年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

浅草寺:時の鐘

2009-01-22 | フォトエッセイ&短歌
 浅草寺と言えば雷門と仲見世と観音様。平日といえども参拝・観光客は絶える事はなく、年間3000万人~4000万人で(自称)日本一と豪語している。韓国に中国、アメリカにブラジルと日本の下町もいまや人力車の行き交う国際的ダウンタウン。
 しかし、その歴史は古く飛鳥時代の推古天皇の頃に遡る。江戸浦(隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網に一躰の仏像が引っかかり、それを祀った。それから約1300年、様々な栄枯盛衰を繰り返しながら都内最古の寺院として今に至る。

<無病息災の霊験あらたかな煙です。本当にA香港型だろうと退散させそう>

 庶民の生活に根付いたのは江戸時代。徳川幕府の祈願所とされ堂塔の威容が整い、江戸文化の中心として、大きく繁栄してからである。
 浅草寺・弁天山の「時の鐘」は、1692年に五代将軍徳川綱吉の命により造られた。鐘の大きさは龍頭、鐘身あわせて総高2.12m、直径1.52m。1945年の東京空襲で戦火を浴びるが梵鐘だけは奇跡的に助かり、1950年に鐘楼が再建され毎日午前六時、「時の鐘」は正確に時報を告げている。深川の小名木川の畔で松尾芭蕉が聴いた「花の雲 鐘は上野か浅草か」の響きは今も健在であった。

<神社仏閣に関するもので無いものナシの浅草寺。時の鐘もその一つ>

 余りに定番ですが、シンボルとなっている浅草寺の総門(雷門)は942(天慶5)年、武蔵守に任命された、平公雅(たいらのきんまさ)がお礼に寄進したという。左右の「雷神」「風神」は鎌倉時代。連鼓を打つ雷神と風袋を担いで天空を駆ける風神は、「風雨順時」(自然が穏やかであること)を意味し、「天下泰平」・「五穀豊穣」・「伽藍守護」を祈願するものだ。
 従って、正確には「風雷神門」なのに……、そこで江戸川柳「門の名で見りゃ風神は居候」。実はこの雷門、江戸後期に火事で焼失し、1960年1世紀ぶりに再建された昭和生まれでる。

<とびきり大きな風雷神門の「提灯」。三社祭で御輿が通る時には撤去される>



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