じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

拈華微笑から

2017-07-17 11:12:28 | Weblog
☆ 美しい響きのある熟語だが、仏教の悟りは、文字で伝わるものではないということを表すそうだ。

☆ ある時、お釈迦さんが手に持っていた花をひねった。それが何を意味するのか周りにいた人々にはわからなかったが、迦葉というお弟子さんだけが、意味するところを悟って微笑んだというエピソード。

☆ このエピソード自体は後世につくられたらしいが、仏教の学び方がよく示されている。

☆ 難解難入と言われる悟りの境地。仏教では文献研究など形のあるものから学ぶ「教相」と自身の内側を観察することによって直接アプローチする「観心」という方法があるという。

☆ いくら文献研究をしても、最後はインスぺレーションの一撃が必要と言うことだろうか。そのあたりが宗教の宗教たるゆえんであろうが、疑い続けて真相に迫る哲学と、信じることによって真相に入る宗教との違いであろう。

☆ 哲学は思索すればするほど深淵に入り込み、苦悩は増えそうだ。哲学の原語はフィロソフィ(知を愛す)だから、愛することだけで満足すればよいのかも知れないが、より深く考えてしまうのが人間の煩悩。

☆ 救いを求めたければ、法(あるいは仏)に「南無(帰依)」するのが良さそうだが、信じようと思っても信じきれないのが凡夫の悲しさか。

☆ 以心伝心の仏教。「はじめ言葉ありき」のキリスト教(あるいは西洋思想)との大きな違いなのだろうか。また煩悩が騒ぐ。
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