経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

低級官僚と接客

2007年10月31日 | Weblog
何のため接客や販売員が必要なのだろうか。
 答えは簡単である。売るためである。
 だから、販売員を増強した、といった場合、二つのことを考えなければならない。
1は、売れないから増強したのでは、という見方。2は、手が足りないから増強したという見方。肝心なことは、前者、後者がまるで反対、ということである。

 また実のところ、この売るためにいる販売員が、お客に厭われ、売れないことの要因を作っていることが多いのである。そうなると、販売員を減らすことで、売り上がることも可能性としてはある。
 
モリや元痔菅、低級官、夫婦でゴルフ・焼き肉三昧の栄華のおり、せっせと、悪の露見の情報発信を、実はみずからやっていたのである。

 その情報は、ひとつからげでいえば「隠す」ということである。い悪いことだか、こそこそやらねばならないし、隠す必要がある。だから「隠す」ことで、悪いことやってますよ、という情報発信をしていることになるである。
 
 モリや元痔菅、低級官僚も倫理規定以前で問題ない、と強く疑惑を否定していた。なぜか、人は自分に嘘をつけない。だから、「違反している」、ということが自分ではわかっているから、繕い、強く否定するのである。繕うといことは、小学5年の頃、裁縫でも学んだことだが、綻びがあるものを繕う作業である。

 証人喚問の撮影は、動画に決まったが、最初は静止画と主張していた。これは嘘をつくときの表情をさらされるのを恐れたためである。さらされて困ることがなければ嘘をつかないでいい。そうであれば動画でも静止画でもいいのである。

 彼を、「官僚としては有能であった」と政治家が言っていた。これは、泥棒に、泥棒としては有能であった、言うのと同じこと。だからこの政治家は、自分が人を診る目がない無能であること(情報)を発信しているか、あるいは自分の監督責任を問われた時を先取りしての、予防線を発信しているか、どちらかであろう。

 会社の組織変更で、社長が、営業本部長を兼務するようなときは、まずその会社は営業面に問題がある、ということである。
 かってマツシタで、幸之助さんが、営業本部長を兼務したことが、何度かあったが、みな営業不振の時である。
 
 「販売員が、売れない商品を熱心に売る努力をすればするほど、その店は売れなくなる」。だからそういった販売員が多い店を、「いい店だ」と錯覚するのは、販売教育のインストラクターであって、目の肥えたお客なら、「これだけ熱心なのは、売れない店ではなかろうか」と警戒する。それは、バーなどで、美女に取り囲まれ、高い酒を勧められた客体験を持っているからである。

 すべからく、こうした解なり理由は、自分がお客になったとき、よくわかること。であれば、お店で商品をあの手この手の接客テクニックで売り付けられたとしたら、次にまた喜んで買う気になるかどうか、自分のお店で、こうしたチェックを入れる習慣作りを導入したら、どうだろう。

 自分の消費者体験が乏しい人が、「お客の立場にたって・・・」と思っても、言っても立てるはずはない。だから、ほとんどこういうケースの場合、口先に終わる。

 どんな店でも繰り返し来店して貰って成り立っている。だから無理に売り付けたり、買ったのちに後悔するような売り方をしたのでは、一時的には売り上げは上がるが、お客の不評を蓄積させているのだから、やがて営業不振に陥るのは自明の理である。

 売る立場でお客に接しお客の選択権を犯す販売員がいる店は、接客がうまければうまいほど、結局はその巧さが、客数減の要因になっている。

 こうしたことを果たしてどれぐらいの経営者が認識しているであろうか。特にノルマや販売奨励金を出しているお店は注意を要する。販売奨励金は、倒産奨励金と呼んだ方が、実態に近い。

 繰り返す。売れないときに売る努力をすることは、命取りである。売れないときにには、1に、売れない理由を除去することと、2に、買ってもらえる条件を付加することである。

情勢判断は、1つ、多角的角度からみる。2に、様々なケースに共通する普遍性の高いもので、置き換えてみる。情勢判断学を専門にしているわたしにしたら、先日このブログで、「モリヤとりや」とかいたように、同じに思えるのは、この2の置き換えである。

 まだあるが、この2つだけで、まず本質から大きく外れない、情勢判断は、誰にも出来るので、明日は、マーケット戦略のやりかたを、モリヤ証人諮問のTVで学んでみるのもおもしろいのではなかろうか。