富士見坂・富士見橋とか、開発が進む前に富士山が眺められたと思われて地名がある。勿論、現在はビルなどの建造物によって富士山など望むべくもない。日本列島改造論が経済発展の指針として語られ、高度経済成長期に文字通り日本列島は改造・改悪された。経済成長最優先の政策は大きな負の遺産を残す事になり、四季折々の端正な富士の姿は見えなくなった。
小田急線登戸駅を使って通勤していた頃の思い出である。登戸駅のホーム西端は多摩川の河川敷まで伸びていて、冬などは川面から吹き上げる木枯らしに震え上がったものである。しかし、私は密かに「富士見ホーム」と呼んで楽しんでいた。多摩川上流方向に展開する丹沢山塊の後ろに小さな富士山が望まれるのである。ホームに長く西に影が映る早朝、富士は雪を頂いて貼り絵のように、帰路は茜色の中に紫紺の影絵のように佇んでいる。冬季限定の「富士見ホーム」である。その小田急線登戸駅も建屋ですっぽり駅舎が覆われ、エスカレターが忙しく上下動を続けている。
やがてこの赤富士山も姿を消す運命、品川の本門寺公園の高台から>
夕暮れに霞む赤富士ぼんやりとクレーンの響きに震えて起てり
峠越え3Dの如く迫るり来るすそ野の富士は御殿場あたり
新装のツートンカラーの高架駅風雪と見た富士を隠す
北斎の富士の版画に魅せられてフロアを歩く駿河路の如く
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