じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「自分の体で実験したい」

2008-04-22 02:53:16 | 
自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝
レスリー・デンディ,メル・ボーリング
紀伊國屋書店

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★ キューリー夫妻のことは知っていたが、他の人々の名前は聞いたことがなかった。人類の歴史、科学の進歩の裏には自分の体を使って実験し、時には死んでしまった人もいたのだ。

★ 高温部屋で人間が何度まで耐えられるか試した人。何でも筒に入れて丸呑みし消化について研究した人。病原体を自らに注射して発症の過程を記述した医師など。

★ 半ば変人とも言えるが、人間の好奇心というものは凄まじいものだ。「科学への愛」などと言われるが、それだけではこれだけのことはできない。思いついたら試さずにはおれない人間の性のようなものを感じた。

★ 原書はアメリカ合衆国で「優れた子ども向け一般科学書に贈られる賞」を受賞したという。翻訳書にはよくあることだが、子ども向けとは言え決して読みやすい本ではない。こうした本は文章を味わうというよりは、内容を知ることに重点を置いて速読するのに適している。
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大返済時代

2008-04-21 23:19:04 | Weblog
★ NHKスペシャルで「大返済時代」を見た。今さらながらショッキングな内容だった。何でこんなになってしまったのか、もっと早く手の打ち様がなかったのかと言うのが、率直な感想だ。

★ 政治家はハコモノばかりをつくり、役人は所詮は他人事だ。そして最後のツケは国民、住民。国や自治体を頼っていた国民・住民がお人よしと言ってしまえばそれまでだが、遅まきながら、これからはこの姿勢を改めねばならないだろう。

★ 世帯分離というのは苦肉の策だと思う。ただ必ずしも負担が減るわけではないので注意が必要だ。島根県だったか役人が「困ったことだ」的な発言をしていたが、タテマエ論ばかり言われてもどうしようもない。生きるためにあらゆる手段を講じるのは当然だ。議員や役人の報酬をまずカットし、人員を減らしてから、国民・住民の負担を提案して欲しいものだ。

★ 200兆円に上る自治体の借金。これを解消するにはインフレしかなさそうだが、インフレが起これば、弱者の生活はますます苦境に陥る。

★ 福田総理は選挙応援に言って後期高齢者医療問題に関し、「高齢者にもちょっとの負担を」と演説していたが、墓穴を掘ったのではないか。所得や資産に応じて「ちょっと」の意味は異なる。所得・資産に応じた負担ならまだわかる。頭割り、一律負担をすればどうなるか想像がつきそうなものだが。

★ 永田町や霞ヶ関に居てはわからないのだろうか。

★ 道路づくりに血眼になっている国会議員を見かけるが、道路より優先してやるべきコトがあるんじゃないかと言いたいものだ。人のよい国民も遂には堪忍袋の緒が切れる。

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「予備校が教育を救う」

2008-04-21 01:54:46 | 
予備校が教育を救う (文春新書)
丹羽 健夫
文藝春秋

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★ 予備校御三家の一角、河合塾で30年以上に渡り予備校経営にかかわってきた筆者の回顧と教育論である。

★ 昭和40年代から平成まで、予備校は激動の日々を過ごす。学園紛争、ベビーブーム、そして少子化。そうした社会的変化の中で、なぜ河合塾が発展できたのか、その秘訣は本書を一読すれば感じ取れる。

★ この種の著書は、書かれてあることよりも書かれなかったことを想像しながら読むのが楽しい。30年と一口に言うが、予備校戦国時代を生き抜いた兵の日々は想像して余りある。

★ 私が面白かったのは、「高校と予備校の役割の逆転」(125p)の項目である。高校間の競争、序列化が進む中、この傾向はますます強まっているように思う。公教育である高校がテスト対策のノウハウを教え、予備校が学問の面白さを語り、学習意欲を高める。本末転倒とも言える姿が現にある。

★ 学力問題が騒がれているが、ロボットじゃあるまいし、正答率の向上ばかりをめざす教育はいかがなものか。かつてのように学園紛争でも起こって、「自己否定」「再生」のプロセスが必要なのではとも思う。

★ 技術革新がどんなに進んでも、人間同士のコミュニケーションや暖かさは求められそうだ。たとえ少子化になろうとも、塾や予備校はここに活路を見出せるかもしれない。

★ 筆者が指摘している公立学校の教員の年齢構成には改めて考えさせられる。この年齢構成について筆者は教育行政や教育大学を批判している。それは的を射た指摘だが、教育学の研究者の中にはこうした問題点を早くから指摘している人もいた。ただ、研究が必ずしも政策にならないところが、教育行政の大きな課題であるとも言える。

★ 中教審は遅まきながら教職員の増員策を出してきたが、財政的な裏づけがどれほど得られるかが課題だ。

★ 民間企業では考えられないような慣行が公的セクターには多いから、教育の再生には悲観的にならざるを得ない。公費民営といったテクニックを使ったほうが手っ取り早いのではないかと思うくらいだ。

★ 話は著書に戻るが、予備校から公教育を見るといった視点が新鮮だった。
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明治後期の優良小学校

