどのことでなければ手抜かないものだ)2手すきを詰めろに変える手段は、歩ではなく馬で飛車を取ることだ。これによって次に王手がかかりやすくなり、瞬間的に詰めろをかけることは可能だ。だが、ここで1つ目の狙いが現実化する。相手はその馬を銀で取ることで瞬間的に詰めろを外すことができる。詰めろを継続するには銀を歩で取り返さなければならないが、すると角が増えたことによってこちらの玉に即詰みが生じてしまうのだ。一手飛び越えることはできるが、それによってこちらも一手速くなるので、速度は逆転しないのだ。攻撃は反動を伴う (攻めた分だけ戦力を渡してしまう)のが常なのである。2手すきではあるが、駒を渡せば詰めろに変化してしまうところが危険なトリックと言える。

 攻め合いに走る僕の指は歩を成って飛車を取り切ることを選択した。その時の僕の心はこうだ。「何かあって詰めろになっていてくれ!」(詰むためには金が不足している)相手は歩で美味しく金を取って、更に残り1枚となった金の頭に歩を叩いてきた。あっという間に受けなしである。(歩を打って金を取るというだけの攻めなのに)「何かあって……」歩による攻めであるため、何かが生じる余地がない。実際、相手玉は金がなければ(無数の銀でなく1枚の金だ)ほとんど詰みのない玉だったのだ。なまじ王手が続くばかりに、詰むのではと錯覚を起こしてしまう。

「将棋は金なのだ」

 攻めるにも受けるにも最後は金が物を言うのだ。私は歩だ、桂馬だ、意外と角だ、やっぱり飛車だと言う声もあるだろう。僕だって飛車は好きだ。中でも敵陣に作る一間竜がいい。送りの手筋を使って寄せるのが好きだ。二枚竜で一間竜になったら最高ではないか! あらゆる駒は敵陣に裏返ることによって金の素質を獲得することができる。(成らないのは玉を除いて唯一金だけだ)それこそが将棋の主役が金であることを物語っているのではないだろうか。そして最強の駒は歩/と金ではないか。(将棋はと金を作るゲームであると昔聞いたことがある)美味しくて、恐ろしくて、厄介で……。その輝きは立場によっても変わるだろう。

 もしも、この攻め合いの中で、歩/と金を取ることによって金を得ることができていたら、相手玉を詰ますことができた。反動がない分、歩の攻めは効率がよすぎるのだ。

「歩はと金に化けるが、払ったと金(歩)が駒台で金になることはない」

 相手は最初の歩によって「詰めろをかけてごらん」と下駄を預けた。「だけど場合によっては詰ましてしまうよ」だから僕は厳しい詰めろをかけられなかった。そして、再度の歩によって「詰ましてごらん」と下駄を預けたのだ。その時には歩によって預けているので、反動が生じないことが強みだった。歩による下駄預けはノーリスク。対して僕が下駄を預けるにはハイリスクな方法しかないので、一手勝ちを目指すには無理のある形だったと言える。

 自玉が受けなしになって詰ますしかなくなった。金のない状態で王手をかけるには飛車から入るか、と金を寄るかしかないが、いずれかのタイミングで(と金の場合はすぐに、飛車の場合は一旦金で取ってから)玉を端にかわされると王手の続かない形になる。最後は飛車による合駒請求によって一瞬「もしや」とも思えたが、たった一筋だけ歩の合駒が利いて無念の投了となった。

 最終盤で無謀な攻め合いに出て自滅するというパターンは、自身の最近の傾向として定着してしまっている。勝手に転んでくれるなら、相手にとってこれほど楽なことはないのではないだろうか。そこは何としても改善しなければならない。



●勝ち急ぎの構造と対処

①メンタルの弱さ
 早く勝ちたいと焦れば敵陣に目が行く。手を戻すのは怖い。何かあるかもしれない。手段を与えるかもしれない。敵陣だけを見ていたい。粘られるかもしれない。振り返りたくない。受けるのは面倒だ。
 様々な心の乱れが指し手の乱れにつながってしまう。
 落ち着きなさい。

