経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

断定できること

2011年01月14日 | Weblog
自分が乗っている列車が走る。
走っているはずのない景色が、反対に走る。
そして列車の中の自分は、あたかも一定値に留まっている。
並列して走る列車があったとしたら、
双方とも動いていないように見える。

動くということは、動いていないものがあってこそ。
止まっているということは、動く物の存在があって
初めて認識される、という、この当たり前のことを
私たちは、意識しない。


自分が唯我独尊的存在であることを意識している人は、
他の人もまたも区々唯我独尊的存在である、と
認識する人であろう。

区々全てが、みな唯我独尊。
だからこそ、存在価値がある。みなみな例外なく存在価値がある。

その存在価値を、役割分担ありと置き換えた方がわかりやすかろう。


この俺は、唯我独尊。だから俺なりの役割分担がある。
その役割を果たさない。もしくは他の人と同じであれば、
存在価値も役割分担も与ることはない。
ならば、この俺のやるべきことはなにか。
唯我独尊を極めること。すなわち自分の役割を突き詰めること。


八百屋は八百屋としての役割がある。
だから八百屋としての役割分担を果たさないとしたら、
存在価値がなく、物理的存在の八百屋の看板も消えることになる。
ならばこの八百屋は、どうしたらいいのか。
発展するためにはどうしたらいいか。

なぜ多くの八百屋が、スーパーにより消えたか。
そうした中で、少なからずなぜ八百屋が生き残っているのか。

答えは簡単である。
役割をスーパーに取って代わられたのである。
役割喪失でその存在価値を失ったからである。

ではなぜ生き残っている八百屋があるか。

答えは簡単である。
「天下天上唯我独尊」 、
この世に俺は俺しかいない。

ならばこの店とておなじこと。
八百屋としての存在価値を、
八百屋としての役割を徹底的に究める、

と、この八百屋のおやじが難しい理屈をこねて、
決意したからである、とは言わない。
彼にアンケートもヒヤリングもしたこともないから
知るよしもない。

しかし、これだけは断言できる。
地域の消費者は、このお店にここしかない価値を
見いだしているからこそこのお店を選択し、購買する
ということで、支えているのだ。

その行為は、八百屋のためではない、
消費者各人の生活、家族のための選択なのだ。