Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

「永遠」の続き

2016年03月24日 | 毎日の話
あるスーパースターが、「永久に不滅」と言って苦笑したがまんざら笑えない。天才的感性で、悩んだ挙句の言葉だったとも思われるから、もしかすると哲学的意味を含んでいたのかもしれない。永遠のことを哲学書ではなんと書いているだろうか紐解いて見た。「永遠は、それ自身時間の内にありながら、無限に持続すると考えられるもので、数学的真理のように、時間の内に知られても時間とかかわりなく妥当すると考えられるもの」だというのだ。かたや日本語辞書には「いつまでも果てしなく続くこと。時間を超えて存在する」とさらっと書いてある。類似語はいっぱいあって、「永久、常盤、不朽、不滅、無窮、永代、、、」と多くの単語がある。スーパースターは凡人に対し、「永遠とはそれほどまでに無限に持続すると考えられるもの」と言いたくてわかりやすく言ってくれたのかもしれない。落語の寿限無の節は正しくこの解釈で話がなりったている。

子供の成長を願う父親が、名前と付けるためお坊さんとの会話。
寿限無、寿限無 、歳が無限なら二回続ければ長生きするだろう
五劫の擦り切れ、一劫が天女が五千年一度おりてきて岩に衣が触れ擦りきれる、それが5回
海砂利水魚の、数限りない数
水行末 雲来末 風来末、果てしなく続く

と、それほどまでに、子供の長寿を引き合いに、永遠を理解することは難しいのだと、だから、スーパースターは、その悟りをあの有名な言葉で表現したのだろう。そう考えると、「腹痛が痛い」も笑えない。Lara Fabianの「Immortelle」の曲を聴きながら、こんなことを考える源太郎はおかしいのかもしれない。

さて、木曜日。今日も一日頑張りますか。

immortel と éternel

2016年03月23日 | 毎日の話
Lara Fabianの歌を聴きながらふと思った。永遠、という言葉。いろんな意味があるだろうが、朽ちることのないもの、不滅とか、場面によって使い分ける。ところが、éternelとimmortelの使いかたがわからない。
immortelは不滅や不朽、不死と言う意味だから永遠のこととかってに解釈していた。ところが、改めて辞書を引いて驚いた。永遠はéternelだと言うのだ。どちらが正しいのだろう。

英語でもこの辺は曖昧なので、イタリア語に頼ることにしてみる。

永遠は、永遠や無限、無窮はeternitàとある。永続や持続ならpermanènza、不死や不滅はimmortalitàとある。
わかったぞ。源太郎の解釈によれば、人間の永遠は生死の意味がある、だからimmortalitéを永遠としていいのだ。だからLaraの歌の意味の解釈は間違っていなかった。電車の中でふと気になって調べものをすると時間が過ぎるのが早い。

揺れる電車の中で写真はうまく撮れませんね。Lara Fabianがホラー映画の一場面のように撮れてしまった。


おはようございます。新庄市の朝です

2016年03月23日 | 毎日の話
深夜の雷光に驚きましたが、今朝は晴れ渡り、遠くに羽黒山が見えるほどに、気持ちのよい朝です。


新庄といえば夏の新庄祭が有名です。そして、源太郎が撮影した写真の大きな紗幕がある資料館もあるところです。プチ自慢(笑)
ボケていましたので差し替えです


昔はよく訪れた新庄ですが、夜は閑散とした街です。滞在時間はわずかで、午後には東京に戻ります。







優位に立つラウラ

2016年03月21日 | 毎日の話
寒いので、庭に出たくないジェリー。ゲージに入っている彼に何か話しているラウラだが、ずっとゲージの前にいるのが珍しい。

仲良くしているようだが、明らかにラウラが優位に立っている。


そして、ジェリーがおしっこに出掛けたら、あたしが入ってみる。

全国的に暖かいはずが、関東は北風で寒い。映画でも見よう

2016年03月21日 | 毎日の話

今日は米国大統領がキューバに歴史的訪問をした。キューバ危機からもう何十年も経つ。本棚を見ると2004年にイギリスとアメリカ合作映画の「The Motorcycle Diaries」という映画のDVDがある。1952年にゲバラが南米大陸縦断の旅を映画化したものだが、単に源太郎が女優のMia Maestroが好きで購入したものだった。

