未曾有の大災害、東北地方太平洋沖地震で東北~関東の太平洋沿岸は大津波に襲われ甚大で壊滅的な被害となりましたが、既に大津波発生から10日余りが経過となり被災地もだいぶ瓦礫等も撤去されつつあるも、それでもその爪跡は随所にみられ、まるで戦争映画のワンシーンのような光景に驚愕し、信じられない、そんな思いがこみ上げ現実に起こった大災害に言葉を失しないました。
釜石市
戦後最悪の大地震、地震被害よりも太平洋沿岸各地を襲った大津波による被害が最も甚大でありましたが、その被災地のひとつ、遠野とは隣接の釜石市へ応援派遣ということで赴いて参りました。
派遣先は釜石消防署小佐野出張所。
この日は、救急釜石隊2隊、北上隊1隊、そして遠野隊1隊の計4隊で釜石市の救急業務を担うことになりました。
我々を含む応援隊は、国土交通省が提供する支援車を仮眠所といたしました。
トラックの荷台部分が大きく広がり、臨時の部屋となります。
室内は8畳ほど・・・。
電気を消すことはできず、明る過ぎと発電機の音で眠ること叶わず、さらに余震の揺れも半端ではなく、深夜に救急要請も頻繁で睡眠時間は2時間程度・・・。
翌朝には遠く盛岡へ転院搬送、往復5時間以上かけて釜石へ戻ってきますと大阪からの応援部隊がスタンバイ中・・・。
北上地区
詰所は小佐野出張所車庫内
本署は津波の被害を被り、署員達の装備は流され着の身着のまま、県内はもとより全国の援助隊より被服類等が届けられ、その物資等で雑然となっております。
他に大槌消防署、鵜住居出張所も壊滅的被害となっている。
小佐野出張所では大津波以来、連続10日の勤務を含めた泊りということで、しかも自宅を流された署員も数多く、自宅の被害がなかった山間部に住む署員宅では、まだ停電が続いているとかで家族共々お風呂に入ることも叶わずということでもあるようです。
無論、被災され避難所暮らしの方々の苦痛に比べれば軽いものかもしれませんが、連日汗と埃にまみれ、自宅にも戻れず、職務に励む姿がなんとも気の毒でありました。
私が泊った翌日には半数の署員が久しぶりに休みとなったようで、きっとゆっくり休まれたものとご祈念しております。
朝の甲子川・・・野田方面
消防緊急援助隊の各隊も小佐野出張所を訪れ、物資や備品等を寄贈していったようですが、一番必要な燃料も・・・・。
そこには・・・
復興!
この復興の文字に僅かではありますが光明の兆しが・・・、いやっ、必ずや復興を!
祈・復興
今は そんな言葉しか出ない自分です。
昨日 青森県の燃料が岩手県 福島県 宮城県に向かって 走り出してます。
世界最大級の被害なら
世界最大級の輪で繋がりを 持ち 日本人の持つ力を信じて 一日も早い復興を願うばかりです。
是非
現場でのレポートお願いいたします。
今私達に 出来る
節水 節電 買い占め防止など きっと 腹の奥底から やらねばならない と
思えるはず。
ご自愛も忘れずに…
必ずや 笑顔で再開しましょう。待ってて下さい
うちらが倒れたら、
被災者の方々が、
さらにタイヘンになりますから。
応援いただき本当に助かります!
皆さんの協力のおかげで、どんどん復興が進んでいるのがわかりますもの(^.^)
世界最大の災害なら世界規模の支援、輪で対抗・・・まさにと思いますね。
そんな心意気で是非に復興に向けたお手伝いができれば、やらねばと思う気持ちになります。
ありがとうございます。
なかなか現地でのレポは叶わないかもしれませんが、燃料類はまだまだ通常に戻っておらず・・・内陸の盛岡でさえスタンドへ大行列ですから・・・とにかくひとつひとつ解消、それも確実に・・・これを待つということですかね。
お言葉感謝いたします。
今は被災地やら避難されている方々を思い、気が張っての対応やら仕事でもありますから、頑張ることもできますが、そろそろ疲れもピークの頃、これはみんな同じだと思います。
支援活動も含めて後方での仕事も交代制もしっかりと導入しながらしっかりとする、そんな時期かもしれませんね。
再会できてうれしいです。
今はカメラ話も多く話す時ではないですが、必ず近いうちにそんな話題も以前のように・・・そう願っております。
そして地域の復興、これは必ずできるはず・・・祈、復興・・・です。
画像とコメントを、泣きながら読んでました。
みんなの力!支援車の中なんて、見る事もない・・
とらねこさん!本当にお疲れ様でした。
皆様のお陰で、沢山の人が助かり、感謝を言っております。
被害地(三陸民宿)より、今朝、連絡が来て、生きてた人、生の本人達の声を聞けて、少し安心しました。
電気、灯油、ガソリン、一部携帯、以外は、食べ物も来てるとの事。
だから!『大丈夫だ!今は、来るな!!お前んちのコメで、助かってる!んだがら、コメ盗まれないようにしてろ!』と、言われました。
そして、電話の最後に・・遺体確認した人の名前を言われ・・ツゥーツゥーと電話が切れました。
まさに地形が変わるほどの大災害ですから、今までの災害では考えられないような状況と感じられます。
ワタクシも直接ご支援できない分、靴の上から足を掻くような内容ですが、義援金やら節電やら、経済活動で間接的に支援します。
ご無事の様で安心しました。
連日の報道に胸がつまり言葉になりません。
お仕事柄、危険な作業が多いかと思いますがお体にお気を付けて下さい。
こんな言葉しか思いつかない自分が情けない・・・
釜石は僕にとってある意味故郷であり、
できればすぐにでも飛んで行きたいのですが
今行ってもミイラ取りがミイラになることも
目に見えており、できる事も判らず。
幸い親族全員の無事は確認しておりますが、
今はただ、心と街の復興を祈るばかりです。