3歳から17歳までピアノを習っていました。
事の始まりは私が3歳の時。
「ピアノを習いたい!」と自分で言ったそうです。全く覚えていません。
子供の頃に習いたかったけれども習わせてもらえなかった母は娘のその一言がうれしかったらしく、早速縦型のピアノが購入され、ヤマハ音楽教室に通い始めました。
教室は確か土曜日の午後か日曜日だったと思います。当時はまだ週休二日制ではなく、母は土曜日も午前中だけ仕事に行っていたので、週末の教室こそ都合がいいと選択したのだと思います。
狭い教室の先頭には先生用のエレクトーンとピアノ、その他パーカッション、中央からは生徒用のエレクトーンが左右に2台ずつの合計4台置かれていました。生徒はそれぞれエレクトーンに座り、レッスンを受けました。たまに一人ずつ前に出て披露する時があり、その時はエレクトーンかピアノかを選ぶことができましたが、ピアノを選ばないとなぜか母にとても怒られたのを覚えています。3歳の私はボタンがたくさんあり、押すといろんな音が流れるエレクトーンが好きでしたが、母に怒られるので仕方なくピアノを選んでいました。レッスンは毎週課題の曲が出され、翌週皆でそれを演奏するようなスタイルだったと思います。教室に通い始めて以来、毎日練習をしないと怒られるようになりました。母が早く帰ってきた日や週末は横にピッタリマークされ、うまく弾けない箇所を「30回やりなさい!!」と繰り返し練習させられました。平日母の帰りが遅い日は1人で練習しなければなりません。母は帰ってくると開口一番に「ピアノの練習した?」と言っていました。練習をサボりでもしようものなら激おこです。1日30分でいいから毎日練習することが大事だと口を酸っぱくして言っていました。
小学生になると、個人のピアノ教室に通い始めました。そこで最初に言われた驚愕の言葉が「指がまっすぐ伸びていてピアノの弾き方ではありませんね。最初からやり直しです。」でした。おそらく母もショックだったと思います。
少しは弾けるようになっていたつもりでしたが、手を丸める弾き方に矯正が必要とまた基本から始まりました。
3歳の私は軽い気持ちで習いたいと言ったのでしょうが、もう全然楽しくありませんでし、全然うまくなりませんでした。
小中高と学芸会などで伴奏する人に選ばれたこともありませんし、自らしたいと思ったこともありません。下手くそなんで。
毎日いかに弾かずに30分の練習を終わらせるかということばかりを考えていました。
一応エリーゼのためにやら子犬のワルツやら別れの曲やらパスしましたけれども、今となっては全く弾けません。何か弾いてと言われてもネコふんじゃったくらいしか弾けないような、音符ももはや読めるかどうか。
冷静に振り返るととても残念な自分がいます。あの10数年は何だったのか。
親として母が教えたかったことは「継続は力なり」この1点だったと思います。音大を目指せなんて言われたことありませんし。
あとピアノで指を動かすと頭が良くなるとか、大枚はたいて買ったピアノをゴミにはできないとかとか。
改めて「やらされ感でやる」って罪だなと思いました。
結局何の実にもなっていないのですから。
もしかしたら潜在的にどこかで役に立っているかもしれませんが、それすら自分では気が付くことができません。
もし私がもっと楽しくピアノを習えていたならば、たぶん今でもエリーゼのためにをサラっと弾けたでしょう。
大人になった自分としては、何事も自分で楽しめる工夫ができる人でありたいなと思います。
ママのせい、先生のせい、会社のせいではなく、自分次第で何とでもなるんだよとタイムマシーンがあったら幼い自分に伝えたい今日この頃です。
(ゆ)
moniswitch
今お使いの離床センサーがそのまま使える!
離床センサーのスイッチ入れ忘れ事故防止に
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
事の始まりは私が3歳の時。
「ピアノを習いたい!」と自分で言ったそうです。全く覚えていません。
子供の頃に習いたかったけれども習わせてもらえなかった母は娘のその一言がうれしかったらしく、早速縦型のピアノが購入され、ヤマハ音楽教室に通い始めました。
教室は確か土曜日の午後か日曜日だったと思います。当時はまだ週休二日制ではなく、母は土曜日も午前中だけ仕事に行っていたので、週末の教室こそ都合がいいと選択したのだと思います。
狭い教室の先頭には先生用のエレクトーンとピアノ、その他パーカッション、中央からは生徒用のエレクトーンが左右に2台ずつの合計4台置かれていました。生徒はそれぞれエレクトーンに座り、レッスンを受けました。たまに一人ずつ前に出て披露する時があり、その時はエレクトーンかピアノかを選ぶことができましたが、ピアノを選ばないとなぜか母にとても怒られたのを覚えています。3歳の私はボタンがたくさんあり、押すといろんな音が流れるエレクトーンが好きでしたが、母に怒られるので仕方なくピアノを選んでいました。レッスンは毎週課題の曲が出され、翌週皆でそれを演奏するようなスタイルだったと思います。教室に通い始めて以来、毎日練習をしないと怒られるようになりました。母が早く帰ってきた日や週末は横にピッタリマークされ、うまく弾けない箇所を「30回やりなさい!!」と繰り返し練習させられました。平日母の帰りが遅い日は1人で練習しなければなりません。母は帰ってくると開口一番に「ピアノの練習した?」と言っていました。練習をサボりでもしようものなら激おこです。1日30分でいいから毎日練習することが大事だと口を酸っぱくして言っていました。
小学生になると、個人のピアノ教室に通い始めました。そこで最初に言われた驚愕の言葉が「指がまっすぐ伸びていてピアノの弾き方ではありませんね。最初からやり直しです。」でした。おそらく母もショックだったと思います。
少しは弾けるようになっていたつもりでしたが、手を丸める弾き方に矯正が必要とまた基本から始まりました。
3歳の私は軽い気持ちで習いたいと言ったのでしょうが、もう全然楽しくありませんでし、全然うまくなりませんでした。
小中高と学芸会などで伴奏する人に選ばれたこともありませんし、自らしたいと思ったこともありません。下手くそなんで。
毎日いかに弾かずに30分の練習を終わらせるかということばかりを考えていました。
一応エリーゼのためにやら子犬のワルツやら別れの曲やらパスしましたけれども、今となっては全く弾けません。何か弾いてと言われてもネコふんじゃったくらいしか弾けないような、音符ももはや読めるかどうか。
冷静に振り返るととても残念な自分がいます。あの10数年は何だったのか。
親として母が教えたかったことは「継続は力なり」この1点だったと思います。音大を目指せなんて言われたことありませんし。
あとピアノで指を動かすと頭が良くなるとか、大枚はたいて買ったピアノをゴミにはできないとかとか。
改めて「やらされ感でやる」って罪だなと思いました。
結局何の実にもなっていないのですから。
もしかしたら潜在的にどこかで役に立っているかもしれませんが、それすら自分では気が付くことができません。
もし私がもっと楽しくピアノを習えていたならば、たぶん今でもエリーゼのためにをサラっと弾けたでしょう。
大人になった自分としては、何事も自分で楽しめる工夫ができる人でありたいなと思います。
ママのせい、先生のせい、会社のせいではなく、自分次第で何とでもなるんだよとタイムマシーンがあったら幼い自分に伝えたい今日この頃です。
(ゆ)
moniswitch
今お使いの離床センサーがそのまま使える!
離床センサーのスイッチ入れ忘れ事故防止に
monipet
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病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
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「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業