お盆が過ぎてもしばらくは残暑が厳しい8月も過ぎ、流石に9月に入ったら、秋らしくなり、少し過ごしやすいと感じておりましたが、ここ3~4日は、残暑のぶり返しといいますか、蒸し暑い日が続いている。
朝晩との寒暖の変化がはっきりと現れる季節柄、体調管理には注意したいですね。
さて・・・
里道・早池峰山道のことですが、遠野の町を基点に土淵~海上を経て附馬牛村までの間3里8町、さらに附馬牛より早池峰山まで2里21町の道のりであったといわれております。
※附馬牛町の里道に関しては未調査・・・
さて里道には所々に鳥居が立てられていたそうですが、その代表はご存知の土淵町、伝承園脇の鳥居(現存)となりますが、海上の中野、さらに駒木(石碑群近辺、現社寺工舎倉庫脇(旧消防屯所))にあったといわれ、かなり大きかったといわれております。
上駒木の里道跡

上記画像のさらに先、逆側から

上記の先

道なりに進みますと地震観測所に至りますが、里道はそのまま真っ直ぐ進みます。
途中の小田沢蟹沢(がんじゃ)に下りる道やら、小田沢に通じてますが、小学生の頃、小田沢の友人達と近道と称して里道跡を往来した記憶が蘇りますが、あれから道がどうなっているのか確かめておりません。
おそらく今でも通れるはずだと思います。
現在の県道は明治末に開通し、ほぼ現在のルートとのことで、里道はそれ以前の主街道といった位置付けだったことが伺われます。
今回のエントリーは駒木地区の僅か100メートル範囲の里道跡のご紹介でした。
おまけ
猿ヶ石川・・・野田渡橋から

朝晩との寒暖の変化がはっきりと現れる季節柄、体調管理には注意したいですね。
さて・・・
里道・早池峰山道のことですが、遠野の町を基点に土淵~海上を経て附馬牛村までの間3里8町、さらに附馬牛より早池峰山まで2里21町の道のりであったといわれております。
※附馬牛町の里道に関しては未調査・・・
さて里道には所々に鳥居が立てられていたそうですが、その代表はご存知の土淵町、伝承園脇の鳥居(現存)となりますが、海上の中野、さらに駒木(石碑群近辺、現社寺工舎倉庫脇(旧消防屯所))にあったといわれ、かなり大きかったといわれております。
上駒木の里道跡

上記画像のさらに先、逆側から

上記の先

道なりに進みますと地震観測所に至りますが、里道はそのまま真っ直ぐ進みます。
途中の小田沢蟹沢(がんじゃ)に下りる道やら、小田沢に通じてますが、小学生の頃、小田沢の友人達と近道と称して里道跡を往来した記憶が蘇りますが、あれから道がどうなっているのか確かめておりません。
おそらく今でも通れるはずだと思います。
現在の県道は明治末に開通し、ほぼ現在のルートとのことで、里道はそれ以前の主街道といった位置付けだったことが伺われます。
今回のエントリーは駒木地区の僅か100メートル範囲の里道跡のご紹介でした。
おまけ
猿ヶ石川・・・野田渡橋から

