☆ 安倍龍太郎氏の「血の日本史」(新潮文庫)から「大和に異議あり」を読んだ。西暦527年の磐井の反乱をテーマにしていた。
☆ なぜ、磐井が大和政権に反旗を翻したのか、前史をまとめてみよう。
☆ 463年、吉備田狭の乱
吉備田狭は愛妻家で妻・稚媛を自慢 → 雄略天皇(第21代)が横恋慕 → 吉備田狭を新羅討伐に派遣し、その間に田狭の妻を奪う → これを知った田狭は新羅と組んで反乱。百済を攻撃 → 雄略天皇は田狭の子・弟君を田狭征伐に派遣 → しかし、弟君は田狭に 寝返る → 弟君は謀反を恐れた妻によって殺される → 新たに3人の将軍が討伐に派遣されるが戦死や病死する → そうこうし ているうちに雄略天皇が亡くなる → 稚媛は雄略天皇との間に生まれた子・星川皇子とともに皇位を争い反乱 → 大蔵を占領するが 火を放たれ、稚媛、星川皇子焼死 → 雄略天皇の子、清寧天皇が即位するが5年で病死 → 雄略天皇の血統が絶える。
☆ 平群真鳥誅殺
平群真鳥が専権をふるい、王になろうとしていた → 武烈天皇(第25代)が皇太子の時代、物部あらかびの娘・影媛を嫁にしよう とした → しかし、影媛は真鳥の息子。鮪(しび)と既にできていた。 → 不死の無礼を許せない皇太子は連大伴金村に相談 → 大伴金村は兵を挙げ、鮪を討つ → 続けて、真鳥の屋敷を包囲、火を放ち殺害する → 武烈天皇は即位し、大伴金村は大連となる。
☆ 王統断絶 → 継体天皇即位(507年)
武烈天皇に皇子がいなかった → 大伴金村が越前から応神天皇の五世の孫を迎えようとする → 大和政権内の反対で20年間、大和 に入れなかった → 継体天皇(第26代)即位
☆ 磐井の反乱(527年)
大和政権は新羅討伐のため6万の兵を派遣しようとする → 新羅と通じていた北九州の磐井が反乱、行く手を阻む → 朝廷は物部あ ららびを派遣し、1年かけて鎮圧した。
☆ こうした、流れの中で本作品の場面が展開される。歴史はドラマチックだ。
☆ なぜ、磐井が大和政権に反旗を翻したのか、前史をまとめてみよう。
☆ 463年、吉備田狭の乱
吉備田狭は愛妻家で妻・稚媛を自慢 → 雄略天皇(第21代)が横恋慕 → 吉備田狭を新羅討伐に派遣し、その間に田狭の妻を奪う → これを知った田狭は新羅と組んで反乱。百済を攻撃 → 雄略天皇は田狭の子・弟君を田狭征伐に派遣 → しかし、弟君は田狭に 寝返る → 弟君は謀反を恐れた妻によって殺される → 新たに3人の将軍が討伐に派遣されるが戦死や病死する → そうこうし ているうちに雄略天皇が亡くなる → 稚媛は雄略天皇との間に生まれた子・星川皇子とともに皇位を争い反乱 → 大蔵を占領するが 火を放たれ、稚媛、星川皇子焼死 → 雄略天皇の子、清寧天皇が即位するが5年で病死 → 雄略天皇の血統が絶える。
☆ 平群真鳥誅殺
平群真鳥が専権をふるい、王になろうとしていた → 武烈天皇(第25代)が皇太子の時代、物部あらかびの娘・影媛を嫁にしよう とした → しかし、影媛は真鳥の息子。鮪(しび)と既にできていた。 → 不死の無礼を許せない皇太子は連大伴金村に相談 → 大伴金村は兵を挙げ、鮪を討つ → 続けて、真鳥の屋敷を包囲、火を放ち殺害する → 武烈天皇は即位し、大伴金村は大連となる。
☆ 王統断絶 → 継体天皇即位(507年)
武烈天皇に皇子がいなかった → 大伴金村が越前から応神天皇の五世の孫を迎えようとする → 大和政権内の反対で20年間、大和 に入れなかった → 継体天皇(第26代)即位
☆ 磐井の反乱(527年)
大和政権は新羅討伐のため6万の兵を派遣しようとする → 新羅と通じていた北九州の磐井が反乱、行く手を阻む → 朝廷は物部あ ららびを派遣し、1年かけて鎮圧した。
☆ こうした、流れの中で本作品の場面が展開される。歴史はドラマチックだ。
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