旅立ち準備

　この４月に入社予定のわが社の採用内定者のひとりは新潟県の出身である。神奈川県にある大学キャンパスに通うために高校を卒業してこちらで一人暮らしを始め、とうとう就職も地元に帰らず神奈川県で決めてしまった。
　
　これからまだ４月入社の採用を行うと言う会社はほとんど無いと思うが、大学入学試験はこれからが本番と言う学生さんも多いだろう。
　夢はあっても、就職や進学で故郷を離れることが決まってしまうと、いろいろな不安や寂しさが膨らんで来ることだろう。父母兄弟と初めて離れて暮らす、と言うのはやはり勇気がいる。これから数ヶ月、日本中で一人暮らし準備のもやもやを胸に抱えた家族が大量に発生するのだろう。

　都会で暮らすわが子を内心では心配しながら、家ではまったくそんな素振りを見せない父親。子供の好きな料理を作る回数をさり気なく増やす母親。出発前に伝えたいものが親にも子供にも兄弟にもあるだろう。伝えたい気持ちを伝えあう機会に恵まれた家族は幸せだ。最後の最後まで何も言い出せず、普通の朝のように
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
と旅立ち見送る家族も多いかもしれない。

　言葉に出来なかった言葉は旅立つ子供なら空を見上げて、送り出す親なら閉じた玄関の扉を見つめて、心の中でつぶやくことになるのだろう。
　そうやって始まるそれぞれの新しい生活を、私たちは大事に見守らなければならない。彼らがあきらめてしまわないように。殻を破ることが出来ない自分の弱さを何か別の物のせいにして誰にも引っ張り出せない暗い所に引っ込んでしまわないように。
　しかし、大学であっても会社であっても、多分、思った以上に大変なことの連続だ。主な大変さは、決断しなければならない、ということだろう。自分で考えて自分で決めなければいけないということがこんなに大変なことだったなんて、と心の中でぼやく日々が来る。自立するというのはそういうことだ。

　しかもさらに難しいのが、新しい人間関係を作るということだろう。今までは自分の力で、一人で何とかやってくることが出来た、と感じているかもしれないが、本当に一人になってしまうと、実は周囲の多くの人に支えられていたことが急にわかって来る。わかってきても、これまで身に付けてきた人間関係作りの「くせ」が新しい人間関係作りの邪魔をする。自分自身が変って行かなければ新しい関係は築けない。そのことに気付くでも無く気が付いて自然に変わっていく人もいれば、変えられないまま、スタートでつまづいてそのまま何となく日々の生活だけ送ることになってしまう人もいる。
　
　旅立ち準備の時期が、まさに自分を変える準備の時期ではないかと思う。誰とでも屈託無く話せる自分に変って行くために、まず身近な人に思い切って伝えたい気持ちを伝えてみる、そんな訓練が必要なのだろう。「ありがとう」の一言が、ありがたいことにきっと気付く。


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