②状況判断の悪さ
 加速/手抜きのタイミングを誤る。自分の攻めを過信している。相手の攻めを甘くみている。敵玉の耐久力を甘くみている。自玉の耐久力を過信している。正しくみえていないことによって判断を誤る。
「これくらいで……」という感覚がだいたい間違っている。

③急がないという選択を持つ
「寄せなければ、急がなければ…」
 そうした思い込みが強い手(強げな手)を選ばせるが、強い手は相手の手も強めてしまう。的確でなければ反動が上回る。
(急がば回れ)というのは、寄せ合いの中でも正しいことはある。
 鉄板(穴熊)に対して無理な加速をして反動で負けるパターンは、振り飛車党なら誰でも経験があることだろう。(持ち駒を渡しすぎて詰まされる)
 見た目厳しいだけの手を選んでないか。
 それは一時力で、手になってなくて、お手伝いで、反動を生むだけの手ではないか。
 落ち着きなさい。見極めなさい。

④時間の切迫と形勢は関係ない
 時間がなくなってくると精神的に追い込まれて、局面の方も忙しいように感じられてしまう。後戻りのない最終盤、一手違いの寄せ合いのように思えてしまう。
「本当に一手違いの寄せ合いなのか?」
 冷静に局面をみる目を見失ってはならない。
 誤った直線に自ら飛び込んでしまってはならない。
 落ち着きなさい。



●勝ち方のバリエーションを広げる
(勝負強さを身につける)

①棋理だけを追究しない
 棋理を探究することは上達のために当然だ。しかし一局の戦いの中で、最善最強だけを求めるには無理がある。自分には指せない手があることを知っておくのも大切だろう。

②人間を理解する
 棋理を追って戦っているのは人間だ。人間の処理能力には限りがあるし、指し手にはメンタルも大きく関与する。自分が焦ったり誤ったり取り乱したりするように、相手だって完全ではない。人間の心は繊細だ。プレッシャーが強ければ、普段の力を出し切ることも難しい。(時間がなかったり、玉が薄かったり)いかにメンタルをコントロールするか、プレッシャーとつきあうかというのも重要なテーマとなる。

③問題を解いているのではない
 中盤の難所で次の一手を考えている。最終盤で詰む詰まないを考えている。「果たして正解は?」局面と自分だけの世界になって考えるが、なかなか正着にたどり着けず、時間ばかりすり減っていく。正解が発見できれば勝ち。できなければいい加減な手/悪手を指して負けてしまう。理想へたどり着けないという時に、自ら転んでいないだろうか。
 それなら「もっとましな手があっただろうに」
 実戦は次の一手問題ではない。解けないという場合でも、局面を投げ出さずにくっついていかなければならない。最善ではなくても代案の入った引出を引っ張る力が必要だ。
「わかるかどうか」
 自分の問いにだけ苦しまず、相手に投げかけてみてはどうか。

④相手に楽をさせない
「フィッシャーで食いつかれると相手は指し方が楽」
 そう名人も仰っていた。
 と金攻めはと金を寄せていくだけでいい。わかりやすければ悩むことも、時間を使う必要もない。(攻める方はいいが、と金に迫られる方は大変なプレッシャーだ)「勝ちやすさ」「わかりやすさ」といった要素も、特に短い時間の将棋では重要となる。自分ばかりが難しいというのでは割に合わない。将棋で一番困るのは手の広い局面ではないだろうか。
「手に乗って指される」
 先手先手で攻められるのは嫌なものだが、無理攻めとわかっているなら話は変わる。相手の手に乗って自然に指していればよくなるからだ。相手の手に対応しているだけでいいなら、これほど楽なことはない。
 実戦においては、どう悩ませるか/困らせるかとうことも重要なテーマだろう。

