辺り一面白銀の世界ながら、過ごしやすいといいますか、この時期としては暖かい一日でもあった。しかし夕方からはまたしても雪がチラつき、このまま春とはいかない。
さて、長い冬休みも終わり、子供達も三学期がはじまった。うるさかった我が家もこれで少しは気が休める平静な家となった。
三学期は2ヵ月余り、あっという間に卒業式、春休みとなる印象が強い、友達との別れ、先生方との別れを前に小学生当時の自分にはこれから訪れるだろう別れというものは理解し難いものでもあった。
昭和48年、私が入学した小学校は、私達6年生の卒業をもって閉校となることが既に決まっていた。閉校2年前には既に地域の小学校と統合され、新校舎の建設もはじまっており、名前こそ遠野北小学校駒木校舎ではあるが、実質は駒木小学校であるし校歌もそのまま歌っていた。
そんな中、三学期がはじまると子供心ながら、春にはこの学校は無くなるんだっ、進学する中学への不安もさることながら、一抹の寂しさを感じた記憶がある。
日一日と卒業の足音が聞こえ始めた三学期、長年学んだ友人、後輩はいわば幼馴染ばかり、このまま時が過ぎないでほしい、このまま駒木小学校の児童でいたい、何故にそう思ったのかは今となっては忘れてしまったが、当時の自分には過ぎ行く一日一日がカウントダウンされているように感じられた。
三学期と聞くといの一番に思い出される小学生の記憶でした。
さて、長い冬休みも終わり、子供達も三学期がはじまった。うるさかった我が家もこれで少しは気が休める平静な家となった。
三学期は2ヵ月余り、あっという間に卒業式、春休みとなる印象が強い、友達との別れ、先生方との別れを前に小学生当時の自分にはこれから訪れるだろう別れというものは理解し難いものでもあった。
昭和48年、私が入学した小学校は、私達6年生の卒業をもって閉校となることが既に決まっていた。閉校2年前には既に地域の小学校と統合され、新校舎の建設もはじまっており、名前こそ遠野北小学校駒木校舎ではあるが、実質は駒木小学校であるし校歌もそのまま歌っていた。
そんな中、三学期がはじまると子供心ながら、春にはこの学校は無くなるんだっ、進学する中学への不安もさることながら、一抹の寂しさを感じた記憶がある。
日一日と卒業の足音が聞こえ始めた三学期、長年学んだ友人、後輩はいわば幼馴染ばかり、このまま時が過ぎないでほしい、このまま駒木小学校の児童でいたい、何故にそう思ったのかは今となっては忘れてしまったが、当時の自分には過ぎ行く一日一日がカウントダウンされているように感じられた。
三学期と聞くといの一番に思い出される小学生の記憶でした。

甘酸っぱい込み上げる一抹・・
地方へ行くと不思議なことに
親子2代が親子2代の教諭に教わる、主人の母校(中学)の教わった先生がそのまた息子の先生に娘がという現実に遭遇。
小学校中学校は顔も変わらず中学校の2年生から仲の良い友達も進路によって別々の道に
暁も伊勢から名古屋へ高校が越境独り卒業後の寂しさは大人の第一歩だった
卒業 卒業とは何を卒業・人生何回もの卒業を繰り返し今も旅の途中である・・
遠野は雪の卒業!雪解けに入学!
懐かしい友よ!何はともあれ「乾杯」しよう