経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

買いたい人がいる

2010年01月07日 | Weblog
客が来店する理由、買う理由を増やせば、客数が増加する。
これは安売りやイベント、接遇などを充実すれば、
売り上げが上がるといったことは誰しもやっているから、周知のことである。
利は区々、人様々あろうが、それを個別に、両面で見てみる。

安売りを「利」と解した人たちと安売りを「利」と解しない人たち
○○イベントを「利」と解した人たちとそのイベントに関心はない人たち
接遇の充実を「利」と解した人たちと接遇はどうでもいいと解する人たち

上の前者、すなわち-区々、自分にとって「利」と解する理由があれば選択。
これに属する集合体が人達の購買により売り上げが上がる。

上の後者、すなわち-区々自分にとって「利」
と解することがなければ選択しない。
この夥し人たちを、私は見えない客と読んでいる。

この人たちに利するものを提示できれば、購買客になる。
今の売上げにはこうした人たちの購買分を機会損失している、
のでは、というのが私の考えなのである。

このことを逆に言えば、利と解しない夥しい消費者の存在が
作り手、売り手側から見えない状態、放置されていることになる。
昨日のタイトル、「いるじゃないか、消費者」ということだ。

なぜ「いる」はずの消費者が見えないのか。
その根本には1に、
ほとんどの経営者は自企業の利、
売上や利益を選る観点から消費者を見ている。
つまり自分の売り上げに見込まれるお客のみに、関心がいき、
それ以外には無関心、ということで、人口減で小さくなっているパイを、
さらに小さくしている。


2に、自分の都合にいいくくりつけで、束ねるからである。
束ね、くくりつけに入らない極く少数派の消費者は、
マーケット視点から、振り捨てられているのだ。

1キロ入りジャンボパック、5個入りパックのキュウリは、
1キロ以下を望む消費者を捨てている。
5個以下のキュウリを探しているお客を無視している、
なんともったいない、こんなに買いたい人がいるのに、

というのがこうした売場を見るたびに思う私の想いである。


自分たちは自分に関わりのないことに関心がいかない。
例え大声で社名を連呼しようが、消費者の自分にとって
何らかの関心、利を与えない企業には、
当然、企業の存在の認識すらしないだろうし、
仮に一度選択したとしても、背を向けているのでは。

たとえば、POSなど購買したお客の情報であり、
こなかった消費者の数で割ると、%にもならない。
それぐらいの極小データーで、「これが売れ筋NO,1]、とは。
内部情報が外部情報を凌駕することはない。


売り手の利の視点で、消費者、見込み客、お客様、客、
顧客、お得意様、上得意様と分類する従来型マーケットでは、
もはや限界が来ていることに気が付き、消費者中心のマーケット。
これを構築することに迫られている。

それが私のライフワーク。
生涯をかけて根強く、根気よくやっていきたい。