年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

清明<1>老木の形

2010-04-03 | フォトエッセイ&短歌
 春本番、4月5日は春分後15日目にあたる清明である。清浄明潔(せいじょうめいけつ)の略で春先の清らかで生き生きした様子をいったものである。美しく澄み切った晴朗の陽に草木は芽吹き、花が咲きはじめ万物みな清々しい季節を迎える、そんな意味あいであろうか。
 入学式を迎えた学校には清々しいピカピカの1年生が入ってくる。人の世も清明の季節を迎えた。ガキ大将に引き連れられ広場だの路地だので遊び回っていた生活から窮屈な教室の生活に変わっていく。大きなストレスであるが、遊びのルールの中で人間関係を学んでいるからケンカやイタズラやイジメもその関係の中で克服されていく。
 が、それはもう昔話だ。大将もミソッカスもいないし、そもそも公園での遊びはうるさいといって禁止、ボール蹴りは危ないと言って禁止と遊びようがないのだ。あったとしても、塾通いでそんな時間がないのが実情だ。遊び方も人間関係もしらない。うるさいガサツナ奴がいると足がすくんで登校出来なくなってしまう子も出てくる。

<清明の夕刻、陽が静かに落ちた。五重塔のシルエットが凛として佇んでいる>

 今年から、教科書が厚くなって授業内容の増加が進められテストが強化されようとしている。ゆとり教育の批判を背景に学習指導要領が改められた。教科書の内容を全部教えようとすれば授業時間が足りない。7時間授業とならざるを得ないともいう。ついて行かれない子は悪い得点の答案用紙を抱えてじっとうずくまっているしかなかろう。
 春、清明はいつまで続くのか…葉桜の頃には5月病症候群が待っている。登校拒否が問題になる第1段階である。対策は大丈夫か。抱えるような歳を喰った老木に花一輪が揺らいでいる。落ちこぼれないようにしっかりと根付いて欲しいものだ。

<ひび割れた老木の威厳。ジージィの背に乗る孫のような姿が微笑ましい>

 黄色い見事な絨毯。菜の花の見納めである。アブラナとかナタネとか呼ばれたが、第二次世界大戦後は輸入されたセイヨウアブラナが主流で、菜種油用として水田の裏作作物として栽培されてきた。しかし現在では安価な輸入品に太刀(たち)打ちできず、「菜の花」は観賞植物として「お花畑」の王様となっている。


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