これまで長い間、自分の脳に経営思考のシクミを作るため、
たとえば旅先で泊まったときのホテル、街で買い物したお店、
食事をした店などで、「この店で売れて儲かる手だてないかな」、
ということを考え、見つけだすことを習慣にしてきました。
しくみ作り、つまり脳の回線づくりのために始めたことですが、
他のうまくいく方法を考えることは、自分の脳が「嬉しいこと」で
満たされることに気が付きました。
「情けは人の為ならず」といいますが、
なんてことはない。そうしたお店や企業、
そしてそれらに関わる人たちのことを考えることは、
畢竟自分の喜びの仕入れ、イコールになっていた。
少々大袈裟かも知れませんが、これぞ私の旅(人生)の目的、
生業(なりわい)、生き甲斐ぞ、と思いました。
話を経営のことに戻しもう少し続けます。
旅の途中、徒然にそうしたアプローチで経営を考えるのが、
とても楽しみでした。生き甲斐になりました。
そんな中で気が付いたことがあります。
最初はちいさな気づきでしたが、やがて確信になりました。
それはそうした場合、「経営の視点からみてはダメ」だということ。
これもまた私にとっては大発見でした。
自分では自分の大部分が見えないように。
内にいると、内より外が見えるように、
経営にいると見えない経営が存在する。
世界の中に経営があるのであって、経営の中に世界があるのではない。
偶然は、多分に後付けの意味づけ、こじつけもありますが、
偶然、舟木一夫の唄「君たちがいてボクがいた」が有線で流れていた。
福井駅前商店街、昭和町でしたか。夕食をしている食堂の中だった。
「日常生活があって、お店がある」。
日常が主流、その中の支流の1つとして経営の存在がある。
その時のメモには、こんわけがわからないことを記しています。
ですが、これらのメモが、経営を日常というとてつもない
だだっ広い海に浮かべてみる、つまり経営を日常生活から考える、
そうしたことに私を至らしめてくれたトリガーになったのです。
このことが正しい。これが本来だ。そもそも経営とは、と
粋がるつもりも、ましてや誇る気持ちなどさらさらありません。
只、胸を張っていえるのは、「自分の居場所が見つかった」ということ。
これで人を追いかけることもない。
競うこともない。
比べることもない。
なぜならそれは私の世界だから、といった思いです。
たとえば旅先で泊まったときのホテル、街で買い物したお店、
食事をした店などで、「この店で売れて儲かる手だてないかな」、
ということを考え、見つけだすことを習慣にしてきました。
しくみ作り、つまり脳の回線づくりのために始めたことですが、
他のうまくいく方法を考えることは、自分の脳が「嬉しいこと」で
満たされることに気が付きました。
「情けは人の為ならず」といいますが、
なんてことはない。そうしたお店や企業、
そしてそれらに関わる人たちのことを考えることは、
畢竟自分の喜びの仕入れ、イコールになっていた。
少々大袈裟かも知れませんが、これぞ私の旅(人生)の目的、
生業(なりわい)、生き甲斐ぞ、と思いました。
話を経営のことに戻しもう少し続けます。
旅の途中、徒然にそうしたアプローチで経営を考えるのが、
とても楽しみでした。生き甲斐になりました。
そんな中で気が付いたことがあります。
最初はちいさな気づきでしたが、やがて確信になりました。
それはそうした場合、「経営の視点からみてはダメ」だということ。
これもまた私にとっては大発見でした。
自分では自分の大部分が見えないように。
内にいると、内より外が見えるように、
経営にいると見えない経営が存在する。
世界の中に経営があるのであって、経営の中に世界があるのではない。
偶然は、多分に後付けの意味づけ、こじつけもありますが、
偶然、舟木一夫の唄「君たちがいてボクがいた」が有線で流れていた。
福井駅前商店街、昭和町でしたか。夕食をしている食堂の中だった。
「日常生活があって、お店がある」。
日常が主流、その中の支流の1つとして経営の存在がある。
その時のメモには、こんわけがわからないことを記しています。
ですが、これらのメモが、経営を日常というとてつもない
だだっ広い海に浮かべてみる、つまり経営を日常生活から考える、
そうしたことに私を至らしめてくれたトリガーになったのです。
このことが正しい。これが本来だ。そもそも経営とは、と
粋がるつもりも、ましてや誇る気持ちなどさらさらありません。
只、胸を張っていえるのは、「自分の居場所が見つかった」ということ。
これで人を追いかけることもない。
競うこともない。
比べることもない。
なぜならそれは私の世界だから、といった思いです。