2008-04-20 15:17:06 | 教育
★ ふと日本教育経営学会の紀要を読んだ。茂木氏の著作を読んでいて、「こだわること」の大切さを実感したからだ。

★ 私はライフワークの1つとして学校経営の実践史を掲げているが、日々の多忙さを理由に研究はいっこうに進まない。言い訳ばかりをしているうちに10年、15年と時が経過してしまった。

★ まずは第38号(1996年)から、平井喜美代さんの「明治後期『模範』小学校運営に見る学校経営の成立状況ー優良小学校選奨政策に焦点づけて」を読んだ。

★ 平井さんとは確か1995年、日本教育経営学会が京都教育大学で開催された時に、同じ会場で発表をご一緒させていただいたように記憶している。私も学校経営の歴史研究に関心があったので、非常に興味深く拝聴させていただいた。

★ 紀要に掲載された論文は、明治41年度、42年度に文部省によって実施された「優良小学校」選奨に焦点をあて、その背景や「経営」の意味を問うている。

★ 私が主に調べている京都府でも明治38年度(発行は39年)に「京都府初等教育優良事蹟」なるものが報告され、そうした模範校選定の動きが全国的にあったことを物語っている。

★ 平井論文では、優良小学校選定の動きが地方小学校や師範学校付属小学校に与えた影響についても言及している。大阪府天王寺師範学校長であった村田宇一郎の学校を中心とした自治民育という考えは非常に興味深かった。

★ 学校を中心として地域を教化しようという啓蒙的な「上から」の発想ではあるが、同時に地域の現状を踏まえた学校経営の萌芽が感じられる。明治後期のこの時期、義務教育が延長され、社会が近代化されるこの時期が、次にくる大正自由教育や昭和初期の教育へのランドマークとなったのかも知れない。

★ 折りしも「学校管理」から「学校経営」へと、書名のタイトルが移り変わるのもこの時代である。

★ 平井さんの論文は教育経営学会紀要の他の号や大塚学校経営研究会「学校経営研究」にあるそうなので読んでみたい。

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谷沢氏の文章

2008-04-19 20:14:03 | 
★ 「青春の一冊」(文春文庫)の続きを読んでいる。谷沢永一氏による「佐藤正彰訳『覚書と雑考』鼇頭」のところで、駆けていた足が止まった。

★ キレのいい文体。格調高い語彙。思わず声を出して読んでみたくなった。朗読の何と心地よいことか。

★ ユーモアを交えながらの味わい深い文章だったが、美しい文章はそれだけ存在価値があるのだと思った。

★ 漢籍の素養なのだろうか。
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「二十歳のエチュード」

2008-04-19 04:16:10 | 
★ 乱読を始めた。身近にある本を手当たり次第、読めるところまで読むことにした。野村進「千年、働いてきました」(角川)、上杉隆「官邸崩壊」(新潮社)、茂木健一郎「生きて死ぬ私」(ちくま文庫)、浜矩子「経済は地球をまわる」(筑摩書房)、レスリー・デンディ+メル・ボーリング「自分の体で実験したい」(紀伊国屋書店)・・・。

★ 本棚の「青春の一冊」(文春文庫)という本が目についたのでページをめくっていると、城山三郎氏が原田統三「二十歳のエチュード」のことを書いている記事が目についた。

★ 「二十歳のエチュード」は懐かしい書名だ。ずっと昔に読んだ覚えがある。本棚を見渡すと、あった。何十年ぶりかで読み始めた。

★ 「二十歳のエチュード」は、20歳を目前に入水自殺した青年の手記である。手元にあるのは角川文庫版で昭和48年の発行になっているから、中学生か、高校に入りたての頃に購入したのだろう。日に焼けたページ、文字列のゆがみは活字印刷を物語る。

★ 森有正氏の格調高い「序」に始まる。そして3つのエチュード。今尚、難解な文章が羅列されている。はっきりいって何が言いたいのかわからない。わからないが、豊かな語彙と歯切れのよい断章が、心地よい音楽を響かせる。不思議だ。

★ 全編に覆いつくされたナルシズム。純粋な精神を追求しているのか。死を以って芸術性を完結させるというのか。今日こうして読まれることを目論んで、死後にも仕掛けを残したのか。何と言う傲慢さ。二十歳にしてこれほどまでと思う早熟性と成熟性。驚かされるばかりだ。

★ 平易な文章があふれている今日、難解な精神はまた新鮮であった。
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「いじめの構造」から

2008-04-18 03:37:11 | 教育
いじめの構造 (新潮新書 (219))
森口 朗
新潮社

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★ 学校教育病理は私の最も関心のあるテーマの1つではあるが、日々生徒と接しているとあまりにもリアルな事象なので、できれば触れたくないという意識がはたらく。しかし、恐いもの見たさで本書を読み始めた。

★ 本書は巷にはびこる「いじめ論」を批判するとともに、いじめのメカニズムの解明に果敢にチャレンジしている。本書の最大の貢献は、「いじめ」はキレイゴトでは手におえない現象であることを声高に叫んだことと、「スクールカースト」という概念を世に知らしめたことであろう。

