旧暦での6月24日は愛宕神社の例祭日であるが、小生が別当である愛宕大権現の例祭も旧6月24日、その前夜が宵宮ということで8月4日が例祭日、宵宮が8月3日ということになる。
先代、亡父の晩年の頃からお堂を管理する菩提寺福泉寺と宵宮を執り行う日について、それぞれ都合の良い7月の内にとその年毎に決めておりましたが、今年はなかなか双方都合がつかず、偶然ながらも本来の宵宮の日に執り行うことになり、8月3日宵宮を行いました。
夕方5時半過ぎ、母親と伯母(父の姉)の三人でお供え物を持って福泉寺庫裏へと向かう・・・。
いつもの如く、蝉時雨が忙しない・・・。
庫裏に顔を出して、住職さんと共に本堂脇の愛宕堂へ・・・。
後続部隊の嫁さん、末娘が庫裏に本日の会食の手料理を搬入すると、すぐさま合流・・・。
宵宮のはじまりであるが、ブログを始めて毎年欠かさず、宵宮の模様はアップしており、長女が居て、長男が居て、我家の最大人数で営まれていた頃が懐かしい・・・・。
長女も高校出ると都会へ・・・長男も今年から大学生となって遠野を離れ、辛うじて末娘の二女が面倒な顔はするものの、なんとか参加ということで、体裁は保たれている。
約20分程度の宵宮も無事に終了、お神酒をいただいて直会というべき会食の為に庫裏に移動する。
いつもよりかなり寂しい人数、それでも色々な話題で会話も弾む・・・。
遠野市土淵町の郷土芸能に「山口さんさ」がある。
今時期、盛岡さんさが盛大に開催されているのですが、その流れのひとつ土淵町山口の「山口さんさ」は宮古市小国尻石地区出身(旧川井村)の大工、厚楽磯吉(旧姓、尻石磯吉・土淵山口の厚楽家に婿として入った)が生家の尻石家の兄嫁を師匠に山口地区に「さんさ」を教えたのが始まりと伝えられている。(大正初期)
山口さんさ
平成21年9月 遠野まつり にて
今や遠野一、カメラマンが群がる人気郷土芸能である山口さんさ・・・。
創始に関わった厚楽磯吉は旧姓、尻石で宮古市小国尻石地区の出身であるが尻石家の別家の出で、本家の尻石家からは福泉寺二世住職、尻石宥燃和尚、そして現住職で三世の尻石正全和尚がいる。
磯吉氏が山口厚楽家に婿に入った頃に宥燃和尚も福泉寺に弟子入りしており、さらに我祖父は同じく小国関口の中野家の出で、しかも大工で顔見知りであったという・・・。
祖父の名は森吉で小国から婿さんに入った磯吉に森吉とよく知り合いから呼ばれたそうです。
いずれ、小国の尻石地区には尻石姓は2軒のみで、福泉寺縁の家々である。
また、正全和尚と従兄弟であるシンガーソングライターの高石ともや氏の話題もでましたが、この事はいずれまた・・・・。
ささやかな会食料理の一部・・・。
今年の愛宕大権現の宵宮も滞りなく執り行うことができました。
福泉寺は山百合の季節が終了、鬼百合が見頃となっている。
こっちに、引っ越して来ただいぶ、昔から、こっちでは
お祭りのことを、みんな、宵宮、宵宮、というのを私は
なぜ、お祭りと言わないのか、不思議に思っていました。
そういうことなんですね。(^_^)
土淵発?遠野にも、さんさが、あるのですね~?
私が今住んでいるところは、さんさがありません。
今住んでいる場所で、盆踊りを初めて見たときは、
ショックでした。
盆踊りが・・・東京音頭とかマイムマイムとかなんだもん。(O_O)
大迫の山車の音頭聞いても思ったことですが・・・
(盛岡の音頭に似ていて・・・)
どっちが先かは、わかりませんが~大迫や遠野は昔から~
盛岡とたくさん行き来があったのかも知れないですね。(^O^)
最後の画像、鬼百合っていうんですね?(^_^)
山百合って名前だとは゛かり思っていました。
昔はけっこう道端とかでも普通に見かけましたが・・・
そう言えば・・・最近は、あまり見かける機会がないです。
長々とすみません。m(__)m(笑)
お母上様も、変わらずお元気な様子で、『縁結び』の赤いヒモは?何処で売ってますか?など、お話してきました♪
バァ~スディ小旅行から帰ったら、バタバタと、仕事忙しくアップも出来ないでいました。
遠野編までは・・まだほど遠いかも・・。忘れた頃アップかな?
