年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

陽射し<1>雪の椿

2010-02-21 | フォトエッセイ&短歌
 去る2月19日は、二十四節気の「雨水(うすい)」で歳時記の季語を決める基準日となっている。新聞や雑誌のコラムや随筆の書き出しの適切な枕となって、物書きには結構重宝がられている。「北風、肌を刺す寒さだが、暦の上ではすでに雨水だ。草木は芽を吹き始め陽射しは柔らかくなる。入試を終わった子ども達の笑顔も心なし輝いて見える…」てな具合になるわけだ。
 「雨水」の意味は「雪散じて水と為る也」。今まで降った雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降る」ということ。つまり寒さがゆるみ、草木の芽の兆しが見えてくる時期になった。寒さが峠を越して春の陽射しに恵まれる候。
 しかし、春の訪れを幽かに告げる雨水を待つように関東地方南部にも雪が降った。
 
<わずかだが、雪景色を堪能。雪に震え上がった山椿の赤が雪に滲んで美しい>

 暦には『鴻雁来、草木萌動(こうがんきたる そうもくほうどう)』などと記している。意味は「冬の間、沼などで遊んでいたガンが北へ渡っていく。草木が芽を吹き始めている」実際の季節の移り変わりと二十四節気がずれるのは理由がある。
 もともと二十四節気は古代中国の皇帝が農作業の目安に作成したもので、黄河中・下流の移り変わりを基準にしているので日本に置き換えると多少のズレが生じる。がやはり、春は近いのだ。

<雪は半日で消えて、グラウンドでは親子がボール蹴りに興じている>

 空っ風にも舞うことなく、雪の重みにも耐えたのか、秋の落ち葉がそのままふわりと大地を覆っている。落ち葉の間からは名も知らぬ雑草が緑芽をのぞかせている。
 何を語っているのだろう。バンクーバーの氷上の舞いなのか、沖縄の普天間基地の行く末なのか。

<影は確かに短くなって春を予感させている。お二人の幸せな人生を!と思う>