主観を立てたら、客観で検証し、双方成立したら是と判断。
客観を得たら、主観で検証し、双方成立したら是と判断。
主観だけでは、片面思考。その考え、一方的なり。
客観だけでは、片面思考。その情報は疑うべし。
これが両面思考である。
自分が、この両面思考を成しているかどうかを、
そして、この両面、主観と客観を対等に、偏りなく採って
初めて、正しい判断ができるのである。
そういう意味で、判断は冷厳であり、利であり、
情の入り込む隙がない、というのが本来だろう。
本来だ、と言う意味はそうでなければならないのだが、
現実はそうはいかない、といった苦みが含まれる。
だから人は、公私を対比させれば、「私」を、
情と理であれば、「情」を押さえつけることができない。
もちろん人によってその差はある。
その逆という人もいよう。
だから自分がそのどちらの傾向が強いか
そしてこの場では、そのどちらが強くでているか、
といったことを、少し立ち止まってみてみる。
そして、それが自分にもある、ということを
ことの折々に、思いを馳せてみる。
そうしたことが、大切なことになろう。
冷静にとか、心に余裕を持って、とは、
そのことをいうのではなかろうか、
最近、宮城谷昌光さんの「古城の風景」を読んでいて、
氏が、小説を書くに当たって、歴史上の事実と真相を
押さえるのに、こうしたやりかたを採られていることを知った。
歴史家としては当然の手法かも知れないが
(単に文献の記述だけで決めつけている歴史家もいる)
小説家が、かなりの些事にい一つ一つその矛盾などについて、
妥協、曖昧さを許さないで、こうした検証を積み重ねておられる。
このことを知り、これは凄いと驚嘆した。
ちなみに、ここで検証とは、簡単にいえば、
歴史上の勝者が記した記述と、
敗者が記したことが一致したものを事実とする。
そして、それ以外は捨て空いた空間を創造の世界に委ね、
小説家としての腕をふるう、ことを言う。
客観を得たら、主観で検証し、双方成立したら是と判断。
主観だけでは、片面思考。その考え、一方的なり。
客観だけでは、片面思考。その情報は疑うべし。
これが両面思考である。
自分が、この両面思考を成しているかどうかを、
そして、この両面、主観と客観を対等に、偏りなく採って
初めて、正しい判断ができるのである。
そういう意味で、判断は冷厳であり、利であり、
情の入り込む隙がない、というのが本来だろう。
本来だ、と言う意味はそうでなければならないのだが、
現実はそうはいかない、といった苦みが含まれる。
だから人は、公私を対比させれば、「私」を、
情と理であれば、「情」を押さえつけることができない。
もちろん人によってその差はある。
その逆という人もいよう。
だから自分がそのどちらの傾向が強いか
そしてこの場では、そのどちらが強くでているか、
といったことを、少し立ち止まってみてみる。
そして、それが自分にもある、ということを
ことの折々に、思いを馳せてみる。
そうしたことが、大切なことになろう。
冷静にとか、心に余裕を持って、とは、
そのことをいうのではなかろうか、
最近、宮城谷昌光さんの「古城の風景」を読んでいて、
氏が、小説を書くに当たって、歴史上の事実と真相を
押さえるのに、こうしたやりかたを採られていることを知った。
歴史家としては当然の手法かも知れないが
(単に文献の記述だけで決めつけている歴史家もいる)
小説家が、かなりの些事にい一つ一つその矛盾などについて、
妥協、曖昧さを許さないで、こうした検証を積み重ねておられる。
このことを知り、これは凄いと驚嘆した。
ちなみに、ここで検証とは、簡単にいえば、
歴史上の勝者が記した記述と、
敗者が記したことが一致したものを事実とする。
そして、それ以外は捨て空いた空間を創造の世界に委ね、
小説家としての腕をふるう、ことを言う。