「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

パヤっと青笹

2008-08-12 19:37:36 | 遠野
 雲が多いものの、気温もそこそこ上がって暑い一日、それでもいつもの夏とは違って吹く風が爽やかで気持ちが良い。
 昨年の今頃は連日35度を超える猛暑、酷暑がお盆まで続いていたと記憶するが、それに比べたら過ごしやすい夏だったかもしれません。


 さて、本題の青笹・・・遠野市青笹町
 

 青笹子づくり村・・・と人はいう・・・謝・・・すみません・・・「子育て村」が正規ですが、青笹とくれば遠野三山のひとつ六角牛山が第一に思い浮かびます。


 青笹のメインストリート



 


 旧役場の建物・・・遠野遺産に認定されている



 こちらは釜石線、JR青笹駅



 カマーは続く・・・。




 ここで青笹の簡略な概要を・・・・なぜ青笹を今回取り上げたかといえば、歴史的な事柄で以前から気になっていたことがあって、その布石といいますか、その関連を今後探究するため景気付けといいますか、そんな思いもあってのことです。


 青笹は明治22年(1889)市町村制実施により、中沢村・糠前村、青笹村の三村が合併して「青笹村」となり、昭和29年(1954)市制施行により遠野市が誕生、その際に遠野市青笹町となったものです。
 青笹町の当時の人口は3,400人余


 これより遡ることの江戸初期南部藩政の世、遠野南部氏が八戸から移封してきた寛永4年3月19日付、太守南部利直から八戸弥六郎(遠野領主、八戸直義)に発給された墨印の目録によると・・・・

 青笹村426石907合
 糠前村173石636合
 中沢村221石114合
 村として江戸初期から存在し、これ以前の阿曽沼時代から青笹の三村が在ったことが伺われます。


○地名の由来
 
 遠野物語拾遺第3話によると・・・
 青笹には昔七つの池があったという、その池のひとつに巫女石と呼ばれ岩があり、ある日、六角牛山から天人児(てんにんこう・天女)が遊びに来て、衣装を巫女石に置いて水遊びをしていた。
 ・・・・途中略・・・衣裳は村の者が持ち去ったため天人児は天に帰れず、裸身を朴の葉でまとい、里を訪ね歩くも天人児の元へ衣装は還らず、村の男に頼んで田圃を借りて蓮華の育て、糸をとって衣装となる機を織ることにしたという。
 その際に天人児が住まいしたのが笹の小屋で、これが青笹の名の起こりとしている。

 また、別説によると付近に表裏青色の笹が生い茂った場所があったことから青笹となったともいわれます。・・・・以上「ものがたり青笹」参照


 一方上閉伊郡誌には青笹を「青篠」と表記している江戸時代の古文書があると指摘している。
 何を隠そう前段で記述した寛永4年の目録状である。
 
 宮守→宮森・小友→奥友・鱒沢→増沢・・・と同じ扱いだったのだろう。


●青篠

 小生が気になっていたこと、それは「青篠(あおざさ)」という表現。
 実は、数年前に城館址探訪仲間と江刺(奥州市江刺区)の城館址を少し探訪したことがありましたが、江刺玉里にある「青篠城」の存在、城主を菊池右馬丞と伝え、この菊池一族と遠野でも菊池姓が繁華である青笹との関連性が何かしらあるのではないのか?と気になっておりました。

 江刺の青篠城址近くの説明板は確認しましたが、肝心な城跡のある山野が確認できず探訪に至らなかったことがあり、今でも気になっていることでもあります。

 遠野中世期の阿曽沼時代、遠野郷を広く治め、他地域との境界を強固に監視していたという印象は受けますが、それでも主街道から外れた別ルートにて他地域から入り込む人々は多く、戦時下以外はさほどこれらの往来が厳しくはなかったのではないのか?単に臼館や花館の菊池一族のみならず、江刺との交流等もあったのではないのか、そんな思いと他地域とのつながりを感じております。

 妄想がさらに加速しそうな菊池姓探究、江刺とのつながりもひとつの懸案、まだ未訪問の江刺青篠城の探訪もまたしかり、遠野の青笹と青篠、そのことが少し気になったもので、今回のエントリーとなりました。



