長野・飯山市のうなぎの専門店、「本多」にいった。
平日、しかも昼食時間のピークは過ぎた時間だが、ひっきりなしにお客が入る。営業時間が午前11時から午後2時、午後3時から午後6時半であることからも、時間に関係なくお客が来店する店であることが伺える。
けして安い店ではない。鰻丼で2200円、鰻重で2700円。見回して、お客をみても普段着のお客。庶民だけだ。高級店でみられるハイ・クラス、通ぶった客は見あたらない。
明治37年操業の老舗、著名店にしては、店内は質素といってよい。それに演出がない。店員もいるのかいないのかわからないぐらい静かな立ち振る舞いである。
最近、店員が活気作りかどうかわからないが、我こそお店の主役と、元気はつらつ、目立つように動いている店員をよく見かけるがとんでもないはき違えである。
お客さまにとっていかにいい雰囲気の空間をを作ってあげるかが本来の店員の務めであるのに、お店や、経営者、上司の喜ぶ、あるいは自分の点数を稼げぐための動きをするお店や店員が目立つ。接遇教育をするものが、本当の接遇をわかっていないためであろう。
ここでは店内にとけ込んで、黒子になっている。ちなみにここに案内くださった、新潟・十日町、小林 均さんの 越後蕎麦小嶋屋本店の店員さんもそうである。
女将の手作りの漬け物が付く。季節ごとに変えているそうだが、この期は白菜漬け。出てきたどんぶりには、どーんと一匹分の鰻。あっさりした味付けである。鰻の温度を押さえ、ご飯を熱くしているさりげない配慮もさすがだ。柔らかい。とろけそうな感じ。これだけの量のものが胃袋に入って、満腹しているのに、もたれがなく、もう少し欲しいといった感じだ。
老舗には、長く続くことがどういうことなのか、よくわかっている。今売れている店には、今売れている理由はあっても、長く続く理由が見あたらない。否、長く続く理由を担保に、今を売っているのである。この視点で、お店や企業を見ると、30年先に残る企業とそうでないところが、だれにもわかる。いわゆる「うなぎのぼり」のお店や企業が、必ずしも老舗になるのではないのである。
庶民の視線に、長く、長い耐えられる店、企業こそ、真の意味での企業、お店なのだ、と私は思う。