年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

お 縄

2012-11-13 | フォトエッセイ&短歌

 古民家の納屋で目にした、ワラで縄を編む「縄編み機」の現物である。既に塩ビニなどの化学流製品としてのロープが主流となって縄は死語に等しい。「縄編み機(なわあみき)」は御蔵入りとなり文化財の仲間入りである。
 今は「縄編み機」となっているが、縄は綯(な)うので「縄綯い機」が正解であろう。でないと、禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)=幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだという、諺の意味が分からなくなる。
 写真「縄綯い機」はある日、ふと停められたままの姿だが、肝心な部分が欠落していて臨場感がない。実はワラが垂れている部分にY字形の樋状の羽がついているのだ。その羽に4,5本のワラを差し込みドラムと連動しているペタルを踏んで歯車を廻すとワラが噛み合って縄が綯われるのだ。
 縄は土木建築現場のみならず流通部門でも重要な役割を果たした資材で、農民達の現金収入を支えた。江戸時代からの夜なべ作業の定番であった。私が子供の頃、昭和30年頃まではどの家にも「縄綯い機」があったような気がする。一巻、30円だか300円くらいで売れたのではなかったか。子供には「縄綯い機」が扱えなかったので藁打ちをやらされた。物のなかった戦後のしばらくの時期である。
 時代劇のテレビドラマの傑作と言われる『鬼平犯科帳』は火付盗賊改方長官:長谷川平蔵の捕物帳である。江戸市中を騒がす大盗賊の<お頭(オカシラ)>と辣腕の鬼平との対決が面白い。最後は<お頭>が「お縄になる」「お縄にかかる」事によって一件落着となる。お縄とは「罪人が御用となり縄で縛られること、今流に云えば逮捕され腰縄・手錠をかけられる」事だ。
 『鬼平犯科帳』では<お頭>のキャラクターが良くできている。大盗賊のボスなのだが、犯さず、殺さず、豪商を相手の盗人働き、御上嫌いの市民(観客)は心秘かに大盗賊側に身を置いてしまう。平蔵の捕物と裁きは『暴れん坊将軍』の勧善懲悪とは違う時代劇の結末があり人気の秘密がある。
 で、<お頭>は「お縄を頂戴する」事、つまり逮捕していただいて事件は解決する。子分が犯さず、殺さずの掟を破ったためにお頭は「お縄を頂戴する」するのだ。殊勝な奴、その盗人根性が気に入った、人間が出来ていると然るべき裁断を下す平蔵であった。

「縄綯い機」。これは足踏みの人力ではなく動力で回転する。当時を思い出して

   秋雨に縄綯う音がガラガラと納屋の庇の雨脚を消す

  稲刈りも終わりし秋も深まりて筵織る土間に焼き芋匂う

  テカテカに藁打つキネの減りし痕 幾世代もの労を語りし

  ペダル踏み歯車重く回転す裸電球もユラリと翳る

  藁仕事筵(ムシロ)に俵(俵)に藁草履 僅か半世紀隔世の感

  縄電車縄跳び縄引縄土俵 遊びし縄の鐘楼の前