しまなみ海道の来島海峡第三大橋のそばに、小島(おしま)と言う小さい島があります。
子供の頃、太平洋戦争で空母に乗り続け、乗る船が無くなって本土で終戦を迎えた父に連れられて行った記憶があります。
砲台跡があって、当時は太平洋戦争関連と思っていましたが、日露戦争に供えての施設だったようです。
たまたま今日の「ブラタモリ」を見ていると、函館山の日露戦争に供えた砲台跡が紹介されていました。
砲台間を繋ぐ会話用の連絡穴も小島と同じです。
戦争すると言うことは日本が攻められる事も想定するという事。
自国防衛のためには焦土作戦も厭わず闘うべきだとは思うが・・、スイスのように・・。
子供の頃、太平洋戦争で空母に乗り続け、乗る船が無くなって本土で終戦を迎えた父に連れられて行った記憶があります。
砲台跡があって、当時は太平洋戦争関連と思っていましたが、日露戦争に供えての施設だったようです。
たまたま今日の「ブラタモリ」を見ていると、函館山の日露戦争に供えた砲台跡が紹介されていました。
砲台間を繋ぐ会話用の連絡穴も小島と同じです。
戦争すると言うことは日本が攻められる事も想定するという事。
自国防衛のためには焦土作戦も厭わず闘うべきだとは思うが・・、スイスのように・・。