しかし、音楽といい、ストーリーといい、見直すたびに当時に彼がすごい旅をしたということがひしひしと伝わって来る。当時ラテン・アメリカの置かれていた様子が伝わってきて何度見てもいい映画だ。彼が川を泳ぎ渡る姿は感動ものだ。お勧めしたい映画の一編。

もちろんMia Maestroの美しさが一番だか。

休日だが寒くて、どこに出るのも面倒くさい。書棚を整理すると面白い本や印刷した富士山の写真もたくさん出てきたので初雪から夏山まで6枚の写真をスキャンしてみた。今日も富士山は顔を出していない。

インクジェットプリンターで印刷した写真なのでイマイチだが、早く暖かくなることを願ってアップした。


aria、その響きは心地よい

2016年03月20日 | 毎日の話
オペラを聴いたり見たりするのは、歌舞伎と同じで、大衆文化だということはわかっているが、細かいことは考えていなかった。オペラの本を読んでいて知らないことばかりで、自分でも恥ずかしい限りだ。

アリアというと、イタリア語では、空気とか雰囲気を表すが、音楽では詠唱というらしい。訳すと祈りとなるが、そんなことも知らなかった。

さらにアリアは細分化されていて、自己紹介のアリアをcavatina、ヒロインが全体の締めくくりを歌うアリアはrondò finale、スペルが間違っているかも。美しい凝縮されたアリアをromanza。そして、cavatinaに続く部分をcavallétta、意味がわからないが、そしてストーリーを聞かせるアリアが、l'conto、これもスペルに自信がない。と、かなり理解するのが難しい。

音楽家ならともかく、こんな難しい解説はいらない。源太郎のように凡人には、フィガロの結婚は、初夜権の復活願う伯爵との問答、そう、おまえもワルやのう越後屋という話。伊達男のドン・ジョバンニの恋の遍歴。そんなストーリーさえ知っていれば、じつに笑える。日本でももっと安く舞台が観れたらいいのに。何故高いのかなぁ。

イタリアオペラは、愉快で楽しい。もちろん、悲しいトスカや馬鹿じゃないのかと思うトゥランドットの王子カラフに呆れるオペラもある。音楽の用語より、amore、mio bene、mia vitaといった言葉を理解するためにオペラはあると思いたい。

行ってくるね。ラウラ

2016年03月20日 | 毎日の話
源太郎は休日出勤は昔から嫌い。まぁ、年度末だから止むを得ず少しゆっくり出勤です。だいたい、年度末という概念が役所的で、なんでもかんでも集中して片付けに入る。そして、新年度からスタートさせるが、エンジンが暖まらず、スロースタート。夏に入るまではのんびり状態。これじゃ、仕事の平準化なんて、夢のまた夢。
さて、行ってくるね。ラウラ。本当に雪見大福だなぁ。

芽吹きが始まった

2016年03月20日 | 毎日の話

裏庭の木瓜の花芽が膨らんできた。もう春が来た。

そして、Emmaのお墓の脇の老木の枝垂れ桃の芽吹きも始まった。今年もピンクの綺麗な花を咲かせてくれるのを楽しみにしている。Emmaも喜んでくれるにちがいない。本当に春が来た。


今日は暖かい午後になりましたね。夜はのんびりと

2016年03月19日 | 毎日の話
 
CONCIERTO PARA UNA SOLA VOZ

Ginamaría Hidalgo(ヒナマリア・イダルゴ、この呼び方でいいと思う)という歌手をご存知だろうか。アルゼンチンのブエノスアイレスの歌手で、我々の世代ではち...
 

二人は、1日食っちゃ寝していたが、ジェリーが散歩から帰ってきて夕飯を食べて、リビングの真ん中に陣取っため、ラウラは周辺から威嚇している。それに耐えられなくなったジェリーはMihoちゃんに助けを求め、ゲージに入って事なきを得た。全くラウラは気の強い女の子で、自分が一番偉いと思っている。そしてリビングの真ん中でへそ天をやって、ジェリーなんて怖くないよとでも言いたげに遊んでいる。

Mihoちゃんは、これからJAZZセッションに出かけてくると言って夕食の準備をしている。今夜はゆっくり音楽を聴く事にしよう。