
画像は五輪峠・・・
遠野小友と江刺人首(玉里)を結ぶ峠道・・・昔は主要街道でもあり、中世の頃は、葛西氏の軍勢が遠野へ侵攻するルート、また逆に遠野勢が江刺に侵入するルートでもあり、軍事上重要な峠でもありました。
また江戸時代は南部と伊達の境でもありました。
五輪峠の由来
天正の末頃、大崎・葛西一揆で戦死をした武将の子が、父の菩提を弔うために、峠頂上に五輪塔を建てたことによると伝えられている。宮沢賢治の『春と修羅』の舞台でもあり、賢治の一節の碑もあります。
さて、日頃サイト関連でお世話になっている紫波の、ぱぱれもんさん、知人のボンネットバスさんと江刺人首の探訪計画があって、待ち合わせ等に不手際が発生しましたが、なんとか五輪峠手前で合流、五輪峠見学の後、私個人としては念願の寺跡探訪が待っております。
今回はボンネットバスさんのお取り計らいで地元の郷土史家の先生、地区センターの所長さんまで、ご多忙のところ御案内くださりました。
その寺跡とは我菩提寺である福泉寺の前身、江刺人首の法門山福泉寺跡・・・由緒等は後日に本サイトにアップ予定ですが、資料等もいただき、予想以上の収穫と共に、古の歴史を考え、さらにその場に立っているとなんだか胸に込上げる感覚がございました。
また敷地跡に立つ小さなお堂の中には、遺物もみることができ(編笠、太鼓、鐘、弘法大師の絵・・等)これも感慨ひとしおでもありましたし、福泉寺の移り変わりを見て来ただろう樹齢数百年のかやの木、桜、歴代住職の墓所・・・・
来年は開山400年の節目であるのも知りました、遠野福泉寺として何かしらしなければいけない、せめて皆で手を合わせに再訪しなければと・・思ったしだいです。
お世話になりました、利府先生、平塚さま、そしてボンネットバスさん、ぱぱれもんさん、ありがとうございました。
今までの史跡めぐりを数段上回る感慨深い思いをいただきこちらも感謝申し上げます。
ありがとうございました。
遠野小友と江刺人首(玉里)を結ぶ峠道・・・昔は主要街道でもあり、中世の頃は、葛西氏の軍勢が遠野へ侵攻するルート、また逆に遠野勢が江刺に侵入するルートでもあり、軍事上重要な峠でもありました。
また江戸時代は南部と伊達の境でもありました。
五輪峠の由来
天正の末頃、大崎・葛西一揆で戦死をした武将の子が、父の菩提を弔うために、峠頂上に五輪塔を建てたことによると伝えられている。宮沢賢治の『春と修羅』の舞台でもあり、賢治の一節の碑もあります。
さて、日頃サイト関連でお世話になっている紫波の、ぱぱれもんさん、知人のボンネットバスさんと江刺人首の探訪計画があって、待ち合わせ等に不手際が発生しましたが、なんとか五輪峠手前で合流、五輪峠見学の後、私個人としては念願の寺跡探訪が待っております。
今回はボンネットバスさんのお取り計らいで地元の郷土史家の先生、地区センターの所長さんまで、ご多忙のところ御案内くださりました。
その寺跡とは我菩提寺である福泉寺の前身、江刺人首の法門山福泉寺跡・・・由緒等は後日に本サイトにアップ予定ですが、資料等もいただき、予想以上の収穫と共に、古の歴史を考え、さらにその場に立っているとなんだか胸に込上げる感覚がございました。
また敷地跡に立つ小さなお堂の中には、遺物もみることができ(編笠、太鼓、鐘、弘法大師の絵・・等)これも感慨ひとしおでもありましたし、福泉寺の移り変わりを見て来ただろう樹齢数百年のかやの木、桜、歴代住職の墓所・・・・
来年は開山400年の節目であるのも知りました、遠野福泉寺として何かしらしなければいけない、せめて皆で手を合わせに再訪しなければと・・思ったしだいです。
お世話になりました、利府先生、平塚さま、そしてボンネットバスさん、ぱぱれもんさん、ありがとうございました。
今までの史跡めぐりを数段上回る感慨深い思いをいただきこちらも感謝申し上げます。
ありがとうございました。
知らない人は、まず正確な読み方が出来ない「人首」。興味深いのは、読み方もさることながら、そこに伝わる伝説。
私が聞いたのは、嘗てこの辺りが中央から攻められた時に、大森山にいたという人首丸の話。若い世代なら、劇画にしたいようなロマンあふれるエピソードです。
もっとも人首丸縁の大森山は種山高原、遠野との境でして、人首地区の東外れなんですがね。
悪路王の弟、大武丸の子である人首丸、鬼か何かと思い討ち果たしたら15、16歳の美少年だったと伝えられております。蝦夷と呼ばれた東北の先人達、鬼でもないのに悪人、鬼に仕立てられたのです。
人首丸の首は、斬られた際、鬼首に(宮城県鳴子)に飛んで行ったということで、鬼首となったも言われております。
朝の合流の不手際はお詫びいたします。細かい所までの詰めが甘かったです。まとめる役目の私の認識の甘さが原因でした。
しかし、まー、今日の出来事を既にネット上にUPできるとは、さすがですねー。
こちらこそ、待ち合わせ場所等、地元なのに配慮すればよかったと後悔しております。
でも合流もできましたし、濃い中身の探訪もできたので良かったです。
またよろしくお願いします。
護摩焚きに伺って家族分の御守りを頂いてきてますが、大切に財布に入れてます。
たま千代さん、大森山??
飯豊の大森山とは関係は??う~ん・・ないか!
勝手にロマンしてしまいそうです。
とらねこさん、知らなかった部分が分かりました。流石です
大森山は、ロードマップに載っていた(人首城址と種山高原の間)ので、てっきりソレかと思っていました。
東北の歴史、メジャーじゃないけど大変興味深いです。関東以西の人からすれば、目から鱗の新事実が沢山眠っていると思いますから。
東北地方の地名は、古代蝦夷の言葉とも通じるものがあって、詳しく調べてみるとおもしろいんだろうなって思います。
遠野には大武丸(岩武丸)の話しもあるようで、綾織の羽黒神社(入り口に大下駄のある)さらに赤頭丸とか・・・
赤頭については「あがしゃ」が羽黒に転化したものとの見解もあって・・あかかしら→あかしら→あから→あくろ→はくろ→はぐろ・・少しこじつけじみた内容ですが、こういったものを探し出すのもまた面白いと私は思います。
”炎立つ”の時期の友人ですからそれはそれは・・・俄か勉強で東北魂や特に【鬼】については盛り上がって話し込んだ物です。今は、北上の花火の時に天気情報を聞くときぐらいなんですが・・・アスクルのユーザーでもあります。