経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

人がいる

2011年01月09日 | Weblog
林檎の隣に梨が陳列してある。
なして梨なんだろう。
なして柿でもなく牡蠣でもなく、
なして花器でもなく、火器でもなく、梨なのだ。
なして、なして。なんでだろう。

そこには理由があるはず。
そして林檎も梨も、自ら選択し、自ら動き、
ここに並んでいるのではない。

この八百屋の親父かおふくろさんか、店員が、
ここに梨、ここに林檎と並べたに違いないのだ。
それにも、彼らなりに理由がありで。


17年間流通業界にいて、ひとかじり、経営の勉強をして、
経営指導、今は経営支援と呼ばれるが、この道を歩み始めて、
何年か経ったある時、本当に偶然に、店舗診断に行った
八百屋の店頭で、そんなことを考え始めた。


かねがねから経営の専門書、簿記、財務諸表
といった本だけではなく経済の本、マーケティングの本にも、
人のことがほとんど出てこないことに
疑問を感じていたことがある。

誰しも思われることだろうが、
そもそもそうした本には、
人という「主語」がないこと。
かろうじてマーケティングや心理学の本には、
単語として「人」は出てきても主語は、街であったり、
店舗であったり、クライアントであったり・・。

流通業で17年間働いた、と書いた。
私の実感としてはその世界は「流通の世界」ではなく
「人のどろどろしたうごめきの世界」であった。
そうした支店から、専門書を見ると、それはまるで機構の世界。
現実は、そんなものではない、という気持ちが今でも強くある。


ここに梨があれば、ここに並べた人がいるはず。
仕入れた人がいるはず。この梨を買う人がいるはず。

ここに八百屋があれば、それを経営している人がいる。
経営している人が生計を立てるためには、買う人がいる。
否、買う人がいるから、この親父は八百屋をやっておれる。

人がいる。人がいるからこそではないか。
こんなことを、真剣に考えて見たくなって、
「唯我独尊」の話になった。


明日は、その唯我独尊の話に戻したい。