国防の隠れ蓑をきせて、自分だけではなく、妻にも只でゴルフをさせていた最低級の高級官僚。しぶしぶ退官してからも、大嘘を繰り返していた恥ずべき人物がいる。
それを最高位につけ、夫婦にただゴルフをさせ、5年も重宝、3年での退官を、のばした政治家もいる。
ブランドを嵩に、儲けを企んで、のこのこ昨日になって出てきて、美しい秋田弁を、嘘の鶏の血で汚した鶏屋もいる。
私の関心は、企業の増収増益の体質構造づくりにある。ここで言う構造とは「永続的
に増収増益を生み出すしくみ」と解して頂きたい。
一過性の増収増益は、必ずしもゴーイングコンサーン的増収増益には結びつかない。いやむしろ、そうした本来めざすべき体質作りを妨げることになる。モリヤトリヤも然りと言うことだ。
起業・創業であれば、最初に増収増益の構造を組み込んでおけば、その事業は必然的に増収増益の途を歩まざるをなくなる。これが私の理想とするところである。
その意味で、経営革新の難しいところは、これまでの一過性的カンフル効果の連続で企業を維持していくという考え方を捨てて頂き、今を耐えてでも強い体質を構築していく、ということの難儀さにある。このことは再生・再建はなおのこと。
このことは別の表現をとれば、過去の成功要因が、現状の陰りなり挫折なりの起因になっている、という経験的定理による。この過去の成功要因が失敗要因になっていること自体の実感が全くと言っていいほど、本人(企業経営者)にないのだから、やっかいなのである。
だからたいてい不振に陥った企業は、さらに一過性の売上げや利益を求めて、これまで以上にカンフル注射や精力剤を打ち込み、頑張るからである。モリヤも夫婦のゴルフにがんばったしリヤも、益出しに廃鶏を解体したのだ。
過去を捨てなければならないこと。そして一過性的なやり方で永劫的な繁栄は得られないこと。こうしたことは、みな頭の中では承知はしているものの、現実にはそれを「やらないこと、止めること」を、恐れる。それで、ゴルフもごまかしもここまで続けてきたのだ。
誰しも先の恐怖より、今の恐怖を避けたい気持ちがある。だからその現状の不安を、絶え間なく一過性的なるものを打ち続けることで現実逃避する。そこを突いても、「今、大変なのに、先のことなど考えられるか」とか「そんな先のことを考える余裕はない」という言い回しではねられる。倫理規定が施行した以前だ、というのは、それだ。倫理とは規定があるなし、といった問題ではない、といったことすら、とぼけるのは、実は、今の恐怖に駆られてのことと、見ることも出来る。
だから、そうしたことが螺旋状態に繰り返され、エスカートすることになり、確実に露見する。悪魔のスパイラルとでも呼ぼうか、そうしたシクミに共通の結論で帰結する。
露見と身の破滅は間違いなく来るのは、そのセスカレーターに乗っているからだ。モリヤトリヤも例外なし。
「わかっちゃいるけど、止められない」は、実は過去の成功体験を止めたり、捨てたりすることが怖いのである。
怖いからこそ、 肩書き、地位、ブランド 信用、信頼を担保に、国民や消費者だますことも平気(をよそおって)でやる。
露見しても、たいしたことない。これまで得た利益から見たらわずかのコストとたかをくくるどうしようもないものもいる。モリヤトリヤも然りかもしれない。
そうした連中のなした罪が、軽いものであるとしたら、それは信用、信頼、ブランドに対する挑戦だ。
信なくば、政治(まつり)事も経済も成り立たない。その根本を汚した罪は大きい。
釣り合えず、ゴルフ接待(だけではないですぞ)の最低元役人モリヤトその詰まらん妻がうけとった、億は超えているだろう退職金等と受けた接待料は、即、お返しなさい。年金二重取りの役人も、返しなさい。鶏屋も肉の代金、お返しなさい。美しい秋田弁を汚したことを、秋田県民にお謝りなさい。
