私の23冊目の著書(これは自費出版だが)、
「羊たちの探しもの」に、
次のようなことを書いた。
*
100の撒き餌を惜しみ、20の撒き餌で、100匹の漁獲を狙う。
そして、実績20匹。 しからばとコスト削減すれば、さらに益がでる
次は、10撒いて20匹を目指す。
だが、成果は1。なんでやねん?
それじゃ、それじゃと さらに経費削減。
これ、ジリ貧の構図である。
だが、上手い人は100撒いて80匹釣り、
次に120撒いて100匹を狙う。
そしてその間に100の餌で100匹を
確実に釣る方法を考える。
だがその合理化は、撒き餌を惜しむ為ではない。
最小費用を狙いとするのではない。
最大効果を狙いとしているのである。
*
時は、日本中がリストラ大合唱の不況期の頃だ。
経営者の味方の仕事をしているのに、労働者側からの見解だ、
と講演の後、言われたことがあった。
わかっていない。いや私の書き方がへたくそなのだろう。
私は、費用対効果、
いやもっとハイレベルの
「売れて儲かるためには、どうしたらいいか」
かの原理を書き、それを講演で語り、伝えたつもりだったのだが。
置き換えれば 経営が存続し続けるためには、
ひたすら「消費者に得な条件を与えること」を組織に浸透させ、
実践し続けなければならない。
経営者の采配、要諦はここにある。
なぜなら経営以外の者は、
「企業が得な条件、自分が得なことを考えるのが仕事」。
これが体質化して、消費者に背を向けさせることに
ひたすらするからである。
意識的に、その体質化から、脱却させ得るのは
経営者以外にない。
だから、叫び続けなければならないのだ。こう!
「それはお客様にとって、得になるか」。
「お客様から、わてらが支えてもらえることになるか」。
なのに、その反対のことをやっているのでは?、
なんでや、おかしいで、
と問いかけたつもりなのだ。
反対をやっている経営者でも、釣りのときは、
釣り針ではなく餌に魚が集まる、
この当たり前のことがわかっているはずだ。
経営は別。違うというのか。
それはおかしい!
不思議だ、
自殺行為だ、
と、ほんとうは私の方が
言いたかったのである。
「思い違い、つもりが積もれば、やがて経営は自滅するよ」、と。
「羊たちの探しもの」に、
次のようなことを書いた。
*
100の撒き餌を惜しみ、20の撒き餌で、100匹の漁獲を狙う。
そして、実績20匹。 しからばとコスト削減すれば、さらに益がでる
次は、10撒いて20匹を目指す。
だが、成果は1。なんでやねん?
それじゃ、それじゃと さらに経費削減。
これ、ジリ貧の構図である。
だが、上手い人は100撒いて80匹釣り、
次に120撒いて100匹を狙う。
そしてその間に100の餌で100匹を
確実に釣る方法を考える。
だがその合理化は、撒き餌を惜しむ為ではない。
最小費用を狙いとするのではない。
最大効果を狙いとしているのである。
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時は、日本中がリストラ大合唱の不況期の頃だ。
経営者の味方の仕事をしているのに、労働者側からの見解だ、
と講演の後、言われたことがあった。
わかっていない。いや私の書き方がへたくそなのだろう。
私は、費用対効果、
いやもっとハイレベルの
「売れて儲かるためには、どうしたらいいか」
かの原理を書き、それを講演で語り、伝えたつもりだったのだが。
置き換えれば 経営が存続し続けるためには、
ひたすら「消費者に得な条件を与えること」を組織に浸透させ、
実践し続けなければならない。
経営者の采配、要諦はここにある。
なぜなら経営以外の者は、
「企業が得な条件、自分が得なことを考えるのが仕事」。
これが体質化して、消費者に背を向けさせることに
ひたすらするからである。
意識的に、その体質化から、脱却させ得るのは
経営者以外にない。
だから、叫び続けなければならないのだ。こう!
「それはお客様にとって、得になるか」。
「お客様から、わてらが支えてもらえることになるか」。
なのに、その反対のことをやっているのでは?、
なんでや、おかしいで、
と問いかけたつもりなのだ。
反対をやっている経営者でも、釣りのときは、
釣り針ではなく餌に魚が集まる、
この当たり前のことがわかっているはずだ。
経営は別。違うというのか。
それはおかしい!
不思議だ、
自殺行為だ、
と、ほんとうは私の方が
言いたかったのである。
「思い違い、つもりが積もれば、やがて経営は自滅するよ」、と。