経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

知識にこだわって。

2004年12月07日 | Weblog
 「過去」は、文字通り「過ぎ去る」と言う意味。過ぎ去って、今はないのだ。近鉄奈良線の東生駒駅から上本町下車。それから空港バスで伊丹空港まで行けばいい。その空港バスが事故で2時間近く遅延するという。仕方がないので梅田に回ることにした。30年ほど前は、古市に住んでいたしそれ以前にも千林、寝屋川、高槻にいたことある。その過去の知識が、明らかに原因で、地図でわずか阪急御堂筋線に乗れば2駅先の梅田へ行くのに、JRにのり、1時間も掛かるというミスをしでかした。それでいて切符は2区間の190円だから、環状線の内外を間違えたのだろう。
 過去の「ない」という記憶が、今、「ある」ものに振り回された。あういは、過去に「あった」ものを、今は「ない」のに、こだわって、いずれも記憶を追って、記憶に頼ったためだ。
 現実に対して、記憶は幽霊にすぎないのに、だ。

 住んでいたいたところ、すなわち経験十分でよく知っている街だ。これは知識だ。だが考えてみれば知識はその鮮度の差はあるにしても、すべからず過去のものだ。過去のものである知識を持っているが故に、今の状況、変化をその知識で見てしまった。それが私の、今回のミスの原因である。では初めての街で、まったく知識がなかったら、こうした場合、私はどうしただろう。
 わからないから、情景を見る。看板、案内等々。それでもわからなかったら、人に聞く。何しろ夥しい人が歩いているし、お店も交番もある。過疎の町ではないのだ。つまり過去にこだわらず、あるいは過去の知識がなかったら、情景に素直に対応できただろうし、謙虚に人に教えてもらえるのである。

 結局、なんだ。私がこの件で恐ろしさを思ったのは、過去の記憶された知識にこだわり、情景に対応しなくなっていたこと。わからないことを人に聞く、という謙虚さを失っていた、という事実である。それは間違いなく、私に老化現象が始まっていることを意味する。それに気づいて恐かった。

 もう20年も使って黄色く変色したノートを取り出し、20年間、全く同じ話をする。ジョークまで同じ、こうした学者を揶揄した話を聞いたのは、たしか30代の頃。実際、現実に最近ですらそれほどではなくとも、それに近い人が少なくない。その彼らに対して、この私、61になったとはいえ、そんなことはないぞと、どこか鼻の先で笑っていた当人が、このざまだ。

 否、老いのせいではない。やせ我慢でなく年のせいではない。過去の知識、経験で、今をこなせる、という私の心の怠慢、奢りなのだ。あるいは新しいものを避けようと言う弱気なのだ。
 
 離陸10分前、なんとか間に合ったその飛行機だが、台風27号のため四国の空から、もとの伊丹空港まで引き返す。新大阪駅、21時着。鹿児島までの列車は、とっくにない。
 
 深夜、暗闇の中を熊本へ走る列車の中で思った。この列車がうまく、鹿児島へつながってくれなければ、明日10時からの講演をドタキャンしなければならない。
 もうこんな嫌な、辛い、情けない思いは二度としたくない。だがどうにもならない飛行機の引き返しのことは、いい。問題、反省は、上本町からの、あの自分の心のぶざまなあわてふためきだ

 古いものを捨てよう。過去の経験にこだわらないようにしよう。新しいことにもっと関心を持とう。もっともっと謙虚で、素直であろう。
 
 そんなことを、祈るような気持ちで思った。深夜1時29分、熊本までは到着。さて、これからだ。反省を活かすのは、、、。