まだまだ未熟」、「こんなことすら、口だけでわかっていない」、
「置き換えが出来ていない」、「少しもともわかってない」、
「対(つい)」と書いて、実は対(たい)しているじゃないか」、
「、「偉そうなことを言って」、「間違っていたんだ」、「大反省」、・・・・・
昨夜、溝口健二の「山椒大夫」を見終えて、寝る前に、
頭に余韻を残さないために、今、課題にしている
「花粉症に罹らないシクミづくり」に関して、
いろいろ集めた資料を読んでいた。
「これだ、わかった。そうか。そうなんだ!」
ふと頭をよぎったこの発見に喜んだのはつかの間、
私はその発見のことより、自分のいい加減さに、
自分であきれかえって、落ち込んだ。
それを、思いつくまま言葉に書き出したのが、上。
花粉症対策とは、私から見たら、花粉を憎き、手強き敵。
そうみて、戦ってきた。これが対応、対策。
ここの「対」は「たい)」
これをイメージすると、こうだ。
花粉という外敵に対し、私が戦う。その武器、
あるいは応援兵として、甜茶や紫蘇油。
そのチャンチャンバラバラで、傷つきやられるのは
私の目、鼻。
では、以前は、なぜなんともなく、
ここ10年から、こんなことになったのか。
考えを思いつくまま書き出したのが、以下2点。
1-花粉が悪者、それを退治する、という論理自体が
、 完全に誤りなのだ。なぜなら10年前までは、
杉花粉が降りかかる中を、犬と散歩していて、
犬は花粉症に罹ったが、私は平気だった。
その犬も若いときには平気だった。
2-花粉自体が原因で、鼻むずむずというのであれば、
上の1は起こりえない。
3-かりに花粉が悪いとしたら、花粉に良い花粉になって
頂かない限り、私の花粉症は解決しない。
私が、落ち込んだのは、上の1~3の文章にある、
「花粉」を「相手」あるいは「消費者」、「競合店」に
入れ替えてみたときである。
なんということはない、私が常日頃偉そうにいっている
ことになるではないか。
後編に続く
「置き換えが出来ていない」、「少しもともわかってない」、
「対(つい)」と書いて、実は対(たい)しているじゃないか」、
「、「偉そうなことを言って」、「間違っていたんだ」、「大反省」、・・・・・
昨夜、溝口健二の「山椒大夫」を見終えて、寝る前に、
頭に余韻を残さないために、今、課題にしている
「花粉症に罹らないシクミづくり」に関して、
いろいろ集めた資料を読んでいた。
「これだ、わかった。そうか。そうなんだ!」
ふと頭をよぎったこの発見に喜んだのはつかの間、
私はその発見のことより、自分のいい加減さに、
自分であきれかえって、落ち込んだ。
それを、思いつくまま言葉に書き出したのが、上。
花粉症対策とは、私から見たら、花粉を憎き、手強き敵。
そうみて、戦ってきた。これが対応、対策。
ここの「対」は「たい)」
これをイメージすると、こうだ。
花粉という外敵に対し、私が戦う。その武器、
あるいは応援兵として、甜茶や紫蘇油。
そのチャンチャンバラバラで、傷つきやられるのは
私の目、鼻。
では、以前は、なぜなんともなく、
ここ10年から、こんなことになったのか。
考えを思いつくまま書き出したのが、以下2点。
1-花粉が悪者、それを退治する、という論理自体が
、 完全に誤りなのだ。なぜなら10年前までは、
杉花粉が降りかかる中を、犬と散歩していて、
犬は花粉症に罹ったが、私は平気だった。
その犬も若いときには平気だった。
2-花粉自体が原因で、鼻むずむずというのであれば、
上の1は起こりえない。
3-かりに花粉が悪いとしたら、花粉に良い花粉になって
頂かない限り、私の花粉症は解決しない。
私が、落ち込んだのは、上の1~3の文章にある、
「花粉」を「相手」あるいは「消費者」、「競合店」に
入れ替えてみたときである。
なんということはない、私が常日頃偉そうにいっている
ことになるではないか。
後編に続く