経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

生きるための手下

2010年01月10日 | Weblog
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長崎県立大学の村上則夫先生から、
新しく出版された著書が送られてきた。
ちなみに先生は、私の一番の苦手な分野と一番の得意分野、
情報学、システム学、経営学がご専門。
http://www.sucot.jp/murakami/index.html
実践経営経営学会でご一緒。それも同じ九州ということで
親しくお付き合いさせて頂いている。
その本の題名が「社会情報入門」(税務経理協会)
サブタイトルが~生きる力としての情報を考える~

私が編集者なら、このサブタイトルを
本の題名にするのだが、と思いながら目を通した。
まさに名は、体を表している。

そもそも情報の「情」でわかるとおり人の心を語源としている。
念のため辞書で引いてみると、次の如し。

(1)何かを見たり聞いたりして起きる心の動き。
(2)人が本来もっている性質。
(3)他人を気の毒だと思う気持ち。思いやり。なさけ。
(4)特定の異性を愛する心。恋情。
(5)実際のようす。ありさま。
(6)我(が)。意地。頑固。

どれをとっても人間の心を領域としていることは一目瞭然である。

それが、「情報」となるとどうか。
(1)事物・出来事などの内容・様子。また、その知らせ。
(2)〔information〕ある特定の目的について、適切な判断を下したり、
行動の意志決定をするために役立つ資料や知識。
(3)機械系や生体系に与えられる指令や信号。例えば、遺伝情報など。
(4)物質・エネルギーとともに、現代社会を構成する要素の一。

(1)-(2)までは人間くささが覗えるが、
(4)になると私は、頭が痛くなる思いである。

本来は空気同様、意識することはない。
しかし人間の生きていく上に必要不可欠な存在、
これが情報だと思うのである。

だが、とりわけ今のいわゆる「情報社会」といった言葉に代表される
言葉としての情報は、情報が主で人間をそっちのけ、
というのが私の思いである。

「情報が日常の空気や風にもどった」という気持ち、
それがこの本を読み終えての、まず感じたことである。
その意味で、まさにこの本は、我が意を得た思いがする。

道に迷ったとき、案内が一つもないのも困るが、
数え切れないぐらいあるのも困る。
同様にさまざまな情報が氾濫し逆に情報が見えなくなっている、
という感が強い昨今だしその傾向は、今後さらに強くなることは間違いがない。

そうしたときどうやって氾濫する道標から「本当」を見いだすか。
その解が村上先生のこの本だ。
ネタばれを恐れず、あと一言添えるなら、
それは自分が生きための力として情報を見ることだ。
それも強く意識してて、解して、行動すればいいのだ。

人間が生きていくための単なる杖、ツールと、
情報を俯瞰的に見下ろしてみるだけで情報の束縛、重圧から
逃れられ、いい気分に浸れる好著である。
10.1.10