遠野の銘酒・・・「國華」は青笹町で造られている。



 
 青笹町とくれば中沢の例の場所・・・荒神様


 今や青笹町のみならず遠野を代表するスポットである。






 おまけ・・・・


 撮って撮られて・・・笑





 
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熱き戦い08

2008-08-10 12:17:45 | ファイヤー
 去る8月8日(金)岩手県消防学校において、県内各地区支部を勝ち抜いた代表隊(市町村消防団代表)による岩手県消防操法競技会が夏空の下、行われました。

 本来は、7月25日に開催されるはずでしたが、7月24日に発生した岩手県北を中心とする地震によって順延されておりました。





 遠野釜石地区支部はポンプ車の部に遠野市消防団第10分団第1部(宮守町達曽部宿)、小型ポンプの部に遠野市消防団第5分団第2部(松崎町光興寺)が、それぞれ出場しました。

 小生は小型ポンプの部に関わっており、しかも住まいする松崎町ということもあって5分団2部の出来が一番気になっておりました。

 9番目スタート・・・・いよいよ操法が開始されました。










 かなり良い線いっている出来、強いていえばタイムがいつもより2秒近く遅いということくらいか、少し慎重になっての操法という感想もありますが、目立ったミスもなく、手応えは十分と感じましたし、選手はもちろん、指導等に関わった皆さんもそう感じたに違いないと思います。


 こちらはポンプ車の部、10分団1部・・・・。





 聞くところによると約30年ぶりの県大会出場、支部大会では伏兵というイメージでしたが、常連で本命の隊を破っての出場、2度目の県大会出場といっても、初出場に近いもので、彼らの指導にあたった同僚や消防団の幹部の方々の指導をよく聞いて練習に励んだという努力のチーム、タイムも練習以上の結果でもあり、かなり良い線であったという印象でもあります。





 5月半ばから消防操法の練習がはじまり8月上旬まで・・・約3ヶ月間にわたって自分も関わってきましたが、後は結果を待つだけ、特に小型ポンプの部、第5分団第2部は、記憶によれば県大会出場は4大会連続、10回目出場のいわば県大会の常連チーム、そろそろ上位入賞も・・・という声もチラホラ、選手の皆さんも上位入賞を視野に入れ、期待を背に浴びての練習内容でもあったことは確かなことでもありました。

 さて・・・今大会の結果は・・・?




 
 小型ポンプの部・・・

 前回8位入賞、優良賞となりましたが、今大会も8位入賞・・・。
 入賞という好成績ながらもどこか選手の皆さんの顔がほころんでいない、前回以上、できれば上位入賞の目的に届かなかった悔しさが少し感じる画像でもあります。

 しかし、県大会で入賞するということ、普段の練習の成果をミスなく出すということは、かなり難しい中での入賞、これは見事であると私は思っております。


 一方、ポンプ車の部に出場の第10分団第1部、こちらは入賞にあとわずか、第9位という成績、しかし、初陣に近い出場でこの成績は見事、次回の活躍が期待できる内容でもあり、楽しみな存在でもあると思いました。




 戦い終わって・・・・









 反省も含み悔しい思い、逆に今回はこれで良し次につなげる何かを掴んだ・・・思いは個々によって微妙に違う思いが交差する中、慰労会が行われました。
 私も指導に関わった立場でもあり、むしろ反省する側となりますが、出るからには勝つ、より以上の成績を・・・・これを旨としながらも、内容が伴っていなかったこと、深く反省しているところです。

 あの消防学校という最高のステージで、練習の成果を遺憾なく発揮できれば、自ずと良い結果はついてくるものと信じてはいますが、それプラス、何か他とは違う光るもの、観客も審査員も「おっ・・・」と思わせる何がなければ、そう簡単に上位に食い込めないと痛感しております。

 以前からこんなことを感じていながらも、指導に生かせなかったことも敗因のひとつに挙げられるものかもしれません。

 しかし、皆さんと一丸となって取り組めたこと、我々との交流、親睦がより深くなったこと、これもひとつの良い財産でもあります。

 次回も是非によろしくお願いします。
 ご苦労さまでした。


 2次会に流れた後、またしても・・・・汗



 翌9日は早朝より少年野球大会があり、その準備に早くから出なくてはならず、22時頃に退散となりましたが、その野球大会終了後に御苦労さん会があって、二日連続の酒宴・・・汗