⑤パスみたいな手を指せるか(相手の手番で考える)
 自分の手番でなく相手の手番で考えることができれば、時間でも勝てるのではないだろうか。(相手の指し手が止まらないと厳しいが)相手の時間をいかに自分のものにするかというのも、時間の勝負では重要となる。(3分を6分にすること)
 すごい激しい展開の途中で、いきなりパスみたいな手を指す。損のない手、傷・狙いを消す手を指す。すると相手は「うっ」となって指し手が一瞬止まる。そこで考えてしまう。相手の時間で息継ぎをするのだ。タイミングをずらされた相手が悪手を指すということは考えられないだろうか。

⑥時間でも将棋でも勝つ
 時間と将棋のどちらでも勝つというのは理想ではないか。王手ラッシュでもかわしき切るほどの余裕を持ち、形によっては自陣を整備しての逃げ切り勝ちを狙う。だが、実際は将棋が苦しくなると指し手に窮して時間もなくなってしまうことが多い。どちらかで勝っていなければ、勝ち目がない。
「どちらも勝ってたはずが……」
 というのもよくある展開だ。
 必勝になったのでちゃんと勝ちきろうとして局面に没頭する。知らず知らずに時間を使う。時間切迫の焦りもあって正着を発見できなくなる。悪手を指して形勢接近。だんだん怪しくなって、時間は逆転。いつの間にやら形勢も混沌として、最後は悪夢のような逆転負け。
 よくなった側にも悩みはあるのだから、決め手を与えないように指すという技術も勝負の上では重要となる。

⑦延命して逃げ切り勝ち(粘る技術)
 厳しい攻めをあびると僕の玉はあっという間に寄せられてしまうようだ。
「終盤(寄せ)ってそんな簡単か?」
 強い人の玉を寄せるのに苦労したことはないだろうか。どう考えても寄っているのに、なかなか簡単に勝たせてもらえない。
 悪いなりにも最善の受け/粘り方というものがあるのではないか。
「しぶとさ」をみせて相手にプレッシャーを与えることも重要だ。僕の場合、寄っている場合だとしても、簡単に寄りすぎる。(10秒、20秒で必至がかかる)
 秒読み将棋では手数を延ばしても駄目なものは駄目だが、切れ負け将棋では大きな意味がある。(勝負の半分は時間であるから)
 何手延ばせるか=何秒延ばせるかであり、将棋はともかく勝負においては望みが出てくるのだ。
「粘る技術」というのは、3分切れ負けの中ではとても重要だ。王手ラッシュなどよりもよほど役立つスキルとなるだろう。


【将棋ウォーズ自戦記】1秒将棋 ~突然迷子

2022-01-28 01:31:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 戦いが始まって1秒が経っても相手はなかなか指さなかった。きっとお茶でも飲んでいるに違いない。だとしたら落ち着いた相手だ。3分切れ負けであっても、自分には余裕があると言っているも同然だからだ。後手番である以上、相手が指すまで指すことはできない。因みにアプリの中では禁じ手を指すことはできない仕様になっている。それは便利ではあるが、疑問に思うこともある。(本当の実戦だったら……)

 僕はウォーズの中で時間に追われて二歩を打ってしまうことがある。実際は操作不能になって打ってはいないのだが、僕の指は確かにそこに二歩を打ったのだ。「あっ、そうか……」一瞬はっとして、恥ずかしくなって、そこで潔く投了ボタンを押すことはよくある。(だいたい負け将棋の時)勝っている将棋では、何食わぬ顔で指し続けることが多い。だが、それってどうなのだろうか。反則を自分の胸にこっそりと仕舞って、何事もなかったように勝ってしまうなんて。操作ミスは容赦なく反映されて、待ったは勿論許されない。なのに禁じ手は水面下でかき消され、みえない待ったを許して平然と続行される。少し考えすぎだろうか。ゲーム(アプリ)なのだから、禁じ手が指せないようにできているのは当然とも考えられる。もしも仕様が変わり、禁じ手が盤上に反映されてその瞬間に反則負けとなるようになったら、それもまた緊張感があっていいかも。(開発者関連の方、そんなゲームって可能ですか?)

