年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

雪合戦

2012-01-21 | フォトエッセイ&短歌

 20日、東京都心や横浜で平年より17日、昨年より21日遅い初雪を観測し大きなニュースになった。雪が大ニュースになるのである。雪の思い出である。

 地球の温暖化が云われて久しく、気象庁の観測以来の夏日とか秋の遅れとか、統計上に数値として現れるようになった。理由はいろいろと指摘されているが、どうも決定的な原因はハッキリしてないようだ。
 いくつかの原因が複合的に重なって地球の気温を押し上げる温暖化現象となっているという。その一つに、自然や緑を削り取る開発方式いわゆる都市化がある。これは体験的に解りやすく納得出来るものでる。
 横浜と云っても最北部の「チベット」と呼ばれていた地域で私は育った。登校は多摩丘陵の裾を巡るようにクネクネと曲がった1間幅くらいの道路を1里ほど歩いて通った。冬は崖から流れる清水が氷柱となってぶら下がっている。大きなものは1mにもなり、チャンバラの格好の刀となる。足許は足首が潜るような霜柱が立ち、ザックザックと踏みしめて歩くのも快感で先頭を競ったものである。
 丘陵と丘陵の間は谷戸田になっていてその突き当たりには灌漑用の小さな溜め池がある。これが凍って子供たちのかなり危険な遊び場になる。ミシミシとヒビが入る限界の地点で岸辺にとって返すスリル満点の遊び場でとなった。
 また、ひと冬に膝まで潜るような大雪が3、4回は降ったものだ。学校は自由登校日となり、授業は休講である。電話なんかも無かったし、積雪30㎝なんて決まりが有るわけではなかったが、歩けなければ当然の如く学校は自由登校になるのだ。休校にしないのが知能犯で出校日数はしっかり確保するのである。
 山道を歩いて来る小学1年生には登校のしようもないが、上級生は普段より元気に興奮気味に登校してくる。授業のない学校という場所は実に魅力的で楽しい舞台なのだ。田舎の長閑な教師達は充分にその事を心得いて、雪合戦を実施してくれるのである。今となってはどんなルールだったか思い出せないが、4回戦ぐらいやって優勝チームを決めていたように思う。そうこうして昼頃になると全員下校となる。今頃、こんな無茶な学校が有ったら大変だろうな。文部科学省に教育委員会にPTAにマスコミに袋叩きにあってしまうだろう。でも何か憎めないんだよな~。
 今や氷柱を手にとる事もなく霜柱を踏む事もなくグラウンド一杯になって全校生が張り合って雪合戦をすることはない。地球の温暖化で雪が降らないのだ。教育界が許さないのだ。

<陽に煌めく雪が風景を変える。楢の木の影が冬日に長い>

  雪枯れの山肌被う白銀は酷使してきた老眼を刺す

  雪時雨雪にもなれず窓打てばツゥーと結露が早足で去る

  山荘で箱根駅伝熱くなる外は沈もり雪降りやまず

  色も無し音も奪いて燦々と蔵王の湯煙降る雪のなか

  白銀の燦めきを背に雪鳥は群青の羽根膨らませ跳ぶ