山口舘主・山口修理・・・はじめ柏崎舘にあり、後に山口舘を築いて山口に住す・・。
今季4度目の遠野郷城舘跡探訪は土淵町山口の山口舘、前回の花舘(鼻舘)があまりにもすばらしく、感動と驚きの余韻がしばらく続いておりましたが、ようやく自分の中では沈静化、それでも今回の山口舘、本来ならば判然と残る遺構群、その造りもすばらしいと感動するものの、鼻舘があまりにも見事であったため、その思いが半減しているのに気づく自分・・・これではいけない、こちらはこちらで古の歴史を伝え、貴重な史跡であるのは確か・・・と言い聞かせて探訪いたしました。

空堀跡・・・三本の空堀を確認
この山口舘も少しさらなる調べが必要かと考えております。
現在、薬師堂が中腹に祀られておりますが、この平場はかなり広く、はじめ主郭ではと思うほど、また背面には見事が土塁と空堀が残されているが、さらなる空堀を求めて上部へ・・・行き着いた場所も若干の傾斜はあるものの広めの平場、下部には段状の三段なる平場、背面にも空堀一本、ただ残念なのはさらに上部と隣接の山野の木々の伐採作業が進められているが、この三本目の空堀跡が小型重機等により拡張され木出し道として使用されている点、辛うじて空堀上部がその痕跡をとどめるのみであったこと。
いた仕方なしか・・・個人の持山でもあろう、他人がどうこういうことではないが、せめてこれ以上の破壊につながる工事、作業が及ばないことを祈るのみ・・です。
遠野規格とよばれる造りに近いながらも、空堀の数やら段状の平場の数、範囲がこじんまりとまとまっている印象を受けましたが、上部、隣接山野にもあらたなる遺構がある可能性もあり、今後も探訪したいと考えております。

土塁跡・・。
山口舘の山口修理とは、いつの時代の人物なのだろう・・・。
山口は大槌等の海岸方面と結ぶ街道が通る要衝との位置付けとも語られ、その要衝を抑える山口舘の存在は重要だったと思われ、また柏崎から山口に至る地域を治める山口氏、遠野という括りの中ながら土淵の要衝占める存在、郷内でもかなりの力ある豪族だったと推測されます。
しかし、山口舘主、山口修理の名を伝えるのみ、その歴代は、出目は・・ほとんど伝えられていない。
遠野の中世、阿曽沼時代は謎であり闇の中・・・である。
土淵町山口といえば、遠野物語での中心的な地域、柳田國男に物語を紹介した佐々木喜善の生まれ育った地、また山口の水車小屋やデンデラ野、ダンノハナがあり、山口舘はダンノハナと呼ばれた場所に隣接する山野でもあります。
ダンノハナは舘があった頃は刑場であったとも伝えられ、あまり気持ちのいい場所ではございませんが、熊らしき足跡二つを発見、おそらく親子熊か?山口舘のほぼ全容を掴んだということで早めに切り上げまして帰途につきました。
熊の方が怖いです・・・・汗

薬師堂への入口

遠野市土淵町ではあまりにも有名なスポット・・山口の水車小屋
桜の季節が終ると田んぼに水がひかれ、青々とした草々と共に空の青と水面に映る青空、いい季節を迎えます。
今季4度目の遠野郷城舘跡探訪は土淵町山口の山口舘、前回の花舘(鼻舘)があまりにもすばらしく、感動と驚きの余韻がしばらく続いておりましたが、ようやく自分の中では沈静化、それでも今回の山口舘、本来ならば判然と残る遺構群、その造りもすばらしいと感動するものの、鼻舘があまりにも見事であったため、その思いが半減しているのに気づく自分・・・これではいけない、こちらはこちらで古の歴史を伝え、貴重な史跡であるのは確か・・・と言い聞かせて探訪いたしました。

空堀跡・・・三本の空堀を確認
この山口舘も少しさらなる調べが必要かと考えております。
現在、薬師堂が中腹に祀られておりますが、この平場はかなり広く、はじめ主郭ではと思うほど、また背面には見事が土塁と空堀が残されているが、さらなる空堀を求めて上部へ・・・行き着いた場所も若干の傾斜はあるものの広めの平場、下部には段状の三段なる平場、背面にも空堀一本、ただ残念なのはさらに上部と隣接の山野の木々の伐採作業が進められているが、この三本目の空堀跡が小型重機等により拡張され木出し道として使用されている点、辛うじて空堀上部がその痕跡をとどめるのみであったこと。
いた仕方なしか・・・個人の持山でもあろう、他人がどうこういうことではないが、せめてこれ以上の破壊につながる工事、作業が及ばないことを祈るのみ・・です。
遠野規格とよばれる造りに近いながらも、空堀の数やら段状の平場の数、範囲がこじんまりとまとまっている印象を受けましたが、上部、隣接山野にもあらたなる遺構がある可能性もあり、今後も探訪したいと考えております。