 相手がお茶を飲んでいる間、僕は作戦も立てずに余計なことばかり考えていた。ともかく、相手の初手が決まらない限り、将棋というものは始まらないのだ。初形が最も美しいと言う人もいる。一段金は飛車の打ち込みに強く、香は下段にいた方が強いとされる。居玉のまま戦うシステムも存在する。動いていくということは、よくなっていく面ばかりではないのだ。美しいところから離れていくことであり、乱れていくことでもある。それはどこか生きることにも通じるのではないか。何もせずに留まっていれば安全であるかもしれない。だけど、それだけでは魂が安らがない。僕らは何のためにこの星にやってきたのだろう? 質問に答えられる者などいるのだろうか。僕は時々こう思う。隅っこに残っている香だって、本当は踊りたいのだと。そう。僕らはいつだってアスリートなんだ。

「走る、踊る、指す」乱れてこそ生きる。さあ、お前が先手だ!

 1秒が過ぎて、相手はまだ初手を指さなかった。通信の不調なんかではない。ただお茶を飲んでいるのだ。きっと魂がお茶を呼んでいるのだろう。お茶によって気を鎮め、あらゆる邪念を追い払う。目の前の自分に打ち勝てさえすれば、簡単に負ける相手などいないのだ。そう言い聞かせて一局の行方を占っているのではないか。はじまりのお茶があるなら、中盤の難所にもそれはあるだろう。だが、相手の最大の望みは勝利の余韻に浸りながらゆっくりと飲むお茶ではないだろうか。この一局は、玉よりもお茶を中心として回るのかもしれない。

 対局開始から3秒が経過して、ようやく相手は角道を開いた。いよいよ戦いの開始だ。僕は角道を開けた。すると相手は飛車先を突いてきた。居飛車戦法だ。僕は角道を止めないまま四間飛車に振った。角交換歓迎型振り飛車だ。互いの角がにらみ合ったまま、僕は端の香を上がった。穴熊戦法だ! 相手は角を換えてきた。僕はそれを桂で取る。銀はまだ1つも動いていない。相手は壁銀を作って玉形を整えた。僕は穴熊に入った。しかし、これは流石に危険だったろう。(居飛車の飛車先が無防備である上に、玉頭に隙ができてしまう)隙が同時にあっちにもこっちにもあれば、だいたい手にされるとしたものだ。先に向かい飛車にして備えるか、少なくとも金を上がるなどして囲いを強くしておくべきだった。

 相手は飛車先を突破してきた。僕は向かい飛車にして飛車をぶつけた。この一手が指したくて、あえて無防備にしておいたのだ。(だが、なかなか単純な仕掛けを決行してくる相手は少ない)歩で押さえる指し方もあるが、相手は強く飛車交換に応じてきた。気合いと気合いが激しくぶつかる。お互いに1秒未満ノンストップの応酬だ。自信があるわけではないが、ノンストップのリズムに乗ったら、先に降りたくはないという意地みたいなものもある。銀で飛車を取り返すと、相手は中段に筋違い角を打ってきた。同時に2つの成りが受からない。強気で指すならそれに対して中段に飛車を打ち返すという手は有力だった。(流れとして筋が通っている)だが、玉頭の隙を突かれたことで、僕はもう少し弱気になっていたのだ。遅れながら金を上がり、受けの手を選択した。相手は桂の横に馬を作ってきた。この辺りから僕は局面の焦点を見失い始める。(もうノータイムではない)正しくは自陣から飛車を打って攻めるところを、敵陣に角を打ち込んで中段に馬を作った。特に狙いはなかった。相手はぼんやりと馬を寄った。特に狙いがあるように思えなかった。指し手のスピードも最初ほどじゃない。

