「一年の計は元旦にあり」とかで一年間の遠大な計画や壮大な目標を初日に祈った中学生の頃を思い出した。余りにも欲張りな願掛けに、少し多すぎないかと自問した結果「頭脳」「容姿」「現金」の三つに絞り込んで深刻に考え込んだものだ。最終的にどれに落ち着いたのか、今は忘れたが、成績は思わしくなく、身体は不細工で小遣いが無かったという事の証明である。
マア、正月元旦には確かにそんな雰囲気があり、初荷、初詣、初日、初午、初売、初釜、初夢、初競と年の初めには一年がスタートする華やいだ希望のようなものを感じさせた。
朝起きると枕元に真っ新な下着・上着・下駄が用意されている。年間滅多にありつけないご馳走が所狭しと並び、食い放題である。お年玉をもらえばタコだコマだと遊びに飛び出したものである。
あんなにも嬉しく楽しい事があったのだ。粗末な衣食住、身心の慢性的な飢餓感が一瞬に輝いて爆発するのが正月だった。戦後社会の平安と経済発展が進み「消費が美徳」の時代を迎えるようになると、継ぎのあたったズボンも穴の開いた足袋も恥ずかしい物となり新品があふれかえった。
生活は豊かになり幸せになっているはずなのに一体どうなってしまったのか。人間は何を見失ってしまったのか。少数の大金持ちと圧倒的多数の貧乏人の経済格差は先進国といわれてきた世界の国々の共通の問題になっている。若者たちの行く末を老人が心配する「ヘンテコな世の中」になってしまったと云うべきだろう。
燃えよ!ドラゴン
慈善鍋時代遅れの飾り立てなぜかこの頃新しく見ゆ
歳末の社会鍋立つ三丁目華やぐ群れは余所目に急ぐ
穴あきの靴下脱いで客となる戦後は遠くユニクロの前
年賀状肝臓癌と共にあり書きし老女の筆字は太し
とは云っても変わること無し新年の去年が続き今年が始まる
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