年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

白石城下・片倉城主

2009-05-11 | フォトエッセイ&短歌
 白石城(しろいしじょう)は白石川の清流に沿って南蔵王を仰ぐ白石市の小高い丘の上にある。白石城は「みちのくの重要拠点」として位置付けられているように戦国時代から明治維新まで権力争奪の攻防地となった。
 1615(元和元)年の一国一城令後も例外的に存続が認められた城であったが、明治7年に民間に払い下げられ解体されるという数奇の運命を辿る。

<120年ぶりに白石城の本丸の一部が復元され、益岡公園のシンボルとなる>

 大河ドラマ「天地人」でお馴染みの上杉景勝の家臣・甘粕備後清長が白石城を居城にしたが、1600(慶長5)年、徳川家康が会津上杉征伐の軍を起こすと、伊達政宗が徳川方に呼応して白石城を攻略し伊達政宗の支配下にはいる。
 そして伊達家の重臣・片倉小十郎景綱が仙台藩・青葉城の守りとして白石城主に着任し、以降、明治維新まで片倉一族が城主として白石を治める事になる。

<本丸の天守閣(三層櫓)から新緑の葉越しに白石の城下町を眼下に見る>

 江戸時代を平穏に過ごした、ちっぽけな白石城が再び激浪の歴史に登場するとは誰が想像しただろうか。明治新政府に対抗する旧幕府勢力は戊辰戦争を戦っていたが、会津藩を支援すべく仙台藩・米沢藩などが白石城に会して反幕府軍事同盟を結成した。そして約20藩による奥羽越列藩同盟が結成されるも歴史の流れには勝てず新政府軍の前に解体した。
 国敗れて山河あり。兵どもの夢が石垣の間からゆらゆらと立ち昇る。

<政府軍に占領後、同盟を離脱した盛岡藩(南部氏)の管理下に置かれる>



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