よさのさん、そうした「お返しなさい」をすましてからですよ。予算に消費税を取り上げるのは。鉄幹がおこってますよ。「ヨサンのかい?」と。
それを最高位につけ、夫婦にただゴルフをさせ、5年も重宝、3年での退官を、のばした政治家もいる。
ブランドを嵩に、儲けを企んで、のこのこ昨日になって出てきて、美しい秋田弁を、嘘の鶏の血で汚した鶏屋もいる。
私の関心は、企業の増収増益の体質構造づくりにある。ここで言う構造とは「永続的
に増収増益を生み出すしくみ」と解して頂きたい。
一過性の増収増益は、必ずしもゴーイングコンサーン的増収増益には結びつかない。いやむしろ、そうした本来めざすべき体質作りを妨げることになる。モリヤトリヤも然りと言うことだ。
起業・創業であれば、最初に増収増益の構造を組み込んでおけば、その事業は必然的に増収増益の途を歩まざるをなくなる。これが私の理想とするところである。
その意味で、経営革新の難しいところは、これまでの一過性的カンフル効果の連続で企業を維持していくという考え方を捨てて頂き、今を耐えてでも強い体質を構築していく、ということの難儀さにある。このことは再生・再建はなおのこと。
このことは別の表現をとれば、過去の成功要因が、現状の陰りなり挫折なりの起因になっている、という経験的定理による。この過去の成功要因が失敗要因になっていること自体の実感が全くと言っていいほど、本人(企業経営者)にないのだから、やっかいなのである。
だからたいてい不振に陥った企業は、さらに一過性の売上げや利益を求めて、これまで以上にカンフル注射や精力剤を打ち込み、頑張るからである。モリヤも夫婦のゴルフにがんばったしリヤも、益出しに廃鶏を解体したのだ。
過去を捨てなければならないこと。そして一過性的なやり方で永劫的な繁栄は得られないこと。こうしたことは、みな頭の中では承知はしているものの、現実にはそれを「やらないこと、止めること」を、恐れる。それで、ゴルフもごまかしもここまで続けてきたのだ。
誰しも先の恐怖より、今の恐怖を避けたい気持ちがある。だからその現状の不安を、絶え間なく一過性的なるものを打ち続けることで現実逃避する。そこを突いても、「今、大変なのに、先のことなど考えられるか」とか「そんな先のことを考える余裕はない」という言い回しではねられる。倫理規定が施行した以前だ、というのは、それだ。倫理とは規定があるなし、といった問題ではない、といったことすら、とぼけるのは、実は、今の恐怖に駆られてのことと、見ることも出来る。
だから、そうしたことが螺旋状態に繰り返され、エスカートすることになり、確実に露見する。悪魔のスパイラルとでも呼ぼうか、そうしたシクミに共通の結論で帰結する。
露見と身の破滅は間違いなく来るのは、そのセスカレーターに乗っているからだ。モリヤトリヤも例外なし。
「わかっちゃいるけど、止められない」は、実は過去の成功体験を止めたり、捨てたりすることが怖いのである。
怖いからこそ、 肩書き、地位、ブランド 信用、信頼を担保に、国民や消費者だますことも平気(をよそおって)でやる。
露見しても、たいしたことない。これまで得た利益から見たらわずかのコストとたかをくくるどうしようもないものもいる。モリヤトリヤも然りかもしれない。
そうした連中のなした罪が、軽いものであるとしたら、それは信用、信頼、ブランドに対する挑戦だ。
信なくば、政治(まつり)事も経済も成り立たない。その根本を汚した罪は大きい。
釣り合えず、ゴルフ接待(だけではないですぞ)の最低元役人モリヤトその詰まらん妻がうけとった、億は超えているだろう退職金等と受けた接待料は、即、お返しなさい。年金二重取りの役人も、返しなさい。鶏屋も肉の代金、お返しなさい。美しい秋田弁を汚したことを、秋田県民にお謝りなさい。
よさのさん、そうした「お返しなさい」をすましてからですよ。予算に消費税を取り上げるのは。鉄幹がおこってますよ。「ヨサンのかい?」と。