キンちゃんの「マイコレ」partⅤ

果樹栽培、自然観察、・・・そして時々人間観察等です。

逆説の日本史 中世混沌編

2012-06-24 18:29:31 | 
一休みした雨が再び降りだして・・、当地でも被害の発生が心配されます。
が、とりあえず・・、アジサイを叩く雨音を聴きながら・・、雨読です。


室町時代は、よく解らない時代の印象がありましたが、この本を読んで少し視界が広がる気がします。

(12/06/24撮影)

尊氏、義満、一休さん、金閣寺、銀閣寺・・、それ以外にも盛り沢山であったようです。

「・・戦国大名第一号・・朝倉孝景・・」
「孝景は単に戦争に強かっただけではない。領国経営つまり政治家としても非凡な才能を見せた。その証拠が、孝景が本拠とした越前一乗谷と「朝倉孝景十七箇条」なのである。」
「実力主義と自由競争を宣言した「朝倉孝景十七箇条」」

「(山城)国一揆と一向一揆」
「・・山城国一揆がそれまでにない「自治共和国」を目指した時に、自らを「惣国」と呼んだのは、そうした意識が背景にあってのことだ。」
「・・惣国がわずか八年の寿命しかなかった最大の理由の一つに、カリスマ的リーダーの不在を挙げたい。」
「・・「ただの民衆」が国を治めていくこと、つまり「自治」を正当化する思想がないのである。」
「一向一揆とは・・、浄土真宗つまり本願寺教団の信徒たちによって組織された一揆である。」
「実は、本願寺はダメだったが、それ以外の真宗教団は隆盛の一途をたどり、蓮如が生まれた頃は、我が世の春を迎えていたのである。」
「極楽往生は阿弥陀如来の最も重要な誓願(本願)である。「私(阿弥陀)を信じ、私を念ずる者は必ず極楽浄土に生まれ変わる(往生する)」・・だから、本来は何もしなくていい。儀式も教団もいらないし、修業も作善も要らない。だから親鸞はこれら一切を否定した。・・人間はそれでは物足りないのである。」
「蓮如の教えに共鳴する信者が増えてくると、蓮如はさかんに信徒同士の集会を勧めた。・・こうしたグループのことを、蓮如は講と呼んだ。」
「講という蓮如が考えたシステムが、一向一揆という戦国最大の一揆の母体となるというところが、歴史の皮肉でもあり妙味でもある。」
「その転換点は、地方武士いわゆる土豪・国人クラスの一向宗への帰依にある。・・つまり中間管理職までが組合に加入し、経営者を追放し経営の実権を握った、というのが現代の組合闘争にたとえた一向一揆の構図なのである。」

「『平家物語』という亡霊が大活躍する「鎮魂の曲」は、なぜ琵琶法師によって語られねばならないのか。・・「死え」を扱う人間ながら僧侶は「ケガレの対象外」とされたことである。・・観世三郎元清の芸名がなぜ「世阿弥」なのか、・・名前に「阿弥」をつけるのは時宗の信者の習慣である。「観阿弥」なら「観阿弥陀仏」の略になる。」
「上演の間だけ怨霊が憑依し、終わったら憑依から脱する仕組みをつくればいい。・・その道具とは「仮面」である。すなわち能面なのだ。」

「日本の将棋の駒の名称が、・・玉(王将が出現したのは玉将の後のことである)、金、銀、桂(肉桂(シナモン))、香、という貨宝、すなわち物になっている・・」
「将棋は戦争ゲームではない・・外国人も直ちに「駒の再使用」あるいは「持ち駒」という概念を理解する・・「マネー・ゲーム」だと言えばいい・・」

その他にも、折り紙、風呂敷、花、茶など・・なかなか面白い考察が有りました。


今回も、興味深く読ませて頂きました。
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2 コメント

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Unknown ()
2012-06-25 18:40:00
高田崇史の小説QEDシリーズ

なんとか伝説解明系で
面白いですよ。
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Unknown (座敷犬~蘭さん)
2012-06-26 04:22:07
知りませんでした。
今度、探して読んでみます。
サンキュ。
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