 最後の〆は冷麺・・・昨晩のはいい味でした・・・・笑

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魅惑の「つぎもすっ」

2008-08-07 18:19:17 | 遠野
 ここ数日、真夏日となっている遠野ですが、本日も朝から晴天に見舞われ雲ひとつない青空が広がり、今日も夏の暑さを予感させるそんな雰囲気でしたので、またしても荒川渓流やら重端渓の流れでもお伝えできればと思い、昼下がりに附馬牛方面へと車を走らせておりました。


 間もなく盂蘭盆、市内至る所でみられる「灯篭木(とろぎ・とろげ)」・・・ことに附馬牛町ではより多くみられる、そんな印象ですが、白が多いですね・・・。




 附馬牛町の中心街?への入口・・・根岸



 
 上柳への入口



 さて、荒川渓流を目指すなら上の画像の場所から右折、しかも重端渓にしても右折してすぐ左折して和野経由でも行けつける、いずれにしても右に折れれば事は足りるのですが、何を思ったのかそのまま直進、片岸方面も通り過ぎ、気がついたら例のところ・・・・大汗

 イター━━━(゜(゜∀(゜∀゜(☆∀☆)゜∀゜)∀゜) ゜)━━━!!!
 呼ばれたか(*゜ー゜)・・・・


 そう・・・丸渕君


 夏の日差しの中、元気で相変わらずでした・・・笑
 手招きに応じて冷たい缶こーしーをひとつ購入・・・笑


 なんてね・・・荒川渓流は後日として小出、重端渓方面に路線変更。



 ちょっと温くなった缶こーしーを飲みながら小出からの薬師岳を眺め一服タイム・・・しかし、暑いには暑いが風が心地良い、ひとり薬師を眺めながら、こんな山間の狭い地域もかつては大出の妙泉寺への道として繁華が時代があったのだろうか?その思いは拡大して、中世遠野における附馬牛の存在やら火渡氏や大萩大館主の大萩円源、さらに大野館の大野源左衛門・・・東禅寺の存在・・・等・・・こんなことを考える余裕がある自分とか、なんか変な状態に陥って来て、重端渓へ行く気が失せてしまいました・・・汗


 そのまま車をUターンさせ桑原へ・・・。



 何気なくいつもある風景、しかし、良くみればこれも貴重な遠野の景色、いつか、近い将来、このような趣と歴史を感じさせる建物は消えていく運命か、そんなことを思いながら、沢ノ口方面へ・・・。














 眼もそうですが、汗ばんだ顔でも洗おうと車から降りると大型アブの襲撃を受け、あえなく退散、アブの来襲で正しい遠野の夏を実感いたしました・・・汗
 続石(さすが)、つぎもうす・・・笑 





 おまけ

 ここまで来たら、ある御仁のことを意識しなければならない・・・笑
 萌え~・・・とかオタクというイメージも付きまといますが、しかし、なかなかの好青年であること、ぶれんどメンバーなら誰でも認めていることでもあります。

 今年も彼を思い出す季節、夏がやってきてますが、萌え~・・・燃える季節に再会なるか?いずれいつでもお待ちしてますので、暇をみつけて遠野へお越しください。




 
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ZUIKO DIGITAL 試撮散策

2008-08-05 16:23:48 | その他
 一眼デジ初級者、いやっ、それ以下かもしれませんが、2年半前に一眼デジカメを導入した際はダブルズームキットというレンズ2本がセットとなったお得な内容でしたが、カメラを少し覚えてくると物足りなくなる、そこで買い足しということになりますが高感度で良いレンズは高価で手が出ない代物、そこで安価ながらもズームとマクロのレンズをこの度購入いたしました。

 レンズとしては、かなり安価で買いやすいのですが、それでもレンズ1本につき、コンデジの良いもの1台は買える値段、やはりレンズは高い、いやっ、一眼デジはお金がかかるということかもしれません。



 ZIKOU DIGITAL ED70-300・・・望遠
 ZIKOU DIGITAL 35㎜ マクロ




 早速、望遠レンズを装着、高価でバズーカのような望遠には敵いませんが、それでもコンパクトながらもそれらしく見えてくる、最大で300㎜、レンズ換算では600㎜となる優れもの・・・試し撮りに町内そして福泉寺を散策いたしました。


