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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

長生き

2017-08-28 08:34:44 | 日記
 最近、多くの人が長生きになった結果、生き方を考え直さないと困ったことになる、という風潮の記事や本などにしばしば出くわす。
 私自身が年を取ってしまったためにそういう言葉に敏感になっているのかもしれないし、社会全体の高齢化が進んでいるために、社会の感心が変化しているのかもしれない。60才が定年である!とこの先も言い続けると、さらにその先40年も50年も生きるかもしれない人は何をして生活を立てて行けばいいのか?もちろん生活を立てるだけの話ではない。人生とは何なのか?という問題にも発展する。そういう話だ。

 余命半年という言葉にはどきっとするものがあるが、もうそろそろ終わりかなと考えていた70才の人に余命40年です、と言うのもかなり重いのではないだろうか。今年生まれた子供たちは医療の進歩や社会の健康意識の高まりを勘案すると110才ぐらいまで生きる確率が高いという。人間50年と歌っていた織田信長の頃と比べると2人分以上の人生を送れる長さがある。その長生き期間にじっと同じ会社の中で90歳ぐらいまで働いて引退し、残り20年ぐらいを別の何かに費やすという方式がこれまでの定年方式に近い。企業の定年はその昔55歳であったが今の主流は60歳。さらに延長して65歳まで希望すれば働ける措置を取ることが義務化されている。じわじわと伸びてきた定年だ。人口が減り、働ける人が確保できないという事情も加味してどんどん伸びて行く傾向にあるのは間違いない。では、もう誰もが100歳を越えて生きるのがあたり前、という社会になってしまった時に(そう遠くない時期にそうなる可能性もある)定年が80歳だ90歳だということになるのだろうか。

 子供が成人するまでの期間が20年。自分自身が子供を産んで育てようとすればさらに20年。合計40年を人生50年の人から引けば残り10年。それに対し人生110年の人だと残り70年もある。あまりに違いすぎる。長く働いてくれてありがとう。短い人生なのでもうここまで。あとは自分の好きなようにやってください、と最後まで働き続けようとする人生50年の方々に一旦区切りをつけて頂く意味合いが「定年」という言葉には含まれていたような気がする。それに対し100歳を越えて生きる人たちにとって、若い頃から働き続けるにはあまりに遠いゴールだし、超高齢になって入社してきた人達にとっては足かせにしかならない。長生き人生があたり前の社会になれば「年齢」という属性はあまり意味をなさない。何歳まででも働きたいだけ働いてもらって結構。そういう社会にならないといけないのではないか。

 長生きがあたり前になればなるほど「就職」という言葉は重みを増す。今は「就職」ではなく現実的には「就社」である場合が多い。会社を辞めてしまうと「職」が無い。生涯を通して自分の糧になるキャリアをいかに積み上げていけるか。そこが問題になって来るだろう。ただじっと言われたことを繰り返すだけの仕事をし続けるのでは100年はあまりに長い。(三)
 

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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
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