年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

目黒の初参り

2008-01-06 | フォトエッセイ&短歌
 深~い信仰心があるわけではないが、小春日和の続く松の内にと目黒不動に出かける。期待した振り袖姿の華やかさはすでになく創業守成・一陽来福など御利益にあやかろうとする魂胆見え見えのおじさんオバサンが圧倒的だ。
 「目黒のお不動様」で親しまれるが、天台宗:泰叡山瀧泉寺(てんだいしゅう:たいえいざん・りゅうせんじ)という寺である。808(大同3)年、慈覚大師(円仁)が不動尊像を彫って祀ったのが始まりと云うから歴史は古い。
 しかし、有名になったのは徳川三代将軍家光の帰依を受けた江戸時代の初期からである。雄大華麗な山岳寺院と江戸庶民の不動信仰が重なり参詣行楽地として繁栄をきわめ、門前町も大賑わいを見せたという。
    
<本堂は何度かの火災で焼失。現在のは1981年鉄筋コンクリートの再建>

 江戸時代、目黒の一帯は徳川将軍家の鷹場に指定されていた。ある日、家光がこの地で鷹狩りをしていた際、鷹が行方知れずになった。大騒ぎとなったが不動尊に祈願したところ本堂前の松に飛び帰って来たという。家光はその威力を尊信し、大伽藍を寄進したというのだ。その伽藍は『目黒御殿』と喧伝されるほどの華麗を極めた。
 絵図には、「目黒不動」の近くに「目黒御弁当之寺」が描かれており、鷹狩りと昼食場所として目黒の里が重宝されたていた事がうかがえる。江戸落語の「目黒のサンマ」発祥の地である。

<仁王門を越え斜面右手の松が「鷹居の松=たかすえの松」となっている>

 そもそも不動様ってなんだ。仏様の顔は柔和で心を癒してくれる。だがこの不動様(不動明王)の容貌は何とも怖ろし気である。牙を剥き出し怒りで顔面は歪み髪の毛は逆巻いている。
 それもそのはずで最高の仏である大日如来がすべての悪魔・煩悩を降伏させるために送った使者の一人というからスゲ~強いんだろう。そう思うとあの憤怒の形相も何だかありがたくなるのもだ。
 本堂石段下の、独鈷の瀧(とっこのたき)=「炎天旱魃(えんてんかんばつ)といへどもかるることなく、目黒一村の水田に引き用ゆるといへり」と記録されている。水垢離(みずごり)の場となっている。
    
<この不動はふっくらと穏やかな顔つきで愛嬌があるのではないでしょうか>