年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

秩父・石灰の街

2008-11-01 | フォトエッセイ&短歌
 タイショクブラブラ組で「秘湯の里」秩父路を散策する。加齢の割には秩父巡礼の札所めぐりは軽く通過してキョロキョロと事前学習の「秩父美人」を楽しみならが歩く。山深い秩父は山地に囲まれ日照時間が少なく色白美人が多い事で有名だ。
その他、蕎麦にセメント、秩父錦に夜祭り、秩父原人捏造事件に秩父事件とみどころには事欠かない。
 秩父を睥睨し秩父を象徴する武甲山。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、その堂々たる風格に感動し、歴戦の甲を納めたことから「武甲山」の名が付いたと言われている。画は芦田画伯。
 
<哀れ削り取られた武甲山の羊山公園からのスケッチ。清楚な花を手向ける>

 壮大雄渾な品格を備えていた武甲山は全山が石灰岩からなる。石灰岩は炭酸カルシュウムから出来ている岩石でセメントの原料であるところから、秩父は一大セメント産業の拠点となった。
 切り出された石灰岩は秩父鉄道で運び出され、セメントと生まれ変わり、列島改造論の頃の日本経済の急成長に寄与した。その為に武甲山は削り取られ、1336mの標高が1295mになるほど山容が崩れ、現在は無残な姿をさらしているが、なお武甲山の破壊は進んでいる。
 右肩上がりの経済成長を象徴した秩父セメントはまた日本経済の環境破壊をも映し出してる。

<秩父鉄道の石灰岩積み出し駅舎ホームから登頂部を失った涙痕の武甲山>

 人生の2/3以上が過ぎ去ったタイショクブラブラ組としては信仰心の準備もしないといけない。極楽浄土はともかく、地獄には堕ちたくないナ~。秩父34ケ所観音霊場の28番:橋立寺に向かう。武甲山の西麓にある橋立寺は65メートルの岸壁の岩陰にたたずむ馬頭観音堂。観音様が馬頭とは変わっているが、秩父地方は古代、良質の馬産地であった事や重要な交通手段であったことを考えれば納得である。

<圧倒される岸壁を見上げながら参拝する。この下の橋立鍾乳洞は200円也>


最新の画像もっと見る

コメントを投稿