★ 私が最も関心をもったのは第二章と第三章である。

★ 第二章では「いじめ」という現象をどう捉えればよいのか、先行研究を土台にしてモデル化を試みている。その際、「スクールカースト」という概念を導入しているのは実に新鮮だった。この概念はいじめ問題を理解し、また対処法を考える際に実に有効であるように思える。

★ 第三章では内藤朝雄氏の理論を紹介しながら、いじめのメカニズムに迫っている。やや抽象的で難解ではあるが、数字やグラフばかりで結局何の役にもたたない研究が多い中で、異彩を放つ「いじめ学」事始である。思わず内藤氏の著作も発注した。

★ いわゆる「いじめ学」はまだ端緒についたばかりの感がある。「いじめ」という現象が極めて人間的であるがゆえに、社会学も心理学も手探り状態の感じがする。

★ その点、本書もまだ発展途中の感じがした。「新書」という形の限界もあるのだろうが、研究書として読むべきなのか、意見文として読むべきなのか、とまどうところもあった。それだけ著者の熱意がこもっているということだろうか。

★ メカニズムの解明とともに、対処法についてより具体的な提言があるとありがたいと思った。今後の研究に期待したいところだ。

★ 「いじめ」というものは、人間の深いところに根ざしているようだ。仏教で言うなら苦しみが欲から生まれ、苦しみを断ち切るには欲を断ち切るより仕方ないということか。しかし、そんなことが簡単にできるわけはない。煩悩があるからこそ人間ともいえる。

★ そうであるなら、「いじめのない社会」などと言った絵空事を唱えるばかりではなく、「いじめ」とのつきあい方を体得していく方が有効であると思った。
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「10冊同時に読め」から

2008-04-16 11:14:44 | 
本は10冊同時に読め!―生き方に差がつく「超並列」読書術 本を読まない人はサルである! (知的生きかた文庫 な 36-1)
成毛 眞
三笠書房

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★ なかなか刺激的な本だった。特に「読書で養えるのは、人生を楽しむ力である」(103p)のフレーズが良かった。

★ 「庶民」から脱するには本を読むこと、それも同時に10冊の「超並列」読書をすすめている。

★ 著者、成毛氏についてはあえて触れないが、本書の背景にある教養の深さ、文章の読みやすさは読書の賜物であろう。

★ 本書はいわゆる「HOW TO」ものではなく、視点を変えてくれる、刺激を与えてくれる1冊である。
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立命館の転籍問題

2008-04-15 18:09:30 | 教育
★ 立命館大学、生命科学部の転籍問題が話題になっている。学生を多く取りすぎてこのままでは助成金がもらえないから、転籍を募集したとか。

★ タテマエはともかく、ホンネは助成金欲しさだろう。

★ それにしてもこのご時世。定員を大きく上回る学生が集まるとは羨ましい限りだ。存亡の危機にある底辺大学にとっては垂涎の様だろう。

★ 立命館大学は大きく変わったなぁ。かつては左翼系の大学として有名で、「二十歳の原点」の高野悦子さんも立命館ではなかったかな。

★ 左翼のイメージのせいで一時期は就職状況がイマイチで、隆盛してきた京都産業大学に関関同立の一角を奪われるのではないかとも噂されていた。

★ その危機感からかコンサルティングを入れたらしく、急激に様変わりしていった。かつては学費の最も安い大学とも言われたが、今では相当に高額になっている。付属、系列の小、中、高も増え今や一大グループを形成している。

★ 昔は日本大学が「日本大学株式会社」と皮肉られていたが、今や立命館株式会社の体である。

★ 大学が立派になるのは結構なことだが、利潤を追求するあまり足元を奪われることのないように願いたいものである。100年の老舗も最大の落とし穴は驕りであろうから。

★ さらに、大学全入時代といわれる中だが、学生が一部のブランド大学に集中している現状、いろいろと考えさせられるなぁ。
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教育的配慮

2008-04-13 23:46:28 | 教育
★ 千葉県の高校で、入学金が未納なのを理由に生徒2名が入学式に出席できなかったという。学校や教育委員会は条例で定められていることで、説明も十分にしていたというが、心情的にはひっかかるものがある。

★ どうも杓子定規だなぁ。条例がどうのこうのと言う前に教育的配慮があってもよかったのではないか。後に教育委員会からのおとがめがあったとしても、校長には懐の広さを見せて欲しかったなぁ。

★ 上(教育委員会)ばかりを見ている学校管理職が多いと聞くが、実際そのようだ。

★ 入学式当日に入学金を徴収するというのもどういう事情かわからないが、仮に入学金が未納でも、入学の意思があるなら式への出席ぐらいは認めても何の問題もないと思うのだが。

★ 学校という組織は結構いいかげんなところもあるが、今回のように妙に頑ななところもある。変な組織だ。

★ いかに制度をいじっても、組織を構成し、組織を経営する人間がお粗末では話にならない。どんなにすばらしい教育目標を掲げても、根本的に人間愛がなければ、そこの教育は推し量ってしかるべきだ。
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