経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

花はパンツを動かせない-1

2008年03月15日 | Weblog
朝から良い天気だ。

妻は、朝の工程を変えて、
今朝は、調理の前に洗濯を選択した。

その結果、私のL寸のパンツやシャツが、
花たちの上を覆っています。
花には、はなはだ迷惑でしょうが、
それを自らでは避けることは、
はなから出来ません。

花の運命でしょうか。
でも人にも同じ人はいるのでは?。

これが、本稿を書き始めた動機です。


このブログを選び、そして今書いているこの文章に
目を通すか、通さないか、そうしたことは、
日々、刻々、瞬時瞬時の
おびただしい天文学的選択肢の中の一つ。
選択だから無意識にということはあっても、
厳密には、偶然の選択はない。

今、小さな食品店の店頭で、レジ前の棚にある
16種のチュウインガムの中から、1個が売れた

といったことは、作り手、売り手から見たら
別にたいしたこともないことだろう。
といった意識。あるいは多分にそうした意識すらも、
考えることもない当たり前のことと思うだろう。

こうした1個の売上は、一人の消費者の選択によって、
選ばれて、それが総和され、今日の売上が立ち、
それが自分たちの月給の原資になっているなど
考えても、いまい。

選択の結果、その選択の結実が、この今の状況
と考えることは、実に重要である。
それは、今からの選択によって望むべき結果を
得られることの確実な「証明」だからである。

このことから、過去は変えられないが、
こちらに向かってくる未来が結実したものは
変えられることが、仮説として言える。
 
そこでこの仮説を実証してみた。
妻が先週の土曜日に作ったカレーが、まずかった。
妻も珍しく「このカレー、まずいよね」と同感した。

二人がかりで悔やんだとしても、
「覆水盆に戻らず」だ。どうしようもない。

そこで昨夜は、妻はカレー粉を変えてみた。
今度は実に美味かった。
先週のカレーがまずいのではなく、
「まずいカレー粉」を選択した、まずい選択が
まずいカレーの因と言うことが、ほぼ実証できた。

これを、私にから見たら、
カレーを食べない、妻を取り替える
妻にしたら、
豚肉を牛肉に取り替える

といった後から間違いとわかる選択を
しなくてよかった、ということになる。
ということを意味する。

だが、今回は、たまたまかも知れない。
たまたまといった選択肢は存在しないから、
次はタマネギ、その次はご飯、次は肉
こうしたものも検証しなければ
カレー粉が理由だったとは言えないのだ。

私たちは、売上の起死回生を期するときに、
どこかに奇跡を期待している。
従業員の努力を期待します。

しかし多くは奇跡は起きず、努力も虚しく、
「これまで」が続くことになる。

それは、起死回生もまた日常の中の
小さな意志決定、その選択の組み合わせと
積み重ねで具現しているからです。

だから「うまくいかない」ということは、
「おまくいかない」やり方を選択していて、
うまくいくという、それを押さえた対策、
アプローチを選択してない、ことになる。

花にはパンツの位置を動かせないが、
人には、出来る。愚妻にも出来る。

だが、花は出来ることをかまけないが
人は、かまけることが出来る。

以下、次稿。