 僕は自陣の歩をぼんやりと突いて、馬筋を自陣に通しつつ遠く敵玉のこびんを目指した。(我ながら緩い手だ)相手の指し手が止まる。僕らは特急券をどこかに置いてきたのだ。わからない。何もわからない。相手は馬の横に飛車を打ち込んできた。「見落としたか?」僕は思わず投了のボタンに指を置きそうになる。いや待て待て。角金両取りの厳しい一手にみえたが、角には桂の紐がついていた。思い直して僕は金の方をかわした。相手の指し手が止まる。特にプランはなかったようだ。しばらくして相手は壁銀を直して玉形を整えた。落ち着いた一手だ。きっとお茶を飲んでいたのだろう。

「ここはどこなんだ?」あの激しい序盤戦が、遠い前世のことのようだった。いきなり終盤戦に突入したはずが、互いにたいした戦力もなく、自陣に手を入れたりしている。ここは序盤なのか、中盤なのか……。ゴールはいったいどこにあるのだ。僕はずっと放置されたままになっていた銀頭の傷をケアしながら、銀頭に自陣飛車を打ち遠く敵陣を狙った。すると相手はグイッと馬を入り金に当ててきた。角金交換の駒得で、二段目に竜がいるとは言え、馬つきの穴熊に寄りはない。

 急激に時間が切迫したのか、突然ノンストップ将棋が復活した。僕はと金を作り、遅いけれど確実な飛車先突破を実現させていった。相手は竜の力を頼りに手を作ろうとするが、と金さえ作らせなければ脅威にはなり得なかった。ばたばたと進む内に敵陣に竜ができ、銀頭の歩が刺さったところで相手の投了となった。(やはり馬の手厚さは心強いものだ)
 序盤から激しく、だけど中盤は夢のようにぼんやりとしていた。一手も緩みなく指すことなどできるだろうか……。迷子になった中盤のことを振り返りながら、僕はゆっくりとお茶を飲んだ。



【将棋ウォーズ自戦記】不安とパニック 

2022-01-20 02:14:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 先手中飛車で始めると相手は角道を止めて雁木調に出てきた。相振りか……。そう考え美濃の形を決める。すると相手は右の銀を上がってきた。どうも思惑が外れている。左銀を上げていくと相手はツノ銀の構えを取った。中央の位を取り銀で確保するとその間相手は金を左右に開き両方の桂を跳んできた。未だ居玉だ。

 相手の作戦の意図がみえないというのは不安でもある。僕は三間飛車に転回して歩を交換に行った。そして飛車を下段に引いたが、やや消極的だった。(将来の棒金による圧迫を恐れている意味があるのだが、完成した美濃囲い対居玉の状態で、既に恐れているというのはおかしな話だ)積極的に動いているようでいて、実はその後の構想がみえておらず、不安の方が上回っていたのだった。実際は、この後すぐに中央から歩を突っかけていく仕掛けがあった。(どちらの銀で取っても歩が浮く。歩で取れば継ぎ歩で攻めるのだ。その時に居飛車は左桂も跳んでしまっているので角の守備力が遮断されている)また、ツノ銀に対しては最初から四間飛車に切り替えて銀頭を狙っていくのも理にかなっているようだ。

 見慣れない形では序盤の駒組み/構想からセンスが問われ、同じ形ばかり指して調子に乗っていると、改めて自分の軟弱な部分が露呈してしまうのだ。ついに相手は右玉に態度を決めた。恐れていた棒金がのこのこと出てきた手に対し、僕は角頭に歩を謝った。(今までのは何だった?)勝負の流れから言えば、金の進出を恐れるのではなく、大駒と差し違えてもさばくというスタンスの方が正しかった。(相手は左右に分裂して薄い玉形である上に角が全く働いていない。言わば囲いの金で攻めているようなもの。だったら寄せてやるくらいの気持ちだ)

