年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

09'師走暦<2>日向薬師

2009-12-07 | フォトエッセイ&短歌
 「日向薬師(ひなたやくし)」は柴折薬師・米山薬師とともに「日本三大薬師」に数えられ、薬師如来の霊場として親しまれている。が何となく雑然として落ち着きがなく古刹の風情に欠けているのには理由がある。
 明治の始め「神道と仏教」をわけろ(神仏分離)!との命令が出て「神と仏は一体」(神仏習合)として両者を奉っていた寺社が攻撃された。これを、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と云い、仏像や仏具が破壊された。
 この時、13坊を擁する大寺院であった日向薬師<それまでの名は日向山霊山寺(ひなたさんりょうせんじ)>もほとんどが破壊され宝城坊、鐘堂、仁王門のみが破壊から免れた。この、宝城坊(ほうじょうぼう)が現在の本堂(薬師堂)となっている建物である。

<仏も神も同じようなもんだワ。お迎え頼むで。今日はおばばのお薬師様参り>

 本堂右側に鐘堂と幡かけ杉がある。梵鐘には1340(暦応3)年の銘がある。寺の歴史には952(天暦6)年 村上天皇から梵鐘を賜ったが、その鐘が傷んだので1153(仁平3)年に改鋳、さらに暦応3年に改鋳したのが今ある鐘だ。国の重要文化財に指定されている。
 その隣の「幡かけ杉」は推定樹齢 800年と云われる。関東管領足利基氏が幡をかけて平和と五穀豊穣を祈ったと伝えられる。県指定天然記念物、かながわの名木100選に選定されている。

<重厚な茅葺きの屋根に柱の赤が冴える。大晦日の除夜の鐘ももうすぐだ>

 『吾妻鏡:あずまかがみ』(鎌倉時代の史書)に日向薬師の記事がある。1192(建久3)年、源頼朝の妻・北条政子の安産祈願のために読経をさせた寺院の1つが日向山霊山寺である。その結果、三代将軍源実朝が生まれたとある。
 その2年後には源頼朝が娘の大姫の病平癒祈願のため自ら「日向山」へ参詣したとの記載もある。

<境内の雑木に頼朝も見たのであろう烏瓜の朱が鮮やかな趣で揺れている>