土塁跡・・。
山口舘の山口修理とは、いつの時代の人物なのだろう・・・。
山口は大槌等の海岸方面と結ぶ街道が通る要衝との位置付けとも語られ、その要衝を抑える山口舘の存在は重要だったと思われ、また柏崎から山口に至る地域を治める山口氏、遠野という括りの中ながら土淵の要衝占める存在、郷内でもかなりの力ある豪族だったと推測されます。
しかし、山口舘主、山口修理の名を伝えるのみ、その歴代は、出目は・・ほとんど伝えられていない。
遠野の中世、阿曽沼時代は謎であり闇の中・・・である。
土淵町山口といえば、遠野物語での中心的な地域、柳田國男に物語を紹介した佐々木喜善の生まれ育った地、また山口の水車小屋やデンデラ野、ダンノハナがあり、山口舘はダンノハナと呼ばれた場所に隣接する山野でもあります。
ダンノハナは舘があった頃は刑場であったとも伝えられ、あまり気持ちのいい場所ではございませんが、熊らしき足跡二つを発見、おそらく親子熊か?山口舘のほぼ全容を掴んだということで早めに切り上げまして帰途につきました。
熊の方が怖いです・・・・汗

薬師堂への入口

遠野市土淵町ではあまりにも有名なスポット・・山口の水車小屋
桜の季節が終ると田んぼに水がひかれ、青々とした草々と共に空の青と水面に映る青空、いい季節を迎えます。
おお、また模様替えをなされたのですか。
春らしい桃色の壁紙が素敵ですね。
石割桜もちょこっとだけ開いたらしいですし、やっと春がやってきたということなのでしょうか。
あんまり実感ないですけど(笑)。
山口といえば、私のような「遠野物語」フリークにとっては思い入れの強い地であります。
何しろあの佐々木鏡石さんの出生地ですから。
でも、実はまだ行ったことがないのですよね。行き方がよく分からなくて。
舘跡もなにやら凄そうですが、おんぼろの鳥居とひなびた水車小屋がいい雰囲気出してますよね。
5,6月ごろの新緑の季節あたりに姫神のCDでも聞きながら、ぜひ訪れてみたいです。
水車小屋の前も春めいてきました。これはネギ畑(笑)?
ここの背景と共に、遠野の本格的な春の訪れはこれからのようですね。
オラホはもう桜も満開を過ぎてぼちぼち散り始めか葉桜になりかけです。畑は菜の花が満開。
今日は、午前は子供の頃のお気に入りスポット「原田甲斐実母の墓」を探してみたり、午後はタイヤの交換に行ったり・・・盛りだくさんの一日でございました。
BADさん
遠野物語の存在では、ここ山口は絶対外せないと思いますよ・・・。
遠野に住みながらも、何処か雰囲気が違う・・・いやっ、じぇごたれの自分でも、こちらの方がさらにじぇんごだっ・・と思う、そんな優越感を感じていたのが本音でした・・・が、遠野物語に裏づけされる伝承や史跡の数々、遠野民俗学の聖地といった雰囲気は十分備わっております。
優越感は私の若い頃の偏見でもあります。
是非に遠野、お越しください。ご案内と歓迎いたします。
たま千代様
水車小屋、元気に回っておりましたが、畑はネギかと思いますよ。
山口は遠野物語や民俗学、また観光といった分野では欠くことのできない場所ですが、そんな中での山口舘は遠野の舘そのものといった雰囲気です。一部ご覧いただきました鳥居が遠野物語の世界を演じている感じでもありますが舘そのものは史跡といった雰囲気十分です。
隣にダンノハナがあるなんてわかりませんでした。
折りたたみ自転車で訪れた夏の日を思い出しました。
山口館もなかなかすばらしい館ですね。
花館はこれ以上だなんて、期待に胸がふくらみます。
山口舘もいい感じですよ・・・何よりもそれほどの山登りがないという点、ご案内いたします。
鼻舘は是非に・・・・これは驚愕ものですが、北奥羽の大きな城館をみてきた睦月庵さんからすれば大した事がないかもしれません。
いずれご見解をお聞きしたいですし、よろしくお願いします。