経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ささやき

2007年10月07日 | Weblog
企業論理に代わる概念として「消費者中心主義」を考え、提唱している。
爾来、企業論理は対立構図上に存在している。企業と消費者を対立でみるから、判断のさい、どちら有利を択一するかといえば、経営者は間違いなく消費者を捨て、自分の企業を採る。顧客第一主義を唱えている企業でも然りであろう。
 だからといって企業を責めることは出来ない。対立の論理下では、消費者だってそうなのだから。

 そこで、対立しない企業論理を仮説的に考え、これを「消費者中心主義」と名付けた。わたしの頭の中で、小さく産まれたカラッポの、この概念は、ご縁を頂き、賛同し取り入れて下さった経営者の方々の育みを滋養に、15歳に成長した。

 「消費者中心主義」は、とかく「お客様第一先主義」とか「顧客満足」といっしょくたにされる。こちら、私のネーミングが後発だから、苦笑せざるを得ないが、企業の論理に内包されるそれらとは、全く異なる概念である。
 こっちの岸にいて、あちらの岸を考えるのではなく、あちらの岸で、こちらを考えるのだから、見える景色そのものが全く違う。

 この概念の根本の1として、「我が身、企業中心の論理では事業も自分も人も幸せにはなれない」を挙げたい。

 人の幸せを心底から念じ、そのための営み行動することで成り立つのが企業の本質と考えるからである。だから消費者の幸せと喜びに思考と行動の基準を置きさえすれば事業は健やかに伸びていける、という確信が仮説としてある。この仮説の検証、証明が、以来私のライフワークとなっている。

 それを自らの生き延びのために、いわば事業の命綱にも等しい消費者を、裏切り、だまし、不安に陥れて、そして自らの企業の生命を、自ら絶つ浅はかな有り様は、まさに癌細胞そのままではないか。

 消費者を裏切り、消費者に害悪を加える企業を消費者は必要としないし、迷惑な話であるの だから、さっさと自滅すればよいのだが、これらが延命を図るプロセスで世間や消費者を巻き込むから、問題は大きくなることがしばしばだ。

 だが毎日のごとく報道され、新聞紙上に登場している企業の不祥事に内包される因は、決して、特殊・固有、希有のものではない。大なり小なり、そして濃淡はあっても、いかなる組織に内包されている普遍性的なものであると、見た方がいい。

 もとより企業にそうしたものが存在するわけない。会社が人を首にしたのではなく、会社の人間の誰かが首にしたのである。日付の詐称を、「それよし」、と企業が判断した、といったことは絶対にあり得ない。企業内の誰かが、「それよし」と、したのである。

 そう考えると根本には、人がもつ哀しい性(さが)的なものが起因しているといえる。だからひとつ間違えば誰しもやらかしかねない魅惑あふれる誘惑になる。

 その誘惑は、こうした囁き(ささやき)に始まる。
「もしバレなければ、会社の業績へ貢献。自分の成績も上がる。まるまる得ではないか」。

 だから露見しなかった企業では、その企業の業績は上がり、彼ないし彼女のその行為は「勲章モノ」のはずだ。
 ばれないが当然。ばれたが運が悪い、という「かってな天動説的、自分中心の思いこみ」こそ、人の判断を狂わし、不幸を招く元凶、悪魔の愛のささやきである。(以下、次の稿)