年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

白石城下・武家屋敷

2009-05-16 | フォトエッセイ&短歌
 戦国大名には名将といわれる軍師が、重厚な・時には軽妙な戦略戦術を提起して勝利を手中に収めていく。戦国時代に彩りを添える影の武将としてしばしば実態以上の評価が与えられ、その時代を楽しませてくれる。武田信玄に山本勘助、上杉景勝に直江兼嗣などなど。
 伊達政宗の片倉小十郎もその一人。伊達氏の仙台藩(青葉城)を守る拠点・白石城主になったのが、1602(慶長2)年である。3度あった伊達家存亡の危機を片倉小十郎が見事に裁き、これぞ軍師とさている。

<その片倉家の家臣小関家の屋敷が「武家屋敷」として文化財に指定される>

 屋敷の解体修理の時に1730(享保15)年の墨書が発見され、270年前の古建築物であることが判明した。庭樹に被われた川は生活用水となっていたが、白石城三の丸の外堀も兼ねたというから見事な地割りである。
 白石の有名な三白(葛・うーめん・和紙)など産業にも力を注ぐなど、現在でも片倉小十郎は伝説の軍師として圧倒的な人気である。

<屋敷の前面・側面を蔵王山塊からの清冽な沢端川が流れ、魚影が群れる>

 小関家は白石城(片倉氏)の中級武士であったというが、なんともこじんまりとした農家風な佇まいである。下級武士や農民の家がどんなに粗末な物であったのか推して知るべし。士農工商の士といっていっても貧窮の極みであった事がうかがれる。

<農家と変わらない小さな間取。武家住宅に変化する過渡期的な武家屋敷>


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