じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「養護」の壁

2009-10-09 04:55:52 | Weblog
★ 学習塾を初めて30年になる。多くの子どもたちと関わりをもってきたが、時代とともに子どもたちの様子も変わってきた。

★ 学習意欲や授業への姿勢が大きく変わった。以前は勉強が得意でない子も「授業」を受ける心構えは身についていたが、最近はひどいものだ。

★ 心の弱さも目につくようになった。傷つくことに敏感で、わからないと思うことは最初からしない、目標を高くしてそれに向かって努力するのではなく、目標を低くして楽にクリアしようとする。

★ 自分の頭で考えようとしない。すぐに答えだけを求める。自分だけを受け入れてもらいたい。認めてもらいたい。集中力がない、などである。

★ そしてもうひとつ。IQが70~80のごく軽度の知的に弱点をもつ子どもたちが各学年に1人ずつぐらい見られるようになってきた。

★ 公教育ではなく私教育の「塾」なのだから、そうした生徒を受け入れないのも一つの選択肢だ。塾としての評判と言う観点からも短期的にはマイナス面の方が大きいだろう。

★ しかし、親としては公教育の学校では欲求が満たされないので、わざわざ「塾」の門を叩いて下さっているのだと思うと、できる限り受け入れたいと思っている。ただ高校受検の壁は必ずやってくる。

★ 高校進学率が50%、せめて80%の時代なら中学で卒業して社会に出ると言う道もあった。農業中心の時代なら、因数分解や一次関数や英語ができなくとも立派に労働力となれた。しかし、中学卒業者のほぼ100%が高校へ進学する時代である。

★ こうした背景からか、養護学校(特別支援学校)が軽度の知的障害をもつ生徒を積極的に受け入れるようになってきた。中学校も一つの選択肢として勧めるようになってきた。

★ しかし、いわゆる境界ラインにいる生徒やその親にとって学校に冠された「養護」という文字は実に重い。生涯その文字を背負っていかなければならないとなると、どうしても躊躇してしまう。

★ 障害が多様化し、養護学校を志望する生徒が増えているとも聞く。ノーマライゼーソンが叫ばれる中で、なぜ学校名に「養護」の文字が必要なのか、最近疑問に思うようになってきた。
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