じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「予定説」に思う

2018-02-25 23:16:30 | Weblog
☆ 禁欲を旨とするプロテスタント、とりわけカルヴァン派の人々が資本主義の動因となったとするマックス・ウェーバーの学説は興味深い。

☆ 中でも興味を引かれるのはカルヴァン派の予定説だ。神による救済はあらかじめ決まっていて、人が善行を積もうが、何ら努力しようがそんなことは神にとってみれば全く知ったことじゃない。神の御心のままにある者は救われ、ある者は地獄に堕ちる。

☆ 神の裁きは人間ごときには全く知る由もない。ただ神が各人に与えた職業(天職)に励み、富を得ることによって、人は自らの救済を確信するという。善行(因)があって、救済(果)があるのではなく、救済を確信するために勤勉と倹約に励むという。

☆ 実に都合の良い解釈だと思うし、私のような無神論者にとってみれば神の救済など全くどうでもよいことだが、当時の敬虔な信者にとっては説得力のある教えだったのだろう。

☆ まだ資本家や労働者階級が形成されず、自営業中心の時代であったことも背景にあるのかも知れない。

☆ のちに資本主義が発展し、マルクスによって剰余価値が解明され搾取が暴露されるようになると、「神」が実は「資本」であるようにも思えるのだが、これは今だから言えることか。

☆ いずれにせよ、社会の発展(変化)とともに、人間の精神も変化するというのは面白いことだと思った。
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