経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

つもりが積もると

2008年03月10日 | Weblog
私の23冊目の著書(これは自費出版だが)、
 「羊たちの探しもの」に、
 次のようなことを書いた。
                *
 100の撒き餌を惜しみ、20の撒き餌で、100匹の漁獲を狙う。
 そして、実績20匹。 しからばとコスト削減すれば、さらに益がでる
 次は、10撒いて20匹を目指す。
 
 だが、成果は1。なんでやねん?

 それじゃ、それじゃと さらに経費削減。
 これ、ジリ貧の構図である。
 
 だが、上手い人は100撒いて80匹釣り、
 次に120撒いて100匹を狙う。
 そしてその間に100の餌で100匹を
 確実に釣る方法を考える。
 
 だがその合理化は、撒き餌を惜しむ為ではない。
 最小費用を狙いとするのではない。
 最大効果を狙いとしているのである。
            *

 時は、日本中がリストラ大合唱の不況期の頃だ。
 経営者の味方の仕事をしているのに、労働者側からの見解だ、
 と講演の後、言われたことがあった。

 わかっていない。いや私の書き方がへたくそなのだろう。

 私は、費用対効果、
 いやもっとハイレベルの

 「売れて儲かるためには、どうしたらいいか」 

 かの原理を書き、それを講演で語り、伝えたつもりだったのだが。

 置き換えれば 経営が存続し続けるためには、
 ひたすら「消費者に得な条件を与えること」を組織に浸透させ、
 実践し続けなければならない。

 経営者の采配、要諦はここにある。
 なぜなら経営以外の者は、

 「企業が得な条件、自分が得なことを考えるのが仕事」。

 これが体質化して、消費者に背を向けさせることに
 ひたすらするからである。

 意識的に、その体質化から、脱却させ得るのは
 経営者以外にない。

 だから、叫び続けなければならないのだ。こう!

 「それはお客様にとって、得になるか」。

 「お客様から、わてらが支えてもらえることになるか」。


 なのに、その反対のことをやっているのでは?、
 なんでや、おかしいで、 

 と問いかけたつもりなのだ。

 反対をやっている経営者でも、釣りのときは、
 釣り針ではなく餌に魚が集まる、
 この当たり前のことがわかっているはずだ。

 経営は別。違うというのか。

 それはおかしい!
 不思議だ、
 自殺行為だ、

 と、ほんとうは私の方が
 言いたかったのである。

 「思い違い、つもりが積もれば、やがて経営は自滅するよ」、と。