経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

先達

2010年01月02日 | Weblog
新しい年を迎えた。

元旦、ある新年の集まりに参加したのだが、
次々壇上に立ち、挨拶する人たちは口を揃えるように、
「今年は大変な年、不景気な年、先行き不透明で」と、
参加した一般の人にぺたぺたラベルを貼り付けているのだ。
「まるで、刷り込み普及員だ}

まさにそうなのだ。
厳しい年とか大変な年、不況と切り出せば、当然その根拠なり
背景なりがその後延々と強調される。
話は暗く沈んだものになり、聞く人々は、
自分の企業の先行きに一抹の不安と陰りを感じ、散会することになる。
何が、これで「おめでたい新年会ぞ」


味もそっけもない言い方をするならば太陽暦にしろ陰暦にしろ、
双方とも人間が考え、制定したものである。
意味づけとは、そこに意義があるからである。
その意義とは人間にとって、ということになろう。
だから自然の現象自体にお正月だ、おめでたいといったものは、
何一つあるはずがない。
それに、おめでたいことと意味づけしたのは、
人間の先達の英知というものである。
「それをなんだ。恥よ、あんた方」

年数とか、時間が経ったといった、いわゆる時間軸は人間固有の概念。
だから「年が替わる」という認識は人間だけである。
犬や猫は、お正月を決しておめでたい日とは思っていないし、
そうでないとも思っていない。たぶん。
当人達に尋ねたり、脳の検査をしたわけではないが。

また当然、新しい年になったからといって、過去がクリアされたり、
特にそのことが理由で自然界に変化が起きたりするということは
けっして起こり得ないことである。

いいたいことは、
1にどうラベルをい貼り、それにどう意味づけするのは人間である、
2に自然現象は概ね人間の意志に無関係に諸行無常であるから、
こと自然現象にかかわることを人間が予測することは難しい。

この2つの理由でもって、どうせ人智のおよばないことなら、
明るい方に予測、ラベル貼りするのが、人間の先達の英知といってよい。
とはいっても自然は、人間の都合の良いことばかり聞いてくれるはずがない、
そのことも、人は十分承知していた。
そのために、自然を神仏として偶像化し称え、接待した。

なんという先達の知惠。
「それにくらべて刷り込み普及員の浅ましさ」。

「笑点」を見て、仕事して、仙台の佐藤光一さんから頂いた名酒
「鼎心」を味わいながら「相棒」をみて就寝。
おかげですばらしい初夢を見た。