 思うに僕はこの右玉的な陣形に恐れ/コンプレックスのようなものを抱いているのではないか。備えてもまだ相手は棒金による攻撃を継続させてきた。そこで僕は銀を撤退させ、代わりに高美濃の金を押し上げ中央に備えた。すると相手は端角の構えを取った。そこで僕は1つ引いて三間からの逆襲を狙った。すると相手は端角の利きを生かして歩を突っかけてきた。そこで僕は美濃の銀を押し上げて備えた。しかしそれは備えているのか自ら玉形を弱めているのかわからない一手だった。そして何より深刻と思えるのは、この一局がすべて相手の主張に沿った形で推移しているという事実の方だ。相手の手を正しいものと認め、それに対して正面から反発したり否定したりする手が皆無だ。

 将棋というゲームは、相手の手をリスペクトしすぎると勝てない。(常に相手が正しければ、自分は間違っていることになる。反省ばかりしていては、自分の指したい手が指せなくなる)ここは堂々と歩を取る一手だった。取ればつぶされるという恐れと飛車先を突破されてはいけないという先入観が強すぎて、発想することができなかったのだ。仮に左辺の突破を許しても、右四間飛車に転回して戦えば互角以上だった。そもそも取れないようでは、角を1つだけ引いた手が悪手であることを認めるようなものだ。

 常に自信がなく相手の指してが過剰に正しくみえるため、小さな妥協を重ね重ねて相手にとってありがたい手ばかりを続けてしまう。心構えが崩れていることで、ゲームを支配され形勢を損ねてしまう。戦っている間は、冷静な自信を持ち続けなければならない。(天狗になるわけではない。恐れるとしても正しく恐れるのだ)気迫に押されると駒は引いてしまう。出るべきところで出なければ将棋は勝てない。 

 終盤はこちらが三間から攻める間に相手が四間飛車に転回しての攻め合いとなった。歩の進出に対して金を引いた手に飛車取りに角を打ち込んだ手がやや甘く、チャンスが訪れていた。僕は手抜いて玉頭の金を取った。銀で取ればさらに銀をぶつけるつもりだ。相手は構わず飛車を取ってきた。この数手は誤ってはいるけれど筋は通っている。(相手の指し手には一局を通しての魂/一貫性があったのだ)僕はこの局面に限っては正しく指せていたのだが、一局を通して怯えているので自分の指し手に確信が持てないでいた。むしろパニックの中にあった。

 自玉は悲観的に言えば受けのない3手すきで、よくみれば絶対に詰めろがこない形。2手すき(次に詰めろがかかる形)の連続で迫れれば勝ちで、寄せの速度計算としては比較的わかりやすい。しかし、パニックになっている状態では、受けがないという状態の方がピックアップされ、冷静な状況判断ができなくなっている。「寄せなければ」(寄るのだろうか?)突然現れた寄せ合いの局面に、上手く対応することができない。

 原因の1つは囲いに対する不安だ。(指し慣れた囲いでないという不安と、戦いの中で常に薄かったという不安)もう1つは一局を通して主導権を握られている(気迫に押されている)という不安だ。(本当に勝負強い人はどんな酷い将棋でも一度のチャンスを的確にとらえることができるが、並の人間は一局を通しての出来に結果まで持って行かれがちである)

 強い不安がパニックを引き起こし、寄せの精度を大きく狂わせる。安定した状態なら決して逃さないはずの決め手を、簡単に逃してミスを連発する。これがこの惨敗の棋譜に現れた物語だった。
 不安は始まりからあった。相手が右玉に動くのをみた瞬間、嫌な感じがしたのだ。ある戦型に対して勝率が低かったり、負けた記憶が強く残っていると、苦手意識のようなものを感じてしまうのではないか。勿論それも実力の内である。
 不安を拭いきることは難しい。ただ乗り越えていくしかないのだ。