ふるさと村辺りから日渡にかけての山際、それらしきものがあることお気付きでしたか・・・流石です。
私は火渡舘跡の調べで山際に段差が続いていることに着目して、舘の一部では・・・と考えておりましたが、一段のみですから、今になり道跡ではないのか・・・と考えるようになりました。
森林軌道については、地域の古老や伯母に聞きますと、駒木に関しては、旧野田渡橋手前付近から県道を越えて、現在の県道の上側(遠野からみれば右)を走り小田沢集落の手前(蟹沢を過ぎたゆるいカーブの下り(下ったら上り))から県道をまたいで集落の下側を走って共同墓地付近を通って、現在の県道沿い(猿ヶ石川沿い)に大きくカーブして安居台に至ったと聞いております。その先は未調査です。
こちらも今後の課題となりそうですね。
お互いに情報交換等しながら解明したいですね。
森林軌道といい、古山道といい、身近には皆さんが興味を示しそうな題材は割とあるものですね。
ほとんど日常の風景、生活の一部ですから、ほとんど気にしておりませんでした。
記憶が曖昧ながら、駒木の石碑群の近くに、確か子供の頃、大きな鳥居があったような、かなり大きかったと記憶しておりますが、これが夢で見たものなのか、それともホントの記憶して残っていたものか、わからないのですよ。
鳥居のこと、母親に聞いても知らないと言うし、近所の爺さん達は、あったとはいいますが、何時頃まで健在であったのかはわからないといいますし・・・・森林軌道も里道も地道に調べてみたいと考えてます。
少しご無沙汰でした。
さて、里道の痕跡はほとんど残されておりませんが、一部地域の通い道だったり農道と利用されております。
場所的には福泉寺から遠野ふるさと村方向へ県道を約500メートル程進みますと、石碑群がございます。
バス停は「駒木」、十字路になっておりまして、右へ曲がって直ぐのところに画像の里道跡がございます。
一部は数軒の御宅の通い道となっていて、先は農道化してますが通り抜けはできます。
僅か100メートル程の行程ですが、その先も舗装道と砂利道となってますが、一応その道跡が拡張されて続いております。
御義父さんなら知っていたものと思いますよ、それと鳥居は今はございません、当時を偲ばせるものは土淵町伝承園脇の朽ち果てかけた鳥居、遠野を代表する風景が有名です。
「早池峰古道を歩く」・・・いいテーマだと思います。
道浪漫。よっ、永遠の少年達!
私が気になる道は、殆ど熊や蛇に通じているような気がして先に進むのを躊躇っています(笑)。
「都道府県・・・」皆さん、最後の問いにもチャント答えているんですね。
答えない私は反則かな。
考えてみると・・・やはりいないですね。
芸能人よりも現実の**でしょうか。
朝晩だいぶ涼しくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
こちらは、お祭も終わり、次は紅葉待ちでしょうか・・・
この里道はどの辺なのか全く見当が付きません
鳥居がたくさんあるんですか?
舅が健在だたら聞けたんですけどね・・・
紅葉の頃、機会がありましたら遠野にも足を運んでみたいと思っています
そう、ふるさと村の入口を過ぎた辺りの山肌にも、葉っぱの無い時期だと段差が見えます。
最初は軌道跡かなと思っていましたが、それが旧道跡で県道は主に軌道跡に沿って作られたのでは…と思う今日この頃(w
ただ、現在の県道はけっこうアップダウンがありますから、その通り軌道だった可能性は低いのですが。
小田沢に関しては、今でも一部ですがその跡が残されておりますよ。
県道より一本上の舗装した狭い道ですが、石碑がございますから、わかると思います。
附馬牛も日渡辺りの山際、段差がある形状が県道付近から確認できますが、あれって道跡かな・・と思いますがどうでしょうかね。
この前、旧版地形図を入手してやっぱりそうかと思ってたところです。
小田沢のあたりもやはり今より山側を通っていた様ですね。
現在の県道はもしかすると森林軌道との係わりも…無いか(w
再登場でもよいかもしれません。
いずれまた違った展開も面白いかもしれません。
romiさん、またまたよろしく・・・。
駒木以北、すなわち附馬牛にはそれらしき形跡が残されている部分があると考えてます。
これはなかなか面白い企画だと思いませんか?・・笑
宝飯さん
ご反応ありがとうございました。
実はromiさんは既にバトンを受けておられますので、別な方をお願いしなければならないかも・・・。
すみませんです。お手数ですがよろしくお願いします。
おっ、飯島直子・・最近見ませんが私も好きです・・笑
1,次に回す人・・romiさまよろしくお願いいたしま~す。2,好きな都道府県は「東京」ですかね~都会と奥多摩と島が沢山あり亜熱帯もありますから??3,今まで行った事のある都道府県は北海道、東北、関東、新潟、長野、静岡、愛知、岐阜、京都、大阪、岡山、広島、福岡、佐賀、長崎、沖縄、ぐらいでしょうか?四国は上陸してませんね~4,どこの方言に憧れる?しいていえば沖縄でしょうか?覚えれば「島唄」が歌えるかも・・5,どこに住んでる?花巻より十余里の路上、人煙の稀少せること北海道石狩の平野よりもはなはだしと柳田国男が序文に書いた所・・6,そこの自慢は?それなりに生きてゆける所??7,好きな芸能人とデートするなら誰?うむ~誰かな~飯島直子?・・romiさん次よろしくね~
その道が里にも残っているとは驚きですね。これはおもしろい情報をありがとうございます。
今日も蒸しましたね、水面をわたる風はさぞ気持ちよかったものと思います。
里道の鳥居・・・要所要所に建てられたものと思いますし、仰せのように集落の端、或いは入口あたりに建てたものか・・と考えているところです。
ただし、明治になってから建てられた可能性が高いと思ってます。
鳥居は別世界への入口であり出口でも有ります。
悪い物を払い落として潜る、否、潜る事で払い落とされ清められる結界ですね。
字単位の時代には字境の意味もあったのでは・・・。
と想像してしまいます。