 まずは松崎町内を少し車でまわる。

 夏の日差しが照りつけ、本来の遠野の夏といった雰囲気。



 子供の頃は茅葺屋根のお宅や小屋が集落には全体の3割近くは存在していたような?今時季からは屋根の上に百合の花やカボチャが生えていたこと、俄かに思い出し、茅葺屋根の百合を探せというテーマで試し撮りをしようと考えましたが、今や茅葺屋根を探すこと、さらに屋根に百合が確認できるかといえば、かなり難しい内容、このことはまたの機会として、行き当たりばったりで撮影を続行いたしました。




 
 水田から飛び立つ大型の鳥を目撃、撮影までに色々と手こずりながらも、なんとか撮影・・・汗・・・松崎町光興寺にて

 
 猿ヶ石川・・・宮代橋から





 場所を菩提寺福泉寺に移して・・・。












 それらしく写っている画像は分家ブログ「遠野MAYAKUSTAず」掲載しております。
 こちらからどうぞ。
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夏の歓迎・激励の宴

2008-08-04 18:12:30 | 遠野
 関東から「ぶれんど」仲間である山猫氏が来遠ということで、屋外でのジンギスカンで大歓迎という宴を開催、併せて梅雨明け宣言から雨が多い当地域に夏の日差しを歓迎するという意味合い、さらに人生を重ねているうちにはいろんなことに遭遇、そんなオヤジ、姐さんの我々の年代同士、一時でも楽しい時間でこれらを忘れ吹き飛ばす、そんな思いも急きょ取り入れて宴会がはじまりました。

 決して、髪の薄い方々をハゲマス集まりではない・・・・汗・・・笑


 各ぶれんどメンバーでも既にエントリーされてますが、今回はジンギスカン鍋の大鍋で・・・通常は5人前後用の鍋なのですが、大鍋は通常のものの4倍はありそうだっ・・・。




 土手焼き、土手鍋でもない、遠野ジンギスカンジャンボ編



 10名程度を予定していたが、メンバーは8名、プラス2名・・・まっ、考えていた人数にはなりましたので、よしっ・・としましょう。


 hanaさんが持参した三陸のホタテ・・・今回もありがとうございました。



 前回は遠野産ヤマメでしたが、今回は今が旬、宝飯爺氏宅前の早瀬川で宝飯爺氏が釣った鮎・・・。




 そしてメインゲストの到着



 最初の乾杯と言いたいですが、何度目かの乾杯。



 酔いと共にこんなことが・・・汗


 手の数がいつもより多くなっている・・・汗



 ツーショットのはずが・・・・涙




 確か、街中では「まぬけ節」そして「七夕」が開催されており、景気がついたら皆で夏祭り見物を兼ねての二次会という設定でもあったような・・・いつしかこちらでの勢いも増し、移動時期を失ったような・・・というかこちらの宴があまりにも盛り上がったということでしょう・・・。

 
 時刻はそれでも9時前だったような・・・ホストメンバーさんが撃沈され、少しさびしい内容でしたが、一旦解散として、勇志で二次会へ・・・・。



 酔っ払っての自転車は法度ですが、押歩きでもこれでは話になりません・・・笑




 二次会は久し振り・・・ペガサス

オヤジパワー炸裂・・・汗




 カラオケにダンス、オヤジ達のストレス発散には十分過ぎたに違いない・・・そのままの勢いで三次会へ・・・。


 ここでもまたしても・・・汗
 カルビを喰う・・・・。




 小生は冷麺、各々冷麺にラーメンと好みが別れましたが・・・。







 二次会から睡魔君に憑依され、三次会では辛いラーメンを所望しながら撃沈、その後、行方知れずになっておりましたが、リュックを忘れたとか言って元気な姿で、今遠野に来たかのような雰囲気ながら、辛いラーメンは断念し、そのまま宿へ・・・・。
 ご苦労さまでした。


 

 このお店の名物、辛いラーメンは確か3人程で分けていただきました・・・。



 遠野プロガーは食べているか、手を握っているかの印象が強いものかもしれませんが、他にしゃべっているもあります・・・笑

 いずれ、今回も印象深く楽しい宴でもありました。

 参加されました皆様、ありがとうございました。
 次回もよろしくお願いします。

 解散時間は、結構早く23時過ぎでした。
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