年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

江戸散策:千束の大池

2009-05-06 | フォトエッセイ&短歌
 中原街道は南千束の信号で環7と交差するが、その手前の左側に「洗足池」がチラリと見える。車両の多い排気ガスの酷いところでボートでもあるまいにと見過ごしていた。
 実際には非常に奥行きが深く、水面40000㎡もある風光明媚な森林浴も出来る大きな公園である。

<洗足池は流れ込む川はなく武蔵野台地の4つの湧水を堰き止めた池である>

 その昔「千束の大池」と呼ばれ灌漑用水として重要な役割を果たしていたので稲千束分の税が免ぜられていた。鎌倉時代、日蓮がこの地に寄って足を洗ったとの伝説から、千束は「洗足池」と呼ばれるようになったとか。その時に袈裟を掛けたという「袈裟掛けの松」もあるから如何にも本当っぽい。

<三連の太鼓橋「池月橋」。佐々木高綱の愛馬「池月」の馬像も近くにある>

 江戸幕府の軍艦奉行と陸軍総裁を兼任した勝海舟は、洗足池の風光を愛で晩年に千束軒という別荘を建てた。西郷隆盛との江戸城無血開城の談判もしばしばこの地で行われている。
 西南戦争で隆盛が戦死すると、その死を悼んだ海舟は南葛飾郡の浄光院に碑を建てている。
 海舟は洗足池に墓所を造れ、と遺言して亡くなった。池畔の海舟の墓の隣りに西郷隆盛の留魂碑がある。

<死してなを二人は何を語らっているのか。国のあゆみはあれで良かったのか>


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