見なくても良いです。しつこい!っていわれそう(言う絶対)
でも、これは、カニの体が向くのですから、文句言わないで・・願い
風の丘でカニが、水木先生の『遠野物語り』原作 柳田國男・・1,238円
まさか、本気で買う気になったのは?なぜ?だろう・・自分でも不思議ですが、読んでます。
ただ、怖い!ってだけじゃ人に説明出来ない事が悔しくなり、少しは真実に近い訳を知りたくて・・
語り部になる??そんな?事は一切考えておりませんから・・笑
ふだんから、かだってばりいるので、十分満足してるもん♪
古くからある文化誰が作ったんでしょ
それでも徐々に現代版になっていくんでしょうね。
鬼百合ってドクドクしいですね
宵宮、そのとおり前夜祭といいますか、本祭の前夜ですね・・・宵宮(よいみや)ですが遠野では宵宮(よみや)と言ったりしますね。
それと「さんさ」、遠野のものは比較的新しく入ってきた内容が語られ、今は郷土芸能のひとつとなっていますね・・・盛岡方面では昔は盆踊りの一種だったと記憶しております。
遠野は江戸時代が終わるまでは盛岡に次ぐ城下町だったんですよ、今の日本なら盛岡が東京なら遠野は大阪みたいなものかな?・・・笑
歴史、文化は古くて高いと思ってます。
秋の遠野まつりは郷土芸能等が一堂に集まる最大のお祭、機会がありましたら覗いてみてください。
またまた遠野入り・・・笑・・・気に入った土地となったみたいで今さら拒む理由はありませんので、どんどんお越しになってブログで遠野を発信して広めてください。
遠野物語はそういった意味では必須条件ですね・・・笑・・・確かに怖い、摩訶不思議な世界ですが、実際に遠野を訪ねて物語の舞台を見てみますと、さほどでもないと感じられるかもしれませんが、そこで佇むといったことで視野や考え方も広がるといったところかもしれません。
まずは漫画でも良いと思いますので熟読されてください。
いつか遠野へ来たら語部の昔話といいますか民話をお聞かせしましょう・・・聞くときは静かに聞いてくださいね・・・笑
宗教的な意味合いが強いながらも伝承行事のひとつでもある愛宕さんの宵宮、遠野の農村部なら各家々にお稲荷さんとか祠を祀ってあるところが多く、その中での小さなお祭のひとつでもあります。
無論、近年は廃れ気味で個人宅で執り行うということはかなり減ってきているものと思われます。
本来は神仏が主なのに人間の都合で祭礼日を動かす、そんなことがまかり通ってしまい、自分もそんなことになってしまって心苦しいのですが、今一度原点に立ち返るは必要だと今年の宵宮を通じて感じているところです。
暑い中、スポーツ流鏑馬その弐のカメラマンと、愛宕大権現の宵宮と、お疲れ様でした。
流鏑馬は、躍動感溢れる写真が素敵です~!
現代の巴御前の方々・・・本当に素敵です~!!
お誉めのお言葉痛みいります。
暑い中でのカメラマン的には、案外上手くいったと思っていたのですが、やはり後から反省点やら悔いることが多々出て参ります。
また画像的にも、やはりダメの部類だったと正直今は思ってます。
次からさらに精進して腕を磨きたいと思ってます。
黙って(口にガムテープ貼ります)聞きますから、きかせでけでねぇ~・・大期待
本物の語り部さんのお話しをお聞かせしますってこと・・・いつになるかは不明ですがね・・・笑
語っている傍から、チャチャ入れないようにね・・・笑・・・静かに聞